無気力少女と悪魔の攻防
浅海 景
第1話 祝祭と出会い
生まれた時からずっと黒い靄や獣のような姿をした歪な生き物が見えた。
人は異端を嫌う。特に互いに助け合わなければ生活が立ち行かないような貧しい山村では、そんな気味が悪い子供が疎まれて嫌われてしまうのは仕方がないことだったのだろう。
祝祭の日に山に立ち入る者はいない。山は様々な恵みをもたらす神霊の住処であると同時に、悪しきモノが現れる危険な場所でもあるからだ。
『呼びに来るまで勝手にここから動くんじゃないよ』
そう言い含めた母親が戻ってこないことは何となく察していたが、他に行く当てもない。
はらはらと舞い始めた雪に一層寒さを覚えたが、それでも暗い夜空の下で見る雪は美しく、かじかんだ指先を握り締めた。
(……このまま、死んじゃうのかな)
死への恐怖よりも寒さや空腹の辛さが上回っており、幼さゆえに理解していなかったものの今よりは楽になれるのだろうという漠然とした予感を持っていた。
「珍しい魂だと思えば、まだ子供か」
突如、頭上から聞こえて来た声に思わず顔を上げる。
暗がりの中でも光るように輝く銀色の髪に目を見開くと、金色に近い琥珀色の瞳と視線がぶつかった。
そこに失望や不機嫌さを感じ取って咄嗟に目を逸らしたのは本能が危険を察知したためだったのだろうが、それが却って良くない結果へと繋がってしまった。
視界に捉えたのは男の背中から伸びた大きな翼。それは月のない空のように暗い色で、不吉な予感に胸が苦しくなる。ひらりと地面に落ちた濃藍色の羽を見た瞬間、膨大な記憶が脳裏を駆け巡っていく。
(……っ、ああ!)
悲鳴にならない声が喉を震わせる。その様子を不審に思ったのか、小首を傾げた男の手がこちらに届くよりも前に、言葉が漏れた。
「あ、悪魔……?」
男は僅かに目を瞠ったかと思うと、声を立てて笑いだす。
「ははっ、初見で俺の本性を言い当てられたのは初めてだな。……お前、名前は?」
ぐるぐる回る頭の中で、悪魔に本名を名乗ってはいけないという警告がよぎる。迂闊なことを言わないようにと唇を引き結ぶと、相手にもその意図は伝わったらしい。
「うん、言えないのか?それとも名前がないのか?捨てられたみたいだしな」
事実ではあるが、それ故に傷つく言葉を平気で口にする男はやはり人ならざるモノ、人の心などないのだろう。
理不尽な気持ちを噛みしめつつ、暴力的なまでの情報量に押しつぶされそうになっていると、男はさらに言葉を重ねた。
「ないなら俺がつけてやろう」
それもまた危険な行為だと知らない筈の知識が自分に訴えてきて、焦燥感が湧き上がる。名前を付けられる前に、本名ではない別の名前を告げねばならない。
いくつかの単語がよぎり、咄嗟に掴んだのはここではない世界の祝祭の名前。
「ノエ……ノエル」
寒さで上手く動かせない口を必死に動かす。
ふっと口角を上げた男の反応に、自分の回答が間違っていたのだろうかと不安がせり上がってくる。静かに終わりを迎えようとしていたこのタイミングで、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう。
「ノエル……いい名前だな。俺はリアンだ。覚えておけよ」
薄れゆく意識の中で、何故かその声だけははっきりと耳に残っていた。
この出会いが自分の運命を大きく変えることになるとは知る由もなかったのだ。
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