科学で恋は証明されているが実験は行われる。

ゆっくりシン

第1話 出会い

 四月。桜が舞い散るこの季節は新生活のスタートの時期である。

 とある高校でもそれは当然訪れており、新品キラキラで変な癖もついていない制服を着た若干幼さの残る顔立ちの新入生はこれからの青春に思いを馳せながら校内をうろついていた。

 今は入学から一週間ほどが経過してまだ高校生活に慣れてない微妙な時期である。

 ある者はさっさと帰宅し、ある者は友達との交友を深めようと邁進し、ある者は自身が気になる部活動へ見学に向かっていた。

 そして、とある校舎のとある教室前にも一人の男子生徒が立っていた。


「ここ、だよね……?」


 心配そうな表情で室名札を見ながら呟く。

 まだ校内のどこに何があるのかを把握できていないのもあるが、少年がここに足を運んだのには別の理由がある。

 少年は恐る恐るといった様子で戸をノックしてから「失礼します」と声をかけて静かに開いた。


「……誰も、いない?」


 室内をグルリと見回すがそこに人の気配はない。

 どうするべきかと思案していると、すっと少年の横を通り抜けて誰かが室内へと入っていく。

 反射的にその人影に視線を向ける。


 艶やかな黒い髪と少し汚れの付いた白衣を靡かせながら堂々と歩く女性。


 少年にはその姿に見覚えがあった。

 恐らくは新入生で知らない者はいないと言っても過言ではない人物だろう。

 常に制服の上から白衣を羽織っている変人。既に学年中であれやこれやと噂になっている人物だ。

 視線を向ける少年とは裏腹に、彼女は少年に一切の意識を向けない。文字通り『視界に入っていない』様子だ。

 その顔には感情らしいものを読み取る為の動きという物が見られず、良く言えば『無表情』。悪く言えば『張り付いたような』印象を与えてくる。

 少年は戸惑いながらも彼女に声をかける。


「あの、すいません……!」


 彼女はすたすたと歩く。


「すみませ~ん……」


 振り返らない。


「あの~……」


 ずかっと椅子に座り、持っていたカバンから本を取り出して読み始めた。


「あ、あのぉ~……」


「…………」


 へんじがないただのだっさいぎょのようだ。

 いや、なんでそんな事を考えているのだ、とツッコミを入れる者も『獺祭魚』の使い方も意味も違う、というツッコミを入れる者も残念ながらいない。

 どうするべきかと戸惑う少年と、目の前の本にのみ意識を向ける白衣の少女。

 場は停滞し、先へと進むきっかけがどこにもない状況をどうにかできるような技量を少年は持ち合わせていなかった。

 仕方なく、その場から去ろうとした瞬間、


「お! 入部希望者か!?」


 背後からの声に思わず前のめりにスッ転んだ。

 慌てて振り返ると、そこには見覚えのある女性が立っていた。


「お? え~っと……、一年の・・・そうそう久我くがか!」


「え、えぇ・・・はい。久我優希ゆうきです……。えっと……」


「理科担当の平塚ひらつか静乃しずのだ」


 そう言って快活に笑うのは、本人の自己紹介そのまま、理科教員の『平塚静乃』であった。

 理科教員なのだが、なぜか本人はジャージを好んでおり、快活な性格と男勝りな口調も相まって初見では確実に体育教師だと思われている。

 少年・・・久我優希にとっては授業で数回会った事がある程度で名前を憶えられていた事に少し驚いていた。


「せ、先生……なんでここに……。って、ここ、理科室でしたね」


「正確に言えば実験室だな。理科教科での実験を行うための教室だ。久我はどうしてここに? 入部希望か?」


「あ、いえ……その、ですね…………」


 久我は今朝の事を回想する。

 いつも通りの朝だった。校門を通り、下駄箱で靴を脱ぎ、教室へ向かおうと廊下を歩いている時にある物が目に付いたのだ。

 目を向けた先にあるのは掲示板。校内新聞の他にもいろいろな部活の新入部員募集の張り紙が貼られている。イラストや写真で色とりどりに飾られている中に一つだけ異質な張り紙が貼られていたのだ。

 イラストも写真も何もない、白地に黒字で『新入部員募集 場所:第二実験室』とだけ書かれた張り紙。

 部活名も、部活動の内容も書かれていないソレがどうしても気になったのだ。

 そこにあるのはあくまでも好奇心、未知への興味であったが、久我に足を向けさせるには充分であった。


「……っという訳で来てみたら何も答えて貰えなくて困ってた所なんです」


「あ~、なるほど。まぁ、確かにアレじゃあ分からないもんなぁ」


 平塚は少し苦笑してから久我の疑問へ答えた。


「私が顧問を務めるこの部活の名前は“科学実験部”。部員が各々気になった分野の実験・研究を行う部活動だよ。……昨年度に大部分の生徒が卒業してしまってね、今はあそこで本を読んでいる彼女――――新見にいみ莉央りおが唯一の部員にして部長さ」


「な、なるほど。部室が理科室……じゃなくて実験室だったから理系の部活だとは思ってましたが、なんかそのまんまでしたね」


「だろうなぁ。実験室でスポーツなんてやる訳がないしなぁ」


 そう言ってカッカッカと爽快に笑う平塚を見ながら、久我は「顧問がその服装で運動系じゃない方にも驚いているんだよなぁ」という言葉を飲み込む。

 世の中には言って良い事と悪い事があるのは高校生に上がれば自ずと分かる常識だ。敢えてそれを指摘する事もないのである。

 さて、知りたかった事が知れた以上、久我にとってもうここに居る必要性という物が無くなってしまった。その為、軽く挨拶をしてその場を後にしようとした時、パタンと本を閉じる音が背後からした。

 何気なく振り返ると先ほどまで周囲へ興味関心を向けず本に見入っていた少女――――新見莉央が椅子から立ち上がりこちらへと向かって歩いて来ていた。

 先ほどと変わらず何を考えているか分からない表情のままであった。

 どこかへ向かうのだろうと思い、そっと横にズレて道を開けるが、新見は久我の前でピタリと立ち止まり、そのまま何気ない口調で言った。


「キミ、何か部活動に入る予定は?」


「え、はえ……?」


 突然の質問に久我が戸惑っていると新見は表情を変えずにもう一度言った。


「キミ、何か部活動に入る予定は?」


「決まっていませんが……」


「それじゃあ決定だ。キミ、科学実験部に入ろう」


 さも当然のように、それが当たり前かのように新見は言う。

 久我を真っ直ぐな瞳で見つめながら、一遍の淀みも無いままに。


「そ、そんな事突然言われても困りますよ! 俺、化学とかそういうの良く分かりませんし……」


「誰だって最初は分からないのは当然だろう? 触れて学べばいい。ほら、何の問題もないじゃあないか」


「そういう問題じゃあなくて……」


 思いの外、ぐいぐいと来る新見に久我は押されながらもなんとか誘いを断る言い訳を考える。

 そもそもが帰宅部の予定で、好奇心で足を運んだだけなのだ。何とかここを立ち去ってもう寄らないようにする。それだけで話は済む。

 久我がぐるぐると頭の中で言葉を組み立てていると、新見がフと何かを思い出したように置きっぱなしにされていたカバンの下へと行き、白紙とボールペンを持ってきた。


「キミの名前を聞き忘れていた。ちょっとこの用紙に書いては貰えないだろうか?」


「え、あぁ、はい……」


 思考の隙間、予想だにしていない事に久我の脳は一瞬遅れた反応でそう答えると、渡された紙にボールペンを走らせる。

 つい反射的にやってしまった行動だったが、すぐに久我は言い訳の言葉を探す作業に戻る。――――ハズだった。

 久我の名前の書かれた紙を手にした新見が、まるで川を流れる水のような自然な動きで第三理科室の奥側に設置されているパソコンとプリンターの下へと向かっていた。

 そして、プリンターに紙を入れるとパソコンに何かを打ち込み、エンターキーを叩く。

 規則的な機械音が第三理科室に流れ、プリンターから紙が排出される。それを手に新見が戻ってきた。この間、僅か一五秒。


「入部届の完成だ」


「詐欺だぁぁぁああああああああ!!!!!」


 目の前に出されたソレを見た瞬間に反射的に頭を抱えて叫んでいた。

 新見が持っているのは、先ほどまで久我の名前のみが書かれた紙だった物。今は科学実験部へと入部する旨が記載された物へと早変わりしていた。


「正確に言えば『白紙委任状』。……『白紙の契約書』とも呼ばれる」


「確信犯だぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!!」


 堂々とソレを言い放つ新見に対して久我はそう叫ぶ事しかできなかった。

 そして、咄嗟に背後にいる平塚の方へと視線を向けた。・・・が、


「アイヤー、今日はいつにも増していい天気だなぁ」


「先生~! 超直近で明らかに法に触れそうな出来事が起こってるんですけどぉ~!」


「……偶然たまたま不思議な事に何も見てないし聞いていなかった」


 この人は味方じゃない。

 久我は瞬時にそう判断を下した。っというか、そうせざる負えない状況になっていた。

 一瞬で急速に株を落とした教員へと恨めしい視線を向ける久我の肩に手が置かれる。

 ゆっくりと首を回転させると、先ほどの表情を崩さぬままの新見がそこに居た。


「それじゃあ、詳しい実験内容については明日にでも話そう。じゃあ、頑張ろうか、助手くん」


「勝手に助手認定されたぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!??」


 本日三回目の叫びは虚しく消えていった。


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