僕ト僕ノ物語【異能編】

文月

クロカワドッペル「壱」

 きっとそれは現実の出来事である。

 ある日俺は、僕になった。

 おかしな言い回しであるが、これは起こったことを有り体に著した正しい表現なのだ。

 高校一年の冬、春休みを目前としたその日、学校の屋上へ続く旧高校男子校舎三階の階段の踊り場に置かれている大鏡の前、鏡に映ったのは僕ではなく黒川真宵くろかわまよいだったのだ。

 当然その時僕は彼女に会ったこともなかったし、知らなかった。

 だけどなぜか名前を知っていた。

 今思えば、僕がに出会っていたのはもっとずっと前の事だったのだろう。

 これから綴るすべての物語はその翌日、彼女「黒川真宵くろかわまよい」が私立ラーサル学園に転校してきた時点から始まった話である。


 僕はその日いつも通り調子で学校に登校し、席についていた。

 その日は何でも、女子の転校生が来るという話でクラス内は大いに沸き立っていた。


「席に着け、ホームルームを始めるぞ」


 担任の教師「遠藤京谷」数学の教師兼バレー部の顧問を務める28歳教師である。

 愛称はえんどー先生、別称は助平すけべい先生である。

 なんで教師にそんな不名誉極まりない別称が付いてしまっているのかというと、なんでも助平先生は、スタイルと顔のいい女子を見かければ出合頭にスリーサイズを聞き出し、自身の整った顔立ちを利用して女子を口説き始める――なんていう噂が立っているためだ。

 当の本人は全くもって事実無根であると主張しているのだが、実際、顔良し性格良しスタイル良しのイケメン教師が年度初め最初の授業で中学男子生徒顔負けの下ネタトークをかまし始めれば、そんな噂を立てられても仕方がないというものだ。

 だがまあ、この教師に関する掘り下げはこれ以上あまり重要でないので、退屈なホームルームが終わるまで場面を進めるとしよう。


「今日、このクラスに転入生がやってきた。入っていいぞ」


 彼がそう言うと教室前方の扉が静かに開き、彼女が入ってきた。

 黒川真宵、昨日鏡の中に現れた謎の少女がこの学校、この学年、このクラスに転校してきたのだ。


 「黒川真宵くろかわまよい、高校二年好きなことはゲーム」


 ……あれ?終わり?ずいぶんあっさりとした事項紹介だ。それに女子なのにゲームが好きとは意外である。


「ええと、他にはないのか?」


「ないです、あとそのいやらしい目つきで私を舐め回すように見てくるのやめてください。ぶっ殺しますよ」


「あら、ばれたか」


 助平も助平だが、黒川の方も大概だ。

 いくら助平相手とは言え、今日出会って間もない教師に「ぶっ殺す」なんて言葉が普通出てくるものなのだろうか。


 だが、今僕が体験している不可解極まりない現象の前ではそんなことは些末な問題である。

 彼女の事は知っていた、なぜ知っているのかは自明である、もちろん鏡の中に彼女を見たからだ。

 だがなぜ、彼女が鏡に映ったのか。なぜ彼女の名前を知っているのかが全くもって謎なのである。

 そんな僕の困惑とは打って変わって、彼女を今初めて見たクラスメイト達の視線は僕とは違う意味で彼女へ釘付けになっていた。

 その美しい整えられた銀髪のショートヘアーに白い光彩、儚げなその顔が持つ異様な雰囲気は一気にクラス中の視線を集めた。

 女子の転入生なんぞには全く興味がないとすかしていたクラスメイトも、女子が増えることをあまりよく思っていなかった女子生徒も、彼女に視線を向けずにはいられなかった。


「軽く自己紹介を……とも思ったが生憎時間がない、気になるなら各々黒川へ聞いてくれ。席は白河の横の空いてる席に座ってくれ」


 いやおかしい、そこには昨日まで新庄が座っていたはずだ。

 そう思ってクラス内を見渡すと、昨日までそこに座っていたはずの新庄はクラスの一番前の右端の席に居座っている。

 理解できない――やっぱり何かがおかしい。

 そう疑問を感じたところでチャイムが鳴る。ホームルームの時間が終わった、次の授業までの十分間休憩である。

 チャイムが鳴るなり、教室の前で居心地悪そうに立っていた黒川が一直線にこちら目掛けて歩いてきた。

 その様相はまるでモーセの如く、彼女に一声かけようと群がる人々の群れをかき分け、それはもう一直線に。人やら机やら椅子やらはまるで無いもののように扱っていた。

 彼女は、僕を搔き分けて進むことなく、その足を僕の目の前で止めた。

 じっと僕を見つめるその瞳には、くっきりと僕の顔が移り込んで反射していた、それくらい近い距離だったのだ。

 しばらく、そのまま彼女は僕の顔をまじまじと観察した後、表情ひとつ変えないその無表情な顔で呟いた。


「白河翼……なんだか不思議な感覚」


「黒川、きみ昨日――」


 昨日の鏡の件を彼女に問おうとすると、彼女はそっと僕の口に指を添えて囁いた。


「その件は今日の放課後話しましょう」


 本来であれば、転校してきた超絶美少女に話しかけられ、天にも昇る心地の筈なのだが、不思議となにも感じなかった。


 まるで鏡写しの自分の鏡像と向き合っているが如く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る