No More Tears

 息も絶え絶えになりながら二人がようやくたどり着いたのは、いつもの廃墟と化した音楽スタジオ、その地下室だった。扉を固く閉ざしようやく安全を確保した二人は床にへたり込み、荒い息を整えるべく呼吸を繰り返す。

 そうしてしばらくの沈黙の後、カノンが静かに口を開いた。床に投げ出されたアリアの、アンドロイドらしからぬ疲労の色が浮かんだ横顔を見つめて。


「……何があったのか、全部話しなさい」


 その声には先ほどまでの激しい怒りの響きはなく、深い悲しみとアリアを案じる切実な心配の色が滲んでいた。

 アリアは俯き震える声で、事の顛末を正直に全て話した。カノンに黙って学校へ行ったこと、教師にカノンのことを話してしまったこと、そして罠にはめられたこと。カノンを喜ばせたい一心で計画していた、自分の浅はかな考えも全て。


 話を聞き終えたカノンは何も言わなかった。ただ静かにアリアの目の前で膝をつくと、小刻みに震えるその手でアリアの肩をそっと抱き寄せたのだった。


「……ごめん、アリア。ぼくが意地を張って、学校のこと、ちゃんと話さなかったから……あんたに、こんな危ない真似をさせて……本当に、ごめんなさい……」


 カノンの目から熱い涙が溢れアリアの肩を濡らす。


「違う……違うのっ! これは、わたしが勝手にやったことで……! わたしの方こそ、ごめん! カノン、本当にごめんなさい……! うぅ……うわあああああああんっ!!」


 そしてアリアもカノンの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣きじゃくった。その涙はM.U.S.Eによって生成されたエネルギーの粒子で人間と同じそれではない。しかしそれを瞳から流す彼女の感情は、本物に違いなかった。しばらくの間二人は互いの存在を確かめるようにきつく抱きしめ合い、声を上げて涙を流した。地下室には少女たちの嗚咽だけがしばく響く。


 やがて涙も枯れ呼吸も穏やかになってきた頃、二人はゆっくりと体を離した。赤くなった目元を互いに見つめ合う。


「……ぼくのアリアを騙して、傷つけやがって」


 そしてふつふつと、心の底から込み上げてくるように、カノンは怒りに満ちた低い声で呟いた。その顔には悲しみの跡は消え、静かに燃えるような冷たい怒りが滲み出ている。


「あのクソ教師……絶対に許さない……!」


 その怒りはアリアを傷つけられたことへの個人的な憎しみだけではない。アリアから聞いたあの学校の息詰まるような現実。そしてそこで無気力に飼い慣らされている者たちへの憤りでもあった。


「アリア……やるわよ、ライブ」


 カノンはアリアの目を真っ直ぐに見つめ静かに、唸るように声を上げる。一度は拒絶した文化祭でのライブ。しかし今その決意はアリアを救ったことで、そしてあの教師と彼女が象徴する歪んだシステムへの怒りによって以前とは比べ物にならないほど強く、揺るぎないものへと変わっていた。


「文化祭を乗っ取ってやろう! それで、あの場所を支配する何もかもを……ぼくらのやり方で、全部めちゃくちゃに、ぶっ壊してやるんだ! あのクソ教師に、一泡吹かせてやる!」


 カノンはその瞳の炎をさらに激しく燃やしながら、目の前に座るアリアに語りかけた。地下室の重く冷たかった空気がカノンの燃えるような怒りの熱気で、まるで蜃気楼のように揺らいでいた。


「ただ問題は、どうやって文化祭当日に乗り込むかよね。当日はセキュリティの監視もさらに厳しくなるだろうし、ステージの確保だって――」


「ちょっと待って。ねえ、カノン」


 その時。それまでカノンの燃えるような言葉を静かに受け止めていたアリアが彼女の言葉を遮って、ゆっくりと口を開く。それはカノンとは対照的なほど冷静な声色だった。


「あのね。わたし、今日学校に行ってみて、分かったことがあったんだ」


「な、何……?」


 カノンの勢いが僅かに削がれ話を聴く体勢になったことを確認してから、アリアは再び口を開く。


「カノンのパパのことをクラスに広めていた犯人は、あの先生だったの。それで、カノンがクラスで孤立するよう仕向けたみたい」


「あいつが……? クラスの連中じゃなくて……?」


「うん。それでね」


 アリアは今日の学校の光景を思い返す。


「あの学校に通う生徒たち、カノンのクラスの子たちも、みんな暗い顔してた。あんな酷い先生や厳しすぎる校則に縛られて……本当は息苦しいのを、必死に我慢してるみたいだった」


 アリアの言葉にカノンは自分のクラスメイトたちの顔を思い浮かべた。いつも無表情で何を考えているのか分からない連中。だがアリアの言う通り彼らもまた被害者なのかもしれない。


「きっと自分が次の標的になるのが怖くて、みんなあの先生に従うしかなかったんだよ。自分だけならまだしも家族まで標的にされるかもしれないって思うと……なおさら動けなかったのかも」


 語り聞かせるようなアリアの言葉に、カノンも少しずつ冷静さを取り戻していく。


「わたしたちは音楽解放戦線。音楽を取り戻すことが目的であって復讐がしたいわけじゃない。そうでしょ?」


 アリアはカノンの目を見て確認するように言った。彼女の冷静さを表しているようなその青い瞳に見据えられて、カノンはようやく自分が復讐心に駆られかけていたことに気がつき小さく息を吐く。


「……それは、そうね。ごめん、ちょっと熱くなっちゃってたわ……」


「ううん! わたしも正直、ムカついてるから!」


 アリアはぷん、と頬を膨らませてみせる。しかしすぐに真剣な表情に戻ってカノンのことを見つめていた。


「ただ、わたしが言いたいのはね。あの学校の中にも、わたしたちに協力してくれる人たちが、ひょっとしたらいるかもしれないってこと!」


 アリアがそう言って指先に宙に踊らせるとホログラムのウインドウが突如空中に出現し、この薄暗い地下室を淡く照らし出す。


「実は、わたしたちもよく見ているアンダーグラウンドの匿名掲示板の中にね、この学校の生徒たちの書き込みを見つけたんだ」


 それはアリアの言う通り政府の検閲を逃れたアンダーグラウンドの匿名掲示板。最近では音楽解放戦線の話題で持ち切りで彼女たちを絶賛する内容のスレッドがいくつも立てられている。

 アリアがホログラムの画面に表示したそのスレッドはカノンが通うあの高校の生徒たちと思しき書き込みが散見される、いわゆる学校の裏掲示板のような様相を呈していたのだ。そこには表向きの学校生活からは想像もつかないような生徒たちの生々しい、そして抑圧された本音で溢れかえっていた。

 厳しい校則への不満、教師たちへの辛辣な悪態、繰り返されるだけの退屈な日常への嘆き、そして未来への漠然とした不安――そのほとんどが冷笑的で無気力で、現状を変えることなど不可能だという諦観に満ちた書き込みばかり。

 しかしその澱んだ情報の海の中からは、いくつかの、確かな希望の光を感じさせる言葉もあったのだ。


『音楽解放戦線の新曲、聴いた? 鳥肌やばい。あんな音楽が、このノクターンで聴けるなんて……』


『わかる。なんだか胸の奥が熱くなったよ。ああいうのが本物の音楽って言うんだろうな』


『文化祭、どうせまた政府のお偉いさんの、クソつまんねー話聞かされて終わりだろうな。毎年同じ。マジで萎える』


『いっそ音楽解放戦線が乱入して、全部ぶっ壊してくんねーかな。まあ、無理だろうけど……』


『……でも。もし来てくれたら、最高だよな……』


 数は多くない。書き込みもどこか投げやりで本気で何かを期待しているというよりは、叶わぬ夢を呟いているだけといった雰囲気だ。

 しかしそこには確かに音楽解放戦線への密かな共感と現状への強い不満、そしてほんのわずかながらも変化への渇望が燻っていることを示していた。


「ほら、見て……! 本当はみんな、音楽を求めてたんだよ! 彼らならきっと、わたしたちの味方になってくれるはず!」


 カノンは静かに我が身を省みる。自分はアリアという特別な存在の助けを得て初めて歌うことができた。しかし他の生徒にはそんな幸運はない。もしも自分が彼らと同じ立場だったなら、あの教師の言うことにさえ恐怖から黙って従うしかなかったかもしれない。


「わたしの能力なら、この掲示板のログを解析してそれぞれの書き込みの発信源を特定できる。例えば、その中から特に反抗的なキーワードや音楽への関心が高い書き込みをしているユーザーを選んで……そのユーザーたちにだけ、暗号化されたダイレクトメッセージを送信する」


 アリアは作戦を具体化していくように、丁寧に言葉を紡いでいく。


「メッセージの内容は……『文化祭当日、体育館にて。我々音楽解放戦線は、ライブを決行する。その成功のためには、君たちの協力が不可欠だ。我々の侵入ルートの確保、セキュリティや教師の妨害工作、その他可能な範囲での支援を求める。これは単なるライブではない。革命の始まりだ。共に戦う意志のある者は応答せよ』……こんな感じかな?」


「……最高じゃない」


 カノンの口元に挑戦的な笑みが浮かぶ。


「それでいきましょう……!」


 カノンはアリアの紡ぎ出した心を揺さぶるメッセージに、不敵な笑みを浮かべて頷いた。カノンの了承を得た瞬間アリアの指が、ホログラムのエンターキーを弾くように叩く。瞬く間に生成されたメッセージが電子の海へと放たれた。あとはこの瓶詰めの手紙が誰かの、勇気ある魂の岸辺に流れ着き、そしてその心に火をつけるのを待つだけだ。


 次なる標的を定めた音楽解放戦線。その逆襲の狼煙はこうして上がったのである。


 ◆


 文化祭当日までの数日間は張り詰めた緊張と、静かな期待の中で過ぎていった。驚くべきことにそしてカノンたちの予想以上にアリアが送ったメッセージに対して、最終的には十数名の生徒たちから極秘裏に協力の意志を示す返信があったのだ。

 彼らはもちろん音楽解放戦線の正体など知らない。まさかそのボーカルが自分たちの学校の生徒であることなど、夢にも思っていないだろう。

 そんな彼らを突き動かしたのは長年蓄積してきた学校と社会への不満、現状を変えたいという漠然としたしかし切実な願い。そして何よりもあの音楽解放戦線の音楽が持つ抗いがたい魅力と、それが象徴する自由への憧れだった。

 自分たちの青春をこのまま灰色の学校生活で終わらせたくない。その想いはカノンにとっても共感できるものだった。


 そうして迎えた、文化祭当日。ノクターンの標準的な文化祭らしく校内はそれなりに飾り付けこそされているものの、どこか空虚で管理された予定調和の雰囲気が漂っていた。

 模擬店が並び生徒たちが作ったと思われる展示物が飾られているが、そこに心からの楽しさや創造性の爆発といったものは感じられない。全てが決められた枠の中で決められた手順通りに行われている、といった印象だ。

 そして校内の至る所には普段よりも明らかに多い数のセキュリティと教師たちが、鋭い視線で生徒たちの行動を監視している。文化祭という名の仮初めの自由にすら彼らは神経を尖らせていた。


 そんな厳戒態勢の中。カノンとアリアは顔を隠すためのいつものマスクとライブ用の衣装――カノンは黒のタンクトップに赤いチェックのミニスカートと網タイツ。アリアは白と黒を基調としたややパンキッシュなアレンジのゴスロリ風衣装――の上から、他の一般生徒たちと同じデザインの地味で目立たないグレーのパーカーを羽織り、協力者の生徒たちが事前に示し合わせてくれた人目につかない裏口へと向かっていた。


 約束の時間、古い用具倉庫の影で待っていると、見覚えのない男子生徒が周囲を警戒しながら現れた。彼はカノンとアリアの姿を見ると無言のまま小さく頷き、そして足早に校舎の中へと導く。

 校舎の中は文化祭特有の喧騒でいくらかざわついてはいたものの、それでも根本的な息苦しさは変わらない。カノンは数ヶ月ぶりに足を踏み入れた学び舎の空気に改めて嫌悪感を覚えながらも、今は私情を挟んでいる場合ではないと気を引き締めていた。アリアは周囲の様子を冷静に観察しながらカノンの少し後ろを、音もなくついていく。


「……ねえ、カノン。やっぱり、正体を明かすつもりはないの?」


 協力者の生徒たちの巧妙な連携プレーによって二人は誰にも怪しまれることなく、体育館へと続く普段は使われていない通路へと辿り着く。その道すがらアリアはカノンの耳元で、囁くように尋ねていた。


「あんたねぇ……生徒相手ならまだしも、セキュリティにまで顔バレしちゃったら、後で困るのはぼくたちのほうでしょ?」


「うぅ……でもわたし、カノンがすごいボーカルなんだってこと、みんなにも知ってもらいたいなぁ……」


 いじらしい反応を見せるアリアに、カノンは思わず噴き出すように笑いが溢れる。


「ふふっ……ありがとね。でも、ぼくらは謝ってほしいわけでも、見返したいわけでもない。ただ、必要とする人たちのもとに、音楽を届けるだけ。そうでしょ?」


「えへへ……うんっ!」


 やがて体育館の巨大なステージの袖へと繋がる、関係者以外立ち入り禁止の扉の前に着く。協力者の生徒が事前に盗み出していたマスターキーで静かに錠を開け、二人を中へと招き入れた。


「……ありがとう」


 カノンは協力者の生徒に小声で感謝と信頼を込めて囁く。生徒は緊張した面持ちながらも力強く頷き、そして足早にその場を去っていった。二人は巨大な体育館のステージ裏、埃っぽく薄暗い暗がりへと身を潜めた。そこからはステージ上の様子と体育館フロア全体が見渡せた。


 体育館には既に全校生徒が集められぎっしりと埋め尽くされている。その数は千人を超えるだろうか。クラスごとに整然と並ばされ床に直接座らされている彼らには、重苦しい空気が漂っていた。

 ステージ上ではどこかの政府機関から派遣されたのであろう、見るからに偉そうな中年の男が抑揚のない声で退屈極まりない自己満足的な演説を長々と続けていた。生徒たちは皆一様に死んだ魚のような目で、その「ありがたいお話」を聞き流している。これがノクターンの文化祭のいつもの光景だった。


 やがて男の演説が終わりまばらで義務的な拍手の中、彼は満足げな表情でステージの上から降りていく。そして入れ替わるように先日アリアを罠に嵌めカノンを陥れようとした、あの忌まわしい担任教師がどこか得意げな笑顔を浮かべながらマイクの前に立った。


「本日は、大変に有意義で、素晴らしいお話を頂戴いたしました。生徒の皆さん、今日のこの貴重なお話を胸に刻み、これからのノクターンを担う、優秀な人材となるべく、より一層、学業と自己規律に励むように。良いですね?」


 教師はやはりどこか自己陶酔に浸ったような、ねっとりとした口調でアナウンスを続けている。生徒たちを一方的に支配しコントロールしようとする意図が透けて見えるようだった。

 カノンは隣に立つアリアと静かにアイコンタクトを交わす。アリアは小さく頷いてみせる。やがてその教師の話も終わりステージの上に誰もいなくなった、次の瞬間だった。体育館中のそれまで煌々としていた全ての照明が、一斉に消えたのだ。


 一瞬の完全な暗闇。そして静寂。その予期せぬ出来事に生徒たちの驚きと戸惑いの囁き声が、ざわざわと波のように広がった。教師たちも明らかに動揺していて右往左往しているのが暗闇の中でも気配で分かる。そして混乱と静寂が入り混じった数秒後。一点のスポットライトがステージの中央に、稲妻のごとく突き刺さったのだ。


 その眩い光の中に浮かび上がったのは二つのシルエット。一つは黒いタンクトップに赤いチェックのミニスカート、破れた網タイツという挑発的でパンキッシュな出で立ちで金色の髪を無造作に遊ばせ、黒い布マスクで口元を覆った少女。

 もう一つは白と黒のコントラストが鮮やかなフリルとレースが幾重にも重ねられたゴシック&パンク調のドレスに身を包み、これもまた白いレースのマスクで口元を優雅に隠した月光のような銀色の髪の少女。


 全ての視線が光の中に注がれる中カノンがその拳を天高く突き上げる。それだけで生徒たちの中の疑惑は確信へと変わっていた。今自分たちの目の前にいる者たちの正体を。そしてこれから何が起ころうとしているのかを。


「どうもッ!! 音楽解放戦線ですッ!!」


 体育館中に響き渡る高らかな開戦宣言。革命はまさに今この瞬間に始まった。誰も予想もしなかった形でこれ以上ないほど劇的に。


「マジかよッ……!? 音楽解放戦線……!?」


 体育館にいた全ての人間が完全に虚を突かれ呆然とステージを見上げていた時。生徒の一人が声を上げた。その瞬間ざわめきが一気に、その場を駆け巡っていく。そんな彼らの期待に応えるように、アリアの地鳴りのような重く鋭いドラムのフィルインが体育館全体を揺るがした。

 そして次の瞬間カノンの口から解き放たれる、激しく歪みしかしどこまでも美しくそして圧倒的に自由なロックの爆音。凄まじいエネルギーと生々しい感情の奔流が音の津波となって、体育館全体を瞬く間に飲み込んだ。


「あれが……音楽解放戦線……!」


「うそ……!? 本当に、来てくれたんだ……!」


「生で見るの初めて……鳥肌やばッ……!」


 呆然としていた生徒たちの中からやがて驚きと、信じられないという思いとそして隠しきれない興奮が入り混じった声が、囁きのように漏れ始める。最初はただ呆然とあるいは恐る恐る遠巻きに見ていた生徒たちも、その圧倒的なパフォーマンスと会場全体を包む尋常ではないエネルギーに抗うことなどできなかった。

 体の奥底から何かが突き上げてくるような、熱い感覚。忘れかけていたはずの、あるいは知ることすら許されていなかったはずの激しい感情の波。リズムに合わせて自然と体が動き出す。俯いていた顔が上がり無表情だった瞳に、驚きと興奮とそして深い共感の光が灯り始める。

 誰からともなく手拍子が始まり、足を踏み鳴らす音が響き渡る。それは統制された社会では決して聞くことのできない不揃いだが力強い、生命の鼓動そのものだった。そうして一曲目が終わる頃には呆然としていた生徒たちの多くが、音楽の奔流に身を任せるように体を揺らし始めていた。


「っ……!? や、やめなさい! 今すぐ音楽をやめなさい! これは国家への反逆行為よ! 」


 ようやく我に返ったのかあの担任教師が顔を真っ赤にしてヒステリックに叫び、慌ててステージに駆け寄ろうとする。しかし彼女の行く手には生徒たちが無言のまま、強固な壁を作って立ちはだかっていた。それは特定の誰かが指示したわけではない。音楽解放戦線の音楽に心を動かされた生徒たちが自らの意志で教師たちの前へと進み出て、その道を塞いだのだ。

 教師たちは彼らの視線に射すくめられ、それ以上一歩も前に進むことができなかった。彼らが長年振りかざしてきた権威と恐怖による支配が今この瞬間、自分たちが教え導いてきたはずの生徒たち自身によって完全にそして決定的に否定された瞬間だった。


「なっ……!? あ、あなたたち……どうなるか分かっているの!? これは、国家への反逆行為よ……!?」


 一部の教師はなおも何か叫んでいたがその声は、もはや会場を埋め尽くす熱狂的な歓声と音楽の爆音にかき消され誰の耳にも届かない。また別の教師たちは目の前で起こっている信じられないような光景と生徒たちの豹変ぶり、そして自分たちの完全な無力さを悟ったかのように悄然とあるいは恐怖に駆られて、体育館の壁際に後退していくしかなかった。アリアを罠に嵌めたあの担任教師でさえ顔面蒼白で、ただ震えているだけだった。


「最高だぜ! 音楽解放戦線ッ!」


「これだ! これが音楽だ! 俺たちが本当に聴きたかったものだ!」


 一人また一人と生徒たちの中から、抑えきれない感情のこもった歓声が上がり始める。やがて体育館はもはや制御不能な熱狂の坩堝と化していった。

 それはもはや単なるライブ会場の盛り上がりというレベルではない。それは長年抑圧され否定され飼い慣らされてきた魂が、一斉に自由を求めて叫び声を上げる集団的なカタルシスであり、この国の未来を変えようとする明確な意思表示となっていた。


 カノンは歌いながらその信じられないような光景を目に焼き付けていた。生徒たちの顔には諦めも無気力も恐怖も、偽りの従順もない。ただ音楽によって完全に解き放たれた汗と涙で輝く、剥き出しの感情だけがそこにあった。


「(届いてる……本当に、届いてるんだ……! ぼくは、ずっと独りだと思ってたけど……こんなにもたくさんの仲間が、ここにいたんだ……!)」


 孤独だった自分が忌み嫌っていたはずのこの場所で、今。こんなにも多くの名前も知らないはずの仲間たちと音楽を通して、一つになっている。そのどうしようもないほどの感動と体の芯から込み上げてくる熱い想いが、彼女の体をそして歌声をさらに強く激しく震わせていた。


 そしてライブはいよいよクライマックスを迎える。ようやく事態を把握したセキュリティが今頃になって駆けつけてきたが、その時にはもう既にアリアの放つM.U.S.Eの光は最高潮に達していた。

 その輝くフィールドはセキュリティの体育館内侵入を一切受け付けないばかりか、生徒たちの合唱に呼応しますますその輝きを増していく。カノンの祈りにも似たその叫びに、割れんばかりの歓声が応える。

 体育館全体を包む大合唱と音楽の洪水。やがて演奏が終わり最後の音が、まるで祝福するように残響した。


 一瞬のあたかも嵐が過ぎ去った後のような、熱気を帯びた静寂。次の瞬間最大級の拍手と歓声、そして感謝の叫びが再び爆発したのだった。


「やった……やったよ、アリア……!」


 カノンは息を切らしながら隣で同じように感極まった表情で瞳を潤ませているアリアに、震える声で囁いた。


「うん……! 最高だったね……!」


 アリアは満面の笑顔で答える。そんな彼女たちを祝福するMLFコールは、しばらく鳴り止む気配を見せなかった。しかし、いつまでも感動に浸っている時間はない。既に遠くから複数のサイレンの音が近づいてきているのを、カノンもアリアも気がついていた。セキュリティの増援部隊が学校を取り囲み始めているのだろう。


「ありがとうございましたッ!! 音楽解放戦線でしたーッ!!」


 まだ熱狂の余韻に包まれている会場にそして共に戦ってくれた生徒たちに、カノンは別れの言葉を叫ぶ。彼らの声援に背中に受けながらそのまま二人は急いで非常口の方へと走り出した。

 協力者たちが予め用意してくれていた複雑な校舎の構造を巧みに利用した、迷路のような逃走経路。そして他の協力者たちによる陽動作戦によって二人は追手の目を完全に欺き、学校から無事脱出することに成功したのである。


 二人が去った後。残されたのは静まり返った体育館。呆然と立ち尽くす教師たちとセキュリティ。そして以前までとは明らかに異なる雰囲気をまとった、生徒たちの勇ましい姿。音楽解放戦線――

 たった二人のレジスタンスから始まったその小さな灯火は、今や簡単には吹き消すことのできない巨大な炎となっていた。もはや一過性の熱に非ず。それを証明するように、彼らの心は今、烈火の如く燃え滾っている。

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