宝石なんかにならないで
花鳥あすか
第1話
小学生の時、男子に宝物の帽子を盗まれた。
中学生の時、男子に防災頭巾を男子トイレに投げ込まれた。
高校生の時、男子に頭を抑えられて、プールに沈められた。
いじめられていたわけじゃない。彼らがなぜそうしたのか、なぜそうするのか、その時々、すでに私は理由を知ってた。
彼らは私のことが好きなんだ。だって私は自分から見ても可愛かったし、明るくてリアクションも良くて、モテない、好かれない方が不思議だったから。
そう俯瞰したように納得していても、傷は確かに心に残って、当時は毎回泣いたし、怯えた。
そういう男ばかり虜にしたわけじゃない。彼らは数えられる醜い石ころで、その他大勢はちゃんと人間の形を保って、私に好意を示してくれた。その人たちのおかげで、かろうじて男嫌い程度に留まっているけれど、生きにくいことこの上ない。
法律事務所のCMを見るたびに、あの時の石ころ共、訴えらんねーかな、なんて思ったりする。あんな知性のかけらもない、有機物だと思いたくもない石ころに邪魔されて、人生の道が歩きづらくてしょうがないなんて事実認めたくないけど、もうあいつらに文句を言うとしたら、同窓会とかじゃなくて法廷以外あり得ない。
なんかムカっ腹立ってきた。定期的に来るこの怒りのウェーブ、いい加減やめたいんだけど……。なぜか好きな人が出来るたびに思い出しちゃうんだよな。内なる自分が出てきて、目覚ませ、お前は男嫌いだろ! ってビンタされてるみたいで本当萎える。過去のことでもちょもちょ腹立てて、自分がみっともないし哀れになる。
恋愛ドラマにイラつくのも何とかしてほしい。強引なキスとかベッドに押し倒すとかイラつき通り越して吐き気がする。なんで一定数の男ってこんな加害性強いの? 強引なオレ、強引なカレ、で済ますなよ。一歩間違えたら犯罪だよ。少なくとも私だったら好きな人にやられても鳩尾蹴り飛ばして即110番するわ。
あーーー。創作にまで文句つけるようになったら本当終わりだわ。反省反省。この前読んだ本にもあったもんな、「創作は必ず人を傷つけるものだけど、救われる人が一人でもいるなら、その人のために書き続けろ。批判に怯えて筆を折るな」的な。本なんだから小説家が書いたわけで、あれはきっと著者の創作論の発露だったんだろうな。創作者に敬礼。怒りは石ころにぶつけるべきだよね。あいつらのインスタでも見てみるか。
まずは帽子盗んだ挙句に汚ったない靴箱に隠しやがった窃盗犯の小暮勇気。小学校の同級生経由で探してみよ。
あ、あった。
うーわっ、なにこの胡散臭いアイコン。腕組んでピン写? しかもこれ写真スタジオで撮ってるよね? なんか怪しいビジネスやってる? でも小暮って末端だとしてもビジネスとか理解できんの? 勧誘とかできんの? 小学校でも卑怯な奴で有名で嫌われてたし、かなり頭悪かった印象しかないわ。まあ頭悪くなきゃ好きな子の持ち物なんて盗まないか。漫画とかドラマでしか見たことないわそんなⅠ LOVE YOU表現。それがまさか私に降りかかるとはね……。たしかあの時は私マジギレして、あいつが泣くまで怒鳴り散らしたっけ。初めて両親に連れて行ってもらったテーマパークで買ってもらった大切な大切な帽子だったから、それを勝手に触られて、盗まれて、汚されてさ……。「死ね」って言ったのも覚えてる。だって両親の笑顔まで踏み躙られたみたいで胸が苦しくて悲しくて、しかもそれが私を恨んだ上でそうしたならまだ復讐として道理が通ってて嫌でも腑に落ちるけど、私のことが好きで気を引きたくてやったんだから、もう生き物として気持ち悪いしおぞましいしであの時のぐっちゃぐちゃの感情を表現できるのが「死ね」って言葉しか無かったんだよなあ。そのあとはあんたより百足のほうがまだマシって言ったっけ。小学生って語彙力ないよなあ。
まああんたはこのまま変なビジネスにはまって堕ちてけばいいよ。私と同じ世界を生きないでくれたらそれでいいよ。一生地底這っててね。
じゃあ次は防災頭巾を男子トイレに投げ込んだ梁野真。なーにが「真」だよ。親は何思ってこの名前つけたんだよ。命名に責任持てや。こいつに至ってはプラベ垢にフォローリクエスト送ってきてるし、救いようなさすぎる。厚顔無恥にも程がある! ってDM送ったとしても「何それ笑 てか元気?笑」って返ってくるのが目に見える。無教養の阿呆なのはだいぶ前に流行ったフィルターの自撮りのアイコンから想像できる。こいつのせいで防災頭巾買い直すはめになったし、私は割とモノに愛着湧くタイプだから犠牲になった防災頭巾ちゃんが可哀想で泣いたのを覚えてる。軽い潔癖症もあったから、親切な先生の手で戻された時、受け取ってあげられなかったんだよなあ。ごめんねオレンジ色の防災頭巾ちゃん。小学生から見守ってくれたのに、ごめん。今でも忘れてないよ。大切に思ってるよ。
なんで梁野が防災頭巾を男子トイレに投げ込んだのかは今でも謎。こういう加害性強い奴の発想ってある意味レベチすぎて、本当怖い。とりあえず関わらないのが吉のタイプ。フォロリク無視し続けてたのも、ブロックして逆恨みされないように、って考えたんだっけ。ああ、なんでこんなやつの為に貴重な脳のリソース割かなきゃいけないの。それが自衛になる以上仕方ないことだけど、本当腹立つ。自衛のいらない世の中真剣に求む。
最後はプールの授業中に急に私の頭掴んで水に沈めてきた鬼畜の木元アキラ。木元とは普通に仲良くやってたし、まさかあんなことされるなんて、1ミリも考えたことなかった。先生の目を盗んで、確か四回も沈められた。私は泳ぎは得意だったけど、急に男子の力で頭を掴まれて体重をかけられたら、恐怖も相まって体が上手く動かなくなって、簡単に溺れた。怯えて逃げる私を、木元は満面の笑みで追いかけてきては沈めた。周りはおふざけだと思ったのか笑っていて、誰も木元を咎めなかった。この時ばかりは私の強気な性格は黙り込んでしまって、強い恐怖で必死に木元から逃げた。なんとかプールから上がっても、先生に訴えることはできなかった。一歩間違えたら殺されてた。
死と木元への戦慄で、その瞬間は怒りも悔しさも何も湧いてこなくて、脳は完全に仕事を放棄してた。家に帰ってからも、両親を心配させたくなくて、何も言えなかった。自室に入ってやっと、初めて泣くことができたのを覚えてる。
今もこのプール事件は、私と木元、当時周りにいたクラスメイトしか知らない。氷山の水中部分っていうのは、こうやって作られるんだと思う。
木元のインスタは、いくら探しても見つけられない。小暮や梁野みたいに笑って見下して溜飲を下げようと思ってたのに、憎しみが募っただけだった。
胸糞が悪い。熱を持ったスマホをお腹の上に置いて、リラックスしようと目を閉じてみたけど、なんでこんなことになったんだっけ、と脳はしっかり仕事をしやがる。
『人を好きになったりするからだよ』
出てきた、「内なる私」が。
違うし。好きな人は何も悪くないし。ただタイミング悪く嫌な奴のこと思い出しただけだし。
『毎回、人を好きになったタイミングでね』
どうして内なる自分というのは、こんなに自分に辛辣なんだろう。人を好きになる努力してるんだからもう少しあったかく見守ってくれればよくない?
『もう傷ついてほしくないから』
いや、私を傷つけたのは百足以下の理解不能なクソ野郎だから。好きな人には傷つけられたことないから好きになってんじゃん。
『この先、傷つけられる可能性は? あなたを試すようにあなたの大切なものを壊したりするかもよ』
さすが私、頭が冴えてるよ。そうだよね。どんなに優しい人でもある日豹変するなんて話、よく聞く。でも佐倉くんは違うと思う。そろそろ私も恋愛に勇気出してみてもいいじゃん。
『やめたほうがいい。これだけ経ってもまだトラウマは消えていないじゃない』
こういう自分との対話が大切なのは分かるんだけどさ、こういうことしてるって知られたら恋人一生できないからもうやめたいんだけど。
『やめたいけどやめられないっていうのは、心が助けを求めてる証拠じゃないの?』
何で、こうなっちゃったかなあ。私、なんか悪いことした? 何でこんな変な子になっちゃったの? ただ普通に恋愛するってだけのことで毎回毎回……。
『3匹のドブネズミのせい。あなたは運が少し悪かっただけ。あなたは何も悪くない。』
自分が悪くないことくらいわかってるよ。だから余計に腹が立つんでしょ。悪いことした? ってのは反語だよ。読み取れよそれくらい。理不尽にドブネズミに好かれて小便かけられて病気もらって、運が少し悪かった? 慰めるならもっとしっかり慰めてよ。何回このやり取りしてんのよ。少しは学んでよね。
『……。』
あ、消えた。
孤独が何重にも身を包む感覚がする。
家族、両親健在。友達、親友が数人。恋人、なし。
恋人、なし。これだけで人生が一気に寂しい。愛情の一種類を欠いているんだから当然だ。世の中には本気で恋人が要らないって人がいるみたいだけど、素直にすごいなと感心してしまう。きっと、それどころじゃなく夢中になれることがあるんだろうな。それに比べて私ときたら、過去の悪夢ばっかり考えて、なんて惨めなんだろう。
今、夢は? って聞かれたら、迷わずに「お嫁さん」って答える。「お嫁さん」っていうのは、私の中ではただ結婚ができた女の人って意味じゃなくて、旦那さんにあったかく守られて愛されまくって大切にされる人のこと。私は切実に、優しい男の人と一途に愛し合って、あったかい家族を築きたい。
でも現実は夢と逆行して冷たくて、夢を叶えようとするたびに過去と内なる自分が邪魔をしてくる。私に呪いをかけて、動けなくしたり、頭を振らせたりする。
毎回抗えずに、マリオネットになっている私も私だ。こんな理不尽な過去、踏み潰して歩き出さなきゃいけないのに、一歩が出ない。目を隠している自分の手をどかして、すぐそばにあるあったかい風に飛び込めばいいのに、動かない。
助けが必要なのはよく分かってる。病院に行けば、きっとPTSDの診断を受けるだろう。プール事件は三つの災厄の中でも一番強く心臓の鼓動を速くして、呼吸を妨げる。
でも思うのは、医療費は私持ちだよねってこと。なんで傷ついた側がお金払わないといけないの? 冗談で言ってるんじゃないんだよ。なんで苦しんで稼いだお金、使わなきゃいけないの? ドブネズミが払えよ。この令和の時代、犯罪被害者ですら加害者側に支払能力が無くて十分な賠償を受けられないって新聞で読んだことがある。本当に世の中腐ってるよ。何で被害者ばっかりが苦しまなきゃいけないの? こんなの国も加害者だろ。法律なんとかしてよ……。
国会議員になってみる?新法案とか改正案提出してみるぅ?
できるわけねーーーだろ。まずハタチだからあと5年は被選挙権ねえし!
そういう人間を呼び寄せるのは自分の責任なんじゃないかって思ったこともあったけど、違うんだよね。だって普通に良い人だって寄ってくるもん。ただモテるだけ、いろんな人に。その中にたまたまドブネズミが紛れ込んでただけで、私は綺麗に可憐に立ってただけで、何にも悪いことなんてしてない。可愛いって諸刃の剣なんだよなあ。そう思えるだけ私は強いし誇りに思うよ。ここで自分が悪いに折れちゃったら、いよいよ終わりだから、絶対に私は折れたりしない。
あ、佐倉くんからラインきた。
『やめたほうがいい』
うるさいな!もう邪魔しないで。
『脇汗止まらないくせに。返信打つ手も震えてるくせに』
何も感じない人間にはなりたくないの。汗臭いほうがマシ。もう出てこないで。
『このまま佐倉くんと付き合ったとして、病気はどうするの?』
知らない。まだ付き合うか決めてないから黙っててよ!
『……。』
あ、また消えた。
心にギャルとか芸能人飼うブームあるけど、私の心は不本意ながら呪いばっかり吐く内なる私で埋まっちゃってるんだよね。触れないから追い払えないし、本当に厄介な悪霊だよこいつは。
だいぶ彷徨ってるよね、私。明るいとこと暗いとこを行ったり来たり。情緒不安定って思われるかもしれないけど、行き来できるだけで国民栄誉賞受賞レベルに偉いから私。だって暗いとこ一点で留まってるよりマシでしょ? 明るい方に行こうとしてる努力、買ってよ、これ読んでるあなただけはさ。
それでついででいいからさ、背中をちょっと押してほしい。佐倉くんに向き合うために。
「……マジ?」
スマホを見ながら独り言をいったのは初めてだった。
素早くアプリを立ち上げ、急いでXの投稿を見る。え、何? 何が起こってるの? 無機質に流れる文字列の内容は、あまりにもひどい。
息を乱しながら、恐る恐る、検索マークをタップしてみる。
……ああ、やっぱり、お祭り騒ぎになってる……。
♯海野夕凪
♯ドブネズミ
♯佐倉侑士
♯熱愛
検索ページのトレンドは、私の大好きな女優、海野夕凪が炎上していることを予感させた。喉をゴクリと鳴らして、一つ一つのタグを開いてみる。パッと表示されたつぶやきの数々は、予想を裏切らなかった。
誤爆した?
海野ゆな本性やば爆笑
読みづらい。文章ヘタクソすぎ
誰も女優になってなんて頼んでなくて草
ご乱心? 事務所と揉めた?
可愛いから何でもいい
いくら美人でもこれはキツい
なお恋愛経験なくても非処女は確な模様
いやドブネズミてwwww
ほとばしるクソビッチ感すき
ビッチと言うよりはぴえん界隈
これドブネズミたちって、本名ですか? だとしたら、誹謗中傷に、なるのでは?
佐倉くんって確実に佐倉侑士で草。この前共演してたじゃんね
佐倉オタ泡吹いてそう
背中押しても何もすでに両思いじゃん。キモ。海野ゆな消えろ
死ね死ね死ね死ね死ね死ね
佐倉侑士もろとも地獄行き
これ佐倉の事務所大丈夫なん?w
昔いじめとかしてそう
してたよ。地元じゃ有名
引退確定演出入ってて草
よかったね望み通り女優やめられるよ!
ひどい。
今まで誰かが燃えるたびに何の感情もなく見ていた好き勝手な罵詈雑言のテンプレート。それが自分の推しに向けられた途端、全身の血の気が引いて、震えが止まらなくなった。
寒い。足が、指が冷たい。低血糖の時みたいな、脳にもやがかかって、指が震えて、耳が遠くなって、だんだんと現実から切り離されていくような、あの恐ろしい感覚が一気に襲ってくる。
夕凪ちゃん……これは何?
朝イチで送られてきたXの通知。もちろん夕凪ちゃんのつぶやきが更新された時の自動通知だ。寝ぼけ眼で文字を読んだら、そこには「女優になんてなりたくなかった」というつぶやきと共に、数枚のスクリーンショットが添付されていた。夕凪ちゃんが書いた文章みたい。それでもしかして引退宣言!? って開いたら……。
ドブネズミって何? 夕凪ちゃんはそんな言葉遣いしないじゃない。凛としてて知的で、インタビューにもいつも難しい言葉でさらっと答えて、とても若手とは思えない、さすが実力派って絶賛されていたのに。
怒った顔や真顔やアンニュイな顔が和製ブルックシールズっぽくて、気高くて儚くて……。誰が見ても特別な女の子で、憧れの的で……。
絶望で目の前が暗くなりかけた時、また通知が来た。唇をきつく結んで、心構えをして、スマホを見る。
「続き」
やっぱり夕凪ちゃんの更新だ。「続き」って、さっきの文章の……? 今度は何? 何を見せられるの?
見たくないのに、見たい。今まで、ウィキペディアやまとめサイトが作られてもすぐに消されて、夕凪ちゃん自身もプライベートな質問には一切答えてなくて、若手実力派女優としての海野夕凪の顔しか知らなかった。それがミステリアスでクールで余計に憧れたし、自分を安売りせずに、女優として勝負の舞台に上がっているところがすごくカッコよくて、誰が見ても唯一って言える存在だった。
そんな夕凪ちゃんの、心の中。それを覗けるチャンスに、喜べばいいのか、悲しめばいいのか分からない。分からないのに、覗きたいと思ってしまっている。感情を、脳を振り回されて、もう何が何だかよく分からないまま、気づけば「続き」を食い入るように読んでいた。
さっきのは、ちょっと前に書いたもの。今回は、私が女優になったきっかけの話。
私が芸能界に入った理由は二つ。一つはこれ以上ドブネズミの被害に遭わないため。簡単に言えばキモいバグった野郎から身を守るためね。公人として事務所に守ってもらわなきゃ、将来どんな目に遭うか分からなかったからだよ。今私が無事に生きてられんのは売れっ子女優になったから。売れっ子じゃないと事務所は本気で守ってくれないでしょ? だから私めちゃくちゃ努力したんだよ。別になりたくもない職業で、競争の激しい現場で勝ち抜くために、死ぬほど努力した。
もう一つは、3匹のドブネズミと国に復讐するため。ドブネズミたちの所業は昔のことすぎるし、正直裁判じゃ勝てる自信なかった。法整備がそこまで進んでるとは到底思えないし、自分が議員になって変えるってこともできない。ツイッターに投稿するとか、新聞に投書するとか週刊誌に持ち込むとかも考えたけどさ、結局そういうのって書いた人にネームバリューないと採用されないし、誰にも届かないじゃん。名無しの権兵衛の不幸話、誰も興味ないっしょ? 自殺して遺書残すくらいの気概ないと社会も知らんぷりじゃん。私には自殺するのだけは怖くて嫌だったから、本当に悩んだ。どうすればいいのか分からなくて死にたい夜はいっぱいあったけど。
そんな時に、たまたま出会ったのが芸能のスカウト。18の時。あーこの手があったかって思った。芸能界に通用する顔に産んでくれた両親には本当に感謝しかない。この武器がなかったら私はマジでドン詰まってた。スカウトの名刺もらった時、決めたの。めちゃくちゃ有名になって、名無しの権兵衛脱却して、誰もが私の言うことに興味持つような女優になろうって。モデルとかタレントの道もあったよ。でも女優の方がちょっとは海外に出るチャンスもあるかなって思ったから女優にした。日本だけに叫びが届けばいいとは思ってない。私みたいな思いをする女の子って世界中にいるはずだから、少しでも多くの人に見てもらえる女優になることにしたの。少しでも多くの国の法律が女の子に優しくなりますようにって、そんな影響力が欲しかった。
夕凪ちゃん……。
どんな地獄の文が続くかと思ったら、夕凪ちゃん、何? 全然クールなんかじゃないじゃん。めっちゃ熱くて弱くて打算的で努力家で優しい女の子じゃん。私が憧れて、好きだった夕凪ちゃんじゃないけど、よっぽどこっちの本当の夕凪ちゃんの方がカッコいいよ。 勝手に和製ブルックシールズなんて呼んでいた自分が、急に恥ずかしくなった。夕凪ちゃんは夕凪ちゃん。一人の女の子が、過去への復讐のためにたった2年でトップ女優に駆け上がった裏には、青ざめるような苦労があったに違いない。そう思ったら、自然と涙が溢れてきた。
ティッシュ、と思ってスマホをローテーブルに置こうとした時、手が滑って思い切り床に落としてしまった。画面を心配しながら急いで拾い上げた時に視界に飛び込んできたのは、夕凪ちゃんのつぶやきへのリプライだった。
私可愛くてよかったって話?
悲劇のヒロイン気取りすぎ、、、、、
革命家だね(褒めてない)
根に持ちすぎやろ。笑笑
私も、昔、好きな子に意地悪してしまう、悪ガキでした。許して、くださいね。男の子というのは、そういう、生き物なんです。
男に変な偏見植え付けるのやめてください
努力語るのってぶっちゃけダサいよ
拾ってくれた事務所裏切って最低だね〜
喉がガッ……と音を漏らした。自分でも聞いたことのない音、体験したことのない気持ち悪さ。
こいつら、この文章読んで、何でこんなこと本人に言えるの? どう考えても悪いのは夕凪ちゃんに加害した男で、夕凪ちゃんは被害者だろ。傷負って、その傷のせいで女優にならざるを得なかった、人生を本当の意味で選べなかった夕凪ちゃんに、何でこんなひどいこと言えるんだよ!
思考は途中から咆哮に変わっていて、私は部屋で一人泣きながら絶叫して震えていた。不思議で体触りの悪い時間だった。心臓は軋むように痛くて、頭はピンク色が抜けていくような感覚、鼻水が唇に垂れて痒くて、ラグを握りしめる手のひらは摩擦でヒリヒリした。
私の何倍も夕凪ちゃんは傷ついてきて、今もきっと傷ついている。どうか消えないで。死なないで。ドブネズミなんかに殺されないで。熱い涙の溢れたラグを握りしめながら、私は必死に祈った。
しばらくそうしていたら、また通知が来た。
「続き2」
このスピードで更新してるってことは、夕凪ちゃんは前から密かにこの物語を綴っていたんだと分かる。文章が下手なんて言われてるけど、全然そんなことないよ。一生懸命考えて打ったんでしょ? 忙しいスケジュールの中でも、華やかな世界の中でも、流されずに、眩しさにくらまずに、冷たい自分の芯を忘れずに今日が来るのを虎視眈々と待ち続けていたんでしょ? 本当、カッコいいよ、夕凪ちゃん。
私は鼻水をかんで、大きく深呼吸をして、大体の体の気色悪さをとってから、夕凪ちゃんの思いのつまった文章に向き合った。
今回が最終回。最後は、報告を色々しようと思う。
私、キース・ヘリングの「沈黙は死」って作品が大好き。作品が作られた背景、へリングの思いに強く共感する。みんな、沈黙は死だよ。体験したから分かる。今日この文を公開する瞬間まで、私は死んでたの。私の本名は田口百子。その間生きてたのが海野夕凪。でも今日で海野夕凪は死んで、田口百子が生き返る。
ファンの皆さんには、申し訳ない思いはもちろんある。海野夕凪を愛してくれたこと、本当に感謝しています。でも一番伝えたいのは、田口百子を生き返らせるチャンスをくれたこと。皆さんがいなかったら、私は傷の膿の琥珀になっていました。本当にありがとう。
そして、報告したいことが一つ。佐倉侑士さんと結婚することになりました。彼は海野夕凪ではない田口百子を愛していると言ってくれました。双方の事務所とはすでに協議済みです。
ファンの皆さんには、何もかも私の勝手に物事を進めてしまい、改めて謝罪申し上げます。大変申し訳ございませんでした。
私の生き方ややり方は、多くの方にとって不快なものだと思います。でも、恨まれても仕方ないとは思いません。自分だけは自分を「恨まれて仕方ない人間」だと思いたくないので。批判のリプライは、気がすむまで送ってください。ただ、目を通すことは一切ありませんので、ご了承ください。
私の一連の行動を「おかしくなった」「狂っている」とご心配頂くかもしれませんが、大丈夫です。私は正気です。ドブネズミへの復讐は叶いましたし(もちろんドブネズミたちの名前は本名です)、この国の遅れた被害者救済の結末をありありと見せ付けられたと思いますから、満足です。
もうすでにお察しのことと思いますが、本日をもって海野夕凪は芸能界を引退し、一般人に戻ります。
でも日本にはいません。一生海外を転々として生きていきます。愛する旦那さんと一緒に、ドブネズミの魔の手を逃れるために。
それじゃあ、皆さん、私のいいところはなぞって、悪いところは決して真似せずに、自由に生きていってね。
最後に贈り物を。みんな、沈黙は死だよ。それで、琥珀は死の宝石。人間に都合のいい宝石。みんな、琥珀にならないで。お願いだから、宝石なんかにならないで。
もはや私の涙はとめどなく、顔を覆う両手の隙間から流れ落ちた。
夕凪ちゃんはすごい。夕凪ちゃんの生き様こそが、一本の映画みたい。弱ってた自分を鍛えて、演じて、常人にはできないやり方で敵をぶっ飛ばして、欲しかった愛を手に入れて、希望のバトンを渡して、本人は何の未練もなく去っていく。
夕凪ちゃんはただの女優じゃなかった。ヒーローだったんだ。どうしよう、私もっと夕凪ちゃんが好きになっちゃったよ。夕凪ちゃんが、百子ちゃんが幸せになって嬉しいはずなのに、苦しくて涙が止まらない。
でも、こういう時、どうしたらいいのか、たった今夕凪ちゃんが教えてくれた。
私はまた大きく深呼吸をする。そして、夕凪ちゃんの一連のつぶやきをタップして、リプライを綴った。
「夕凪ちゃん、おめでとう。実は私も、小学生の頃に仲の良かった男の子に顔を蹴られたことがあったの。理由は多分、夕凪ちゃんと同じ。夕凪ちゃんの告白読んで、あの男の子を許せない気持ちが蘇ってきて苦しい。夕凪ちゃんへのリプライも、酷い言葉しか目に入らなくて辛かった。でも、苦しいけど、私も夕凪ちゃんみたいに立ち向かうことにした。今から連絡網探して、そいつん家に電話する!」
そう送信してすぐ、ピロンピロン、と複数回通知が鳴った。
やっぱいるんだ、わたしと同じ体験ある人
応援してます! 負けないで
あなたは怒っていい。相手は謝るべきです。
あなたはひとりじゃないよ! ファイト!
私も黙らない!! 死なない!!
その後も通知は止まることなく、私のリプライに繋げる形で、こんなハッシュタグのつぶやきが大量に生まれた。
♯私たちは宝石になんてならない
宝石なんかにならないで 花鳥あすか @unebelluna
★で称える
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