第22話   すみれのワンピース


【すみれのワンピース】

 九月七日――四時三〇分頃 

 今日は行かないつもりで原稿を書いていた――。


 心臓が痛くなって来た。〈来い!〉というサインなのだろうか。

 こういう時は逆らわずに、ピンと来た通りに行動するのが一番だ。


 向こう側の世界に入ってみたが、霊魂はいなかった。

 ということは自力で入ったということなのか?

 ――だが、すぐに体が回転し始めた――


 ――イヤらしいことばかり考えているせいか――女体の幻想ばかりが錯綜する。

 勘違いされても困るが――たしかに俺はいやらしいが――これは作戦なのだ。

 R界入りは自力ではむつかしい。

 霊に引っ張り込まれるのが手っ取り早いが――自力ではいるので、妄想の世界で遊びながら三次元世界と四次元世界の中間にコンデイションを持っていかなければならない。

 とにかく三次元世界から意識を遠ざけなければならないのだ。

 なので俺の場合は――エッチな妄想なのである。


 ――回転がようやく収まったところで、

 セーラー服も見えてきたり、いくつもの女体が――まるでダッチワイフ(ラブドール)のように交錯していた。


 悩ましい声や、女のあえぎ声が聞こえて来たような気もする。


 女体が見えるのは、別に欲求不満というわけではない。

 ――女の霊が来ているらしい。


 肉体から抜け出して女の霊と思う存分交わりたかったが、呼吸状態が悪いのでもう少し我慢してようすを見ることにした。


 ――しかし……やりたい……――


 ――が、ここで下手なことをすれば、現実に戻ってしまうのは目に見えている。


 女体が俺の体にまとわりついて来た。

 ――まだ駄目だ――


 幻想を見ながらも――速いスピードで飛んでいるのがわかった。


 そのうち、大きな倉庫のようなところに入っていた。

 ――どうやら、幽体飛行は終わったようだ。


 倉庫の中には、ダッチワイフなのかマネキンなのか――人形が何体も並んでいた。


 時間がなかったので――適当に好きなのを選んで、その中の一つを選んだ。

 

 人形の手を取ると――まるで魔法をかけられたように――それが生身の女性に変身し、俺は彼女をエスコートするように優しく手を取り――いっしょに立ち上がった。


 スマートな体つきをした――清純そうな一七・八歳くらいの少女であった。


 彼女は良家の子女といった感じで――


 彼女は可憐で清純な少女だった。

 見た感じ――大切に温室で育てられた女子大生っぽく見えた。 

 ストレートの長い髪がよく似合う、スラリとしたプロポーションで、日本人にしてはわりと背が高いほうだ。

 彼女はうす紫色のシンプルな花柄のワンピースを着ていた。

 彼女の優しい性格が、浮き出てくるような色柄であった。


 俺は女の子の手を取り――その柔らかい手の感触を感じながら外に出た。

 お互いの気持ちが通じ合い、さっそく濃厚な親睦交歓しようということで、二人して寝転がった。


 俺はまだ早いかなと、一瞬――躊躇った。

 ――完全に幽体離脱してないのか、まだ呼吸が苦しく、セックスに専念できそうになかった。

 これでは現実に戻ってしまう恐れがある。

 ここはもう少し待って、完全に肉体から離脱しようと思った。


 ――前方に抜ければ、肉体から離れられるだろうと、思いきって大地を蹴った。

 飛行機が離陸するように――地上から離れていく。


 するとスーッと体が楽になり、肉体から幽体が離れていくのを感じた。

 まるで、重いコートを脱ぎ捨てたような爽快さだった。


 ――コンクリート塀を乗り越え空中に浮かび――空中をそのまま旋回――もとの方角へもどっていったが――どこへ行ったのか女の子が見あたらない。


 ――倉庫のほうに目をやると、女の子が諦めて帰っていたようだった。

 しょんぼりと頭〈こうべ〉をうなだれ、うつむいた様子で入っていくのが見えた。


 すると――少女の関係らしい一人の男が――慌てて女の子を呼びに倉庫の中へ入っていった。


 ――彼女は男に手を引かれて、照れくさそうに笑いながらもどってきた。


 「おい――戻って来たぞ!」

 「エ~ッ!恥ずかしい……」――といっているようだった。


 彼女は――今まで会った女の霊たちとは、少しちがった雰囲気を持っていた。

 それが何なのかはいまだにわからないが――良家のお嬢さん――もしくはもっと高い霊魂なのかも知れない。

♥霊魂――業界用語で普通の霊より格式が高い感じの霊として使われる。


 彼女は清純で穢〈けが〉れを知らない少女のようで――俺の毒牙にかかるにはちょっと早すぎるのではないか?


 ――俺はいつしか純情な少年の心を取り戻していた。

 大人な関係などとうに忘れ、少女とデートして見たくなった。

 一人でR界を巡るよりも――美しい花をたずさえての散策のほうがよっぽどいい。 


 俺は彼女の手を引き――塀を乗り越え舞い上がった。

 ――塀の外は河原だった――

 「わーい!こんな可愛い子とデート出来るなんて……」

 俺は心がウキウキしていた。

 日射しはポカポカと暖かく――まるでピクニックに出かけるような気分だった。

 女の子をしっかりと右脇に抱きながら――河原を進んでいった。


 ところが女の子の様子を見ると――なぜかひきつった表情をしている。

 顔がこわばっている。

 行きたくないようだ――何かを恐れている。

 あまり出歩いたことがないのだろうか。

 

 俺はさほど気にも止めなかったが――しかしそれは――これからの二人の別れを予感させるものだった。


 しばらく行くと、川の流れが俺たちの行く手を阻んでいた。


 小川など別にどうということはない。

 飛び越えればいいのだ。

 空中に舞い上がろうとしたのだが――なぜかこの時だけは体が重くなっていた。

 

 しかし、ここを避けては通れないらしい。川幅が二メートルもないので、人間でも楽々跳んで渡れる距離だ。 


 ――ここでついに事件が起こってしまった――


 さきに女の子を渡そうと思ったのがいけなかった。

 一緒に飛ぶにはどうも体が重くなっていた。

 なぜか俺には一緒に飛び越せる自信がなくなっていた。

 

 それでも無理して一緒に渡れば良かった。

 あとから悔やんでもしかたがない。

 霊の体は軽いから――難なく跳べるはずなのに――彼女はそのまま「ドボン」と水飛沫を上げて落っこちてしまったのだ。


 ――おかしい?――

 ――霊体の場合、一歩大地を蹴ると――五・六メートルは軽く飛べるのだから、落ちるはずはない。

 誘導霊が上から身体を押さえていたとしか考えられない。

 少女も何らかの力で引きずり落とされたのであろう。



 俺は慌てて助けに行くと――どういうことなのか――女の子が消えて男の子にすり替わっているではないか。

 ――あ然として見ているとその男の子が、今度は道案内に立って、俺の手を引いて山道を登っていった。


 ――ここが境界線だったのだろうか?――

 少女はここから先へは行けなかったのだ。だから険しい顔をして行くのを嫌がった。

 俺にとっては何気ない美しい風景であったが――なにかがあったのだろう。


 少年はオカマっぽい顔立ちをしていた。

 だれか――他の霊にすり替わったのだろうか?


 彼女のひきつった表情は――俺との最初にして最後の出会いを悲しんでのものだったのだろうか。

 恐らくはもう二度と会えないかも知れない。

 少女はひょっとしたら俺との凹凸を望んでいたのかも知れない。


 ――しかし、それは一瞬で消え去ってしまった。一夜のロマンスは消えた――



 ――少女と別れてからも、まだまだ異次元体験は続いた。


 ここから先は小さな沢になっていた。

 急な斜面の雑木林を縫うように、ちょっとした渓流が流れ落ちている。


 俺は男の子に手を引かれ――何段もの小さな滝を形造っている渓流を――どんどん上へと登っていった。


 ――山の尾根に着いた。

 すでに男の子はいなかった。


 山の反対側はうって変わって――なだらかな斜面となっていた。

 

 植樹してまだ何年もたってないような、背丈ほどの松の木がたくさん生えている。

 枝が目に当たりそうな松の木の間を抜けようと――ジグザグに縫いながら下へと下って行った。


 たくさんの松の枝をくぐり抜けて行かなければならないので――魂の緒が引っかかって死ぬんじゃないかと――そればかり心配しながら下りていった。


 しかし、俺はまだ一度も魂の緒を見たことがない。

 本当にあるのかさえわからない。


 ここで一本の木も生えていない開けた野原に出た。


 ――ここから先――とんでもない光景を目の当たりにするのだった。



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