お花見
柑橘
お花見
ほら、見てください。お気に召しましたか。聞くまでもないようですね。遠くからご足労いただいたかいがあったようで、私も一安心です。
綺麗でしょう。綺麗だからこそここまで植えられているわけですが。そうですか、あなたの国でも桜は「サクラ」と呼ぶのですね。しかし「チェリーブロッサム」ではないですが、あなたの国の言葉での訳語もあるのでは。なるほど、この国の桜だけが特別「サクラ」と呼ばれると。どうですか、実際に見てみて特別感のようなものはありましたか。あはは、そこまで言っていただけるなんて光栄です。
そう、意外に色が薄いんですよ。後で近くから見ていただいたら分かると思うのですが、ほとんど白の花びらに薄く赤を差したような色合いなんですよね。だから今日みたいに晴天の日には綺麗に見えるし、曇天の日には少し不気味に見える。禅の心……ではないと思いますが、私たちの美意識に合ったんでしょうね。
もともと古代において「花」と言えば「梅」を指しました。近くの大国の影響でしょうね。それがどこからか「花」の指すものが「桜」へと変わった。梅について詠まれた歌の数と桜について詠まれた歌の数を時系列順にプロットして見ると、どこかで桜が急激に梅を追い越す時期があるそうですよ。不思議ですよね。
あぁ、別に果実はなりません。さくらんぼと桜は近縁種なんですが、いまあなたがご覧になっている、この国の広域に植わっている観賞用の桜は厳密にはさくらんぼとは別の種なんです。美しいだけでここまで愛され、美しいだけでここまで全国に広がった。カナダのカエデは、あれは蜜を取るために広く植えられたんですっけ。でもこの国の桜も実用上の理由が全くないってわけじゃないんですよ。見てみましょうか。
よく植えられている場所ですか。街路樹としても好まれますし、河川敷にもよく植えられます。明日には川の方にも行ってみましょうか。散った花びらが水面を覆って、錦のようになって綺麗なんです。錦はあれですよ、なんて説明すれば良いのかなぁ、高級な着物みたいなものを想像してもらえれば。
でもやっぱりこういう山に植えられていることが多いですね。山が多い国ですから。山ならどんなに埋めても土地が不足することはありませんから。
やっぱり春の時期は人が多いですね。まだ始まってはいませんか。あはは、ちょっと煙っぽいですよね。申し訳ありませんが、こればっかりは我慢してもらうしか。花粉じゃありませんよ。花粉はもっと細かいですから。花粉のワクチン、ですか。この国に来るなら打てと。あなたのところではそうなっているんですね。
まぁとにかく、この煙は人為的なものですよ。バーベキューもそうですが、ほら、どの桜のそばにも縦に細長い石が据えられているでしょう。あれは墓標ですよ。煙は皆が持参した線香のものです。
この桜の木々自体が皆墓標でもあります。当然、桜の木の下には死体が埋まっています。
人の世は短く、木々の寿命は長い。儚い一生の中で何かを遺そうとしても、その何かもすぐに紛失され、あるいは売却され、あるいは蔵の中で忘れられたまま朽ちていきます。その点木は良い。めったなことがない限り残りますからね。それに綺麗な花が咲いたら人が訪れてくれます。海外ではお墓は石だけからできていると聞きますが、石だけの墓標がどこまでも並んだ無機質な土地、そんなところ誰も訪れたくないでしょう。それに、自分の死体を養分として育った木は、ある意味自分の延長や再構成とも見なせる。どんな人でも美しい花を咲かせる木として生まれ変わり、春になれば訪れてきてくれた子孫を見守ることができる。素敵ですよね。
そうして私たちは、美しいからといって桜を植え、更に墓標としても桜を植えるようになりました。桜はこの国でどんどん殖えています。死者の累計数は減ることはありませんから。風に受粉を助けてもらう花を風媒花と呼びます。あなたが先ほど思い浮かべたスギなどが良い例です。自然現象ではなく動物に増殖を助けてもらう花もあります。例えば、蜂を呼び寄せる甘い花粉を有する花は虫媒花です。すると、人の助けを借りて繁茂しているこの桜という植物は、さしずめ人媒樹ということになるのでしょうか。
あぁ、確かにそれはもっともな疑問ですね。しかし存外人の死体でもちゃんと肥料になるそうですよ。死体に寄りつく虫や微生物が土壌を良くしてくれるって話もあるそうです。それに共進化ってご存じですか。例えば虫媒花は蜜腺って器官を持っているですが、これは虫や鳥がよりつくように花が進化させた器官です。一方で動物の方も、例えば蝶は蜜を吸うのに特化した口の構造を有している。互いが互いに影響を及ぼした結果として生じる双方の進化を共進化と呼びますが、桜と私たちはどう変わってきたと思いますか。
甘い匂いがしてきましたね。
ある時、学者が研究のために桜の根本を掘り出したそうです。もちろん大きい樹ですから根も太かったそうですが、その太い根から細かな糸のような蔓が無数に伸びて、かつて埋められた誰かの骨を繭のようにくるんでいたそうです。桜の方は人間から効率的に栄養を取れるように進化してきたわけですね。
え、この人ですか。知らない人ですよ。でもほら、なんかむかつく顔してないですか。何、文句あんの。ないですか、なら良いんです。
花見ってこんなもんですよ。乱痴気騒ぎで、終わったら何人も死人が出てる。桜が出す花粉か何かのせいなんですかね、もう無性にいらつくんですよ。馬鹿みたいに集まりやがって。どいつもこいつも、おいそこのお前、お前だよ、何こっち見て笑ってんの。すみません、ちょっと待っててもらえますか。
(2分後)ふぅ、お待たせしました。死体ですか? あとで誰かがどれかの桜の下に埋めるでしょ。だからほら、墓標の表面に人名も何も彫られてないんですよ。もう誰を埋めたか分かったもんじゃないから。あはは。
人は進化して簡単に人を殺せるようになって、桜の木の下にはますます人が埋められて、あるいは新しい桜がどんどん植えられて、桜はこの国を覆い尽くしています。春になると皆が花見に行って、死人が増えて、花がどんどん増えます。あるいは桜が元からそういう植物だったのかもしれない、桜の花弁の白は骨の白で、差した赤は血の赤なのかもしれない、どっかの山奥にあったヤバい植物をどっかの馬鹿が人里に持ち出して今があるのかもしれない、私たちと桜は蝶と花のような互恵関係になく恐らく単に私たちが一方的に桜に操られているだけで、春になっては人を殴り蹴り刺し撃ち、山にはさらに死体の山ができて川は血で染まって花筏のピンクと水の真赤と春のうららかな日差しが照り映えて、毎年吸い込む花粉は身体にどんどん溜まって、この国がアジアの辺境の気の狂った島国として認識されていて渡航制限対象とされている場合もありあなたがこの国に来る前に打たされたワクチンだか解毒薬だか何だかを私たちは手に入れることすらできず、多分私たちはもう桜そのもので、でもいいんです春は必ず来るし花は必ず咲くし私たちの誰もがいつかは桜になるし、私たちの春はこんなに美しいんです。
そう思いませんか?
名前の発音しづらい極東の島国での体験はいささか刺激的で、見慣れない風物や食べ物の数々は概ね楽しかった思い出として残っている。友達に撮った「サクラ」の写真を見せたところ、「寄生植物ほど見目が綺麗って言うよな」とにべもない感想が返ってきた。
「花のために死人を増やすなんて正気の沙汰じゃないだろう」
「まぁでも」
私は路端のどろどろに崩れて異臭を放っている死体を一瞥してから、「花になれるだけマシなんじゃないかな」と言った。また街のどこかで銃声が聞こえて、友達は肩をすくめた。
お花見 柑橘 @sudachi_1106
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