第十四話 ムラサキカガミ ④
平野さんに『みどりさんについて聞きたい』と連絡するのは少し緊張したが、意外にもあっさりと彼女は了承してくれた。事務所に行く前に大学に寄っていきますと連絡すると、愛理さんからは『碧くんから朝のコールがないから心配』と返信があった。
大学は変わらずガヤガヤとにぎわっていて青春の喧騒が僕の侵入を拒む。明るくキラキラとした空気の壁を前に、つい大きなため息が出てしまう。SF研の部室は大学の中でも普段行かないところにあることが不幸中の幸いだった。
朝のSF件はこの前のミステリアスな雰囲気と打って変わって極めて普通の教室という印象だ。閑散とした教室の中で一人、平野 翔子がノートPCを一心不乱に叩いていた。
「あの……平野さん?」
「んそっ!?」
彼女はさっきまで僕に気づいていなかった様子で、声をかけると身体が大きく揺れる。
「あーもう約束の時間でしたか!こいつは失礼しやした」
「こちらこそ急な連絡だったのにありがとう。正直ダメでもともとだったから」
「ちょっと前に碧にも確認したら阿形さんは大丈夫って感じだったんで、シクロヘキサンに乗った気持ちでどんとこい超〇現象!」
平野さんが胸をどんと叩き、ノートPCを閉じる。
「それで碧のことだったよね。今度はどんなことが聞きたいんす?」
鼓動が早まる。辛いことだが、2人のためにも言わなければいけない。
「み、碧さんと……犬神憑きの間に何があったのか教えてほしい」
「それ、冗談で言ってないよね」
彼女の声が急に低くなって僕は全身の産毛が逆立つのを感じた。刺すような視線が僕を貫く。
「あの子の古傷を抉るような真似はウチにはできません。やめてもらえませんか」
「ごめん、でもこれは譲れない。今の碧さんにとってプラスになるようにする。それは約束するから」
「そいでもできません」
緊張で震える僕の声と対照的に、ハッキリとした彼女の声色からは明確な拒絶の意志を感じる。しかし平野さんのその反応はつまり高校の頃、碧さんに犬神憑きに関する何かがあったということを僕に伝えていた。
「お願いします」
「頭を下げても無理す。こればっかりは勘弁してください」
彼女の意思は固く、梃子でも動きそうにない。これは何をやっても厳しそうか……と諦めかけた時、後ろから聞きなれた声がする。
「僕からもお願いしたい。理人くんに話してくれないかな」
振り向くと、入口から碧さんが顔を覗かせていた。いや、『僕』と言っていたし蒼さんかもしれない。
「みどり……?」
平野さんも驚きを隠せない様子だ。
「うん。顔出せてなくてごめんね。久しぶり」
「久しぶり……。つか話してほしいってどういう事、いいの?」
「理人くんが必要だっていうなら全部話してくれて大丈夫。僕よりもひらしょーの方が冷静にものを見れてただろうし」
「みどり……」
蒼さんが僕の方を一瞥する。昨日の打ち上げで僕は告白を断ると決めた。そんなことも露知らず、彼女はまた僕の味方であろうとしてくれている。
一方の僕はなんだ。また僕は彼女を利用しようとしている。かといってここで断ればそれは彼女のためにならない。
まるで論理と倫理の袋小路だ。進むには彼女の気持ちを踏みにじまねばならず、道を戻れば彼女に協力しないことになる。
「じゃあ、話すよ。碧は……聞かないほうがいいよね」
「……うん。頃合いをみてまた連絡するよ」
「おけ」
「久しぶりにひらしょーの顔が見れてよかった」
「ウチも。またね」
多くの言葉は交わさなかったが、確かに2人の間には信頼と友情があった。蒼さんと別れたあと平野さんがこちらを向く。先ほどまであった拒絶するような険しさはもうなくなっていた。
「そいじゃあ場所変えましょうか。部室だと他の人が入ってコンタミしちゃうかもしれないんで」
「わかった。ファミレスとかでいいかな」
「近くに個室がある軽食屋を知っているのでそこにしましょう」
「ドラフトチャンバーは実験の基本だね」
「おおぅ。なかなか言いよるっすね」
「平野さんには敵わないよ」
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「軽食屋というより喫茶店な感じなんですね」
「そす。やたら大きいカツサンドややたら量の多いデザートが売りなんす」
軽い気持ちで頼んだエビカツサンドのどっしりとした重厚感に思わず冷や汗がでる。夕ご飯はスキップしてもいいかもしれない。
ドカッとおかれたメロンソーダの大きなグラスをすぐにつつきながら、平野さんが本題に入れと言うように僕の方を見る。
「えっと、それで……碧さんと犬神憑きにどんな関係があるのかな」
「その前にまず、阿形さんはオカルトとか信じます?」
「えーと……信じないって程じゃないけど、科学的に証明できないことだって世の中に沢山あると思ってるよ」
平野さんが僕の目をのぞき込むように乗り出す。試されている感じがして少し喉が詰まる。抵抗して彼女の目を見つめ返すことだけしかできなかった。
「んーーーーまぁ及第点、体心立方格子構造ぐらいはあるすね。それじゃ本題すけど」
本題の一言に思わず唾を飲む。彼女は世間話でもするかのようなテンションで話し始めた。
「『奇々怪々!逢魔ヶオカルト倶楽部』ってTV番組ご存じですか?」
「聞いたことはない……かな。深夜番組か何かかい?」
「ウチらの地元のローカル番組の、おっしゃる通り深夜番組っす。まぁたまたまウチらの学校で流行ってたんですけど」
そう話しながら、ジロロ……と彼女はメロンソーダをあっという間に飲み干した。僕も負けじと山盛りのエビカツサンドに食らいつく。
「そいでウチらが高校生の時、犬神憑きについての特集があったんす。そこからでした。あの子に対する差別や偏見が始まったのは……」
「そんなひどい特集のされ方だったの?」
僕のエビカツサンドを一切れ取りながら彼女が話す。表情は普段通りそのままのに、その目に光はともっていない。
「内容自体は特になんとも、って感じです。Wikipediaで調べたら出てくるような情報にちょいっと地元の歴史の内容を混ぜた感じで。問題は犬神憑きのための儀式を特集したこと」
「儀式?」
「そす。今でも覚えてるっす。『犬神憑きになるには犬を生首だけ地面から出してみんなの前で飢え死にさせる儀式をする』だなんて報道しやがりやして」
そんな猟奇的な儀式、現代で許されるものだろうか。
「もしかして碧さんもそういう儀式をしたって疑いが?」
「ええ、そりゃあもう。でもハッキリいいます、あの子はそんなこと絶対せん。あの子は頼まれてもないのに学校の世話をするし、そのために図書室でダメな食べ物や育て方も調べるような子っす。動物を傷つけるような真似は絶対しません」
それは僕の印象とも合致する。
「儀式で犬を殺してるぞってイジメられたってことかい?」
「それだけならまだ……イヤそれもダメなんですけど、あの子が世話してたウサギや亀・メダカたちも殺そうとしてるんじゃないかって嫌疑が立っちゃったんです。正義の学級委員さまが火のない所に煙は立たぬって言い出して、お世話することを禁じたんです」
「そんなことしたら猶更……」
「はい。それが更に『ホントに生贄にしようとしてたんじゃないか』って状況証拠になっちゃったんです。疑いに根拠ができた時の子供は怖いっすよ。自分たちに正義があると信じて色んな酷いことをしまくりやがって」
彼女のイジメの証拠をまとめた書類が頭をよぎった。あの数々の暴行が正義の名のもとに行われたと考えるだなんて度し難く、吐き気がする。
「正義はの鉄槌ってのはただ振り下ろされるだけで、誰も救ってはくれません。せめてウチだけでも一緒に『悪者』になれってあげるべきだったのに……」
つまり平野さんは見ていることしかできなかったということなのだろう。でも学校という閉鎖空間で孤立することの恐怖は僕だってよく知っている。
「イジメに割って入ることなんて並大抵の覚悟で出来るもんじゃない。平野さんが責任を感じる必用はないと思うよ」
「慰めの言葉だとしてもちょっと嬉しいです。でもウチは自分を許しちゃいけないんです。傍観することはイジメを黙認することと同じなんす。ウチのしたことはイジメへの協力です」
彼女はその後悔からずっと自らを責め続けているのだろう。誰も許してはくれない、償うこともできない、そんな暗闇の中に自身を閉じ込めているんだ。
「でも、碧さんは平野さんのことをイジメの共犯者だと思ってはいないよ。これだけはハッキリ言える」
「何を根拠に、軽々しく言わんといてください」
「根拠はある。碧さんとの約束だから詳しくは言えないけど……碧さんが平野さんのことを恨んでないって証拠があるんだ。だから自分のことを責めすぎないでほしい」
そうだ。脅迫リストでは平野さんは×印、脅迫の対象じゃないってことだ。それはつまり碧さん、もしくはムラサキは平野さんを責めるつもりはないって事だ。
「その言葉、信じていいんですか」
平野さんは俯いていて表情は読めない。
「信じていい。ごたごたが肩付いた後もし碧さんがいいっていうなら、その証拠だって見せると約束すr」
「嘘だったら本気で絶交ですからね」
もうすっかり涙声だ。平野さんが落ち着くまでに僕はエビカツサンドを片付けることにした。
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「年甲斐もなく泣きじゃくっちゃって、すんませんでした」
「こちらこそ、辛い話をさせちゃってごめんね」
「いえいえ。誰かに話せる機会もなかったもんで、正直めっちゃカチオンな感じす」
テーブル越しにお互いぺこりと頭を下げる。頼んだ料理もすっかり片付いて、あとは会計を残すのみだ。
「それに碧が信用していいって言ったことも、ちょっとだけわかりました」
「2人が言うほどじゃないと思うけど、素直に受け取っておくよ」
ニカっと平野さんが笑う。やっぱり平野さんにはこういう笑顔の方があっている。2人もこのまま元通りの関係になればベストなんだけど。
会計を済ませて解散しようとする直前、平野さんが少し気になることを言った。
「改めて碧のこと、よろしくお願いします。イジメにあってからあの子、すっかり人が変わってこそこそ顔色をうかがうようになっちゃったんです。阿形さんが一緒なら、元の元気な感じを取り戻せると思います」
「まるで碧さんがもともとは違う性格だったみたいな言い方だね」
「そーなんす。実はあの子もともと王子様系だったんですよ。かっこいい感じで女子にも人気あったんですよ。にへへ」
彼女の笑顔とは裏腹に、その一言で僕の思考は混乱の渦に飲まれた。
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