EmberNight Journey
都 けーじ
第1話 出会い、或いは再会
「お前ッ! レオザンの軍人だったんだな!?」
曇天の空の下、緩くウェーブした赤髪を高い位置で結った褐色肌の大男が、青年にナイフを突きつけられていた。
「い、いや。俺はもうレオザンの軍人じゃ……」
「うるさい! お前らのせいで、この国は滅んだんだ! そのせいで、俺の父さんと母さんは……!!」
大男のショッキングピンクの瞳は困惑に揺れる。事実、この青年の言う通り、過去自分が所属していたレオザン帝国が敵対国侵略の中間地として、ここ、旧リストリア国を侵略しようと攻め入ったせいで旧リストリア国は滅んでしまったのだ。
「許さない。この国の屈辱、その身に味あわせてやるまで気が済まねぇ……!」
青年は金色のまつ毛に彩られた碧眼を怒りに燃やす。大男よりやや薄い褐色の肌には青筋が浮かんでいる。
「にーちゃん、落ち着いてくれ。アンタの仇のレオザンも、もう滅んでいる」
「落ち着いてられるか! 滅んだとて、レオザンは俺の仇だ! 戦争が俺の仇なんだよッ!!」
青年は曇天の中でも煌めく金髪を揺らし激昂した。
ナイフを仕舞う気配のない青年に、大男は細くため息をつく。自分はただ、失った故郷の代わりになる安寧の地を求めてここに来たというのに、彼の安寧の地はここにも無かったのだから。
◆◆◆
かつて、この大陸には三つの国があった。
武力に富んだレオザン帝国。知略に富んだグライズ公国。この二つの大国の中間地に位置するリストリア国の三つだ。
レオザン帝国とグライズ公国は長年睨み合いの状況にあったが、ある日グライズ公国に侵入したレオザン帝国の偵察兵が殺害されたことで、この均衡はあっさりと崩れ去った。
「焦土戦争」そう呼ばれるこの戦争は、睨み合う二つの大国の中間地に位置するリストリア国にとっても甚大な被害をもたらした。
戦争にあたり、まず二国はこのリストリア国を我が物にしようと侵略した。先に侵略を開始したのはレオザン帝国だった。その後遅れるようにしてグライズ公国もリストリア国に侵略を開始。リストリア国が戦火に包まれるのに、そう時間はかからなかった。
そして、戦争はリストリア国を落とすことで終結したも同然だった。
結果、リストリア国はグライズ公国が手に入れた。リストリア国を手中にいれると、勢いづいたグライズ公国は圧倒的な物量を持ってレオザン帝国を落としにかかったのだ。
そして、レオザン帝国は国境の防衛に人を割き、その隙に潜入したグライズ公国の先兵にレオザン帝国の王は首をはねられ、レオザン帝国は敗北した。
この戦争は約五年続き、そして未だ、グライズ公国の侵略は留まるところを知らないのだった。
「ふぁ~あ……。さて、次はどこに行くかね……」
赤い髪の大男――レット――は、大あくびを一つして愛用の四輪バギーに乗り込む。
かつての故郷、レオザン帝国が落ちたため所属していた軍も解体され、世捨て人となった彼はグライズ公国のものとなりつつあるこの大陸を気ままに旅をして過ごしていた。
結った長い髪を荒野の風にあそばせ、レットは気の赴くままにバギーを飛ばす。
――そういえば、旧リストリア国の現状はどうなっているのだろうか。
ふと、自身も侵略戦争に参加した負い目から足が向かなかった旧リストリア国の領土、現リストリア自治区の様子が気になり、レットはそこへ向けてバギーを走らせる。
そして、彼は運命と出会うのだった。
「まいったねぇ……」
レットはふぅと息をつく。
リストリア自治区に入るなり、例の青年にレットは出会った。はじめは互いに穏やかに接していたが、レオザンの軍にいたことを話の流れで話してしまったのがこの事態の始まりだ。
目の前には、依然としてナイフを突きつける青年が怒りをあらわにこちらを睨みつけている。
「それで、にーちゃんは何が望み?」
「ここから出て行け……! レオザンの軍人が、リストリアの地を踏むな!」
「なるほど。そう言う事なら仕方ないね」
レットは青年の言う通りリストリア自治区から出ようと踵を返す。しかし、それに待ったをかける幼い少女の声が自治区に響いた。
「待って! シアンお兄ちゃん!」
「ゼニス……?」
青年と同じ小麦色の肌をした、長い金髪を三つ編みに編んだ十代前半ごろだろう少女がこちらに駆けてくる。
「その人を追い出さないで!」
「どうしてだよ、ゼニス! こいつはレオザンの……!」
「レオザンの人でも、アタシを助けてくれた人なの!!」
「えっ?」
青年――シアン――の手がかすかに緩み、手元からナイフが零れ落ちる。
「その人は、レオザンの軍人に乱暴されそうになっていたアタシを、助けてくれた軍人さんなの……!」
長い赤い髪、ショッキングピンクの瞳。その風貌に確かに見覚えがある。そうゼニスは兄へと告げる。
「だから、この人はアタシの恩人なの」
「――お嬢ちゃん。あの時の……?」
レットは記憶から成長した少女を頭からつま先までじっと眺める。きれいな金髪を三つ編みに編み、その毛先を水色のリボンで結び、真っ白で汚れが一つもないワンピース。
兄と同じターコイズブルーの瞳をかすかに揺らめく陽に煌めかせ、優しいまなざしでこちらを見つめている。
確かにそれは、戦時中レットが自国の軍人の暴行から助けた記憶のある少女だった。
「思い出した! 大きくなったなぁ、お嬢ちゃん」
「こんにちは、軍人さん。アタシ、ゼニス。あの時はお礼も言わせずに去ってしまうんだもの。探したんだからね」
「改めて、こんにちは。ゼニス。俺はレット。あの時から今まで、健やかに過ごしていたかな」
「ええ。軍人さん――レットさんのおかげで」
妹とにこやかに話すレットを見て、シアンの中に一つの疑問が生まれる。
これが、あの暴虐の限りを尽くしたレオザンの元軍人なのか……?
かつてのリストリア国に攻め入ってきたレオザン軍の暴虐を、シアンは一生忘れることは無いだろう。
家に、食料に、人にさえ火を放ち、女を犯し、子供を嬲り殺し、老人は縛り首に。
占領が目的なのか、虐殺が目的なのかさえ分からなかった。
グライズ公国が攻めてきてからは責め苦が二倍になったようだった。
そう。グライズ公国の軍人も、決していい人間ではなかったのだ。
リストリアの一般市民がいるにもかかわらず砲弾を放ち、銃弾の雨を浴びせ、いくつもの爆弾を投下して、焦土戦争の名にふさわしくリストリアを焦土と化した。
そんな環境で父母を失い、シアンは妹のゼニスを守り必死に生きてきた。盗みや詐欺、妹を守るためなら何でもやったが、決して殺しだけはやらなかった。
それに手を付けてしまったら、レオザンやグライズの軍人と同じ場所に堕ちてしまう気がして。
だからこそ、温厚なレットにシアンは驚いた。
「ねぇ、お兄ちゃん。お願い。一日だけでいいからレットさんをここに置いてあげて。アタシ、お礼がしたいの。……あの時から、お礼も言えなかったことをずっと後悔してて」
「お礼っていっても……」
この国、いや自治区は貧困に苦しんでいた。戦争を通して土地がやせてしまったのだ。
子供たちは教育の機会を奪われ、働くことのできない老人たちは優しい若者たちの助けを受けないと今日の食事にもありつけない。
「レットさん。今日、泊る宿は決まっているの?」
「いや。決まっていないな……」
「なら、今夜はうちに泊まっていくといいわ! お兄ちゃんも、いいわよね? 私の恩人を脅して迷惑かけたのよ?」
「う。……はい」
シアンは妹には逆らえない。ぶっきらぼうに「こっちだ」とつぶやき、シアンはレットを自宅へと案内するのだった。
◆◆◆
「へぇ。若い二人で住んでるのにきちんと片付いていて、いい家だな」
「自警団の借家だ。汚すなよ」
「お兄ちゃんは掃除が下手くそだから、アタシが毎日掃除してるのよ!」
「ちょっと、ゼニス……!」
曇天の空は茜色に染まり、レットはシアン宅のテーブルについてゼニスがいれた茶を飲んでいた。
自警団。シアンはそう言った。思えば、この自治区にずいぶんと血気盛んな自警団の青年がいると風のうわさで聞いたことがある。それがきっとシアンの事だったのだろう。
家は小ぢんまりとしているが、レットの言う通り片付いている。壁に掛けられた写真にはあどけない笑顔のゼニスと、まだ少し頼りなさそうな少年――シアンが並んでいる。
その隣には、笑顔の両親もいた。おそらく家族写真だろう。
「……」
そっとレットはその写真から顔を背ける。すると、今度は小さな花冠が目に入った。
桃色や白、黄色と色とりどりの花を使い、華やかで美しい花冠だ。
「えへへ。気に入った? あの花冠、アタシが作ったのよ」
「へぇ。立派なもんだ」
「お祭りの時なんか、繁盛するんだから」
ゼニスは小さな胸をそらして自慢げだ。
「それでね、アタシ、お礼にレットさんにも花冠を編んであげたいの」
「いいのかい?」
「もちろん」
レットはちらりと兄のシアンを見る。この辺りに花が咲いているような土地は少ない。彼女が花冠を編むとなれば、森の奥地へそれなりに歩く必要があるだろう。今からでは、きっともう遅い。
「ゼニス。それは明日だ。今日はもう、夕飯を食べて眠る時間だろう」
「……はぁい」
「お前もだ」
「俺も?」
レットは自分を指差して小首をかしげる。
「お前も、明日ゼニスから花冠を受け取ったら自治区から出て行け。ここには、俺以外にもレオザンの連中を良く思っていないやつが大勢いる。……いても、気分がいい場所じゃない」
「ご忠告、どーも」
その軽い口ぶりとは裏腹に、レットの声はどこか寂しそうだった。
――その時だ。
「シアン! いるか!」
ドンドンと扉が乱暴に叩かれる。
「ラニ! どうしたんだよこんな時間に」
シアンがドアを開けた先にいたのは壮年の男性。胸につけているのはシアンと同じ、リストリア自治区の自警団バッジだ。
「レオザンの生き残りを確保したと聞いたぞ」
「ああ。でも、戦意もない相手だ。明日にはここから追い出すよ」
「いや、それじゃあ困るんだ」
「は?」
確かにラニもレオザンの人間を良く思っていないのはシアンも知っている。しかし、だからと言って無碍に戦意のない人間を追い出すほど鬼畜な男ではなかったはずだ。
これまでも、ラニは何度か旅人を自身の家に招いていたはずだったのに。なぜ。
「その男は、今すぐにでも引き渡してもらわないといけないんだよ」
にやりとラニが笑い、彼は胸元の自警団バッジを外し、別の何かの紋章をつける。
「そ、それは……」
「なんせ、俺はグライズ公国偵察兵だからな。レオザンの残党は、――侯爵様の指示で皆殺しだ!」
「グアッ!?」
「青年!?」
ラニは扉の前に立つシアンを蹴り飛ばし、シアン宅へと侵入する。
「お前がレオザンの残党か……」
「あらら。俺が目的ってわけね」
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
ゼニスがシアンに駆け寄ろうとする。ゼニスの目線の先のシアンは、蹴られた腹を抱えて呻いている。
「おっと、行かせないぜ」
「きゃぁっ!?」
ラニがゼニスの細い腕をつかみ持ち上げる。それだけで、小さなゼニスの体は軽々と宙に浮きあがった。
「お前は残党になかなか懐いているそうじゃないか。お前をダシにすれば、残党も易々と殺せる」
「やめて! レットさんは私の恩人なのよ! 殺すなんて、そんなひどい事させないわ!」
「これは、お前の問題じゃねぇんだよ!」
ぶおん。ラニがゼニスを掴む手を下へと振り下ろす。
「ふぎゅっ!!」
「ゼニスッ!!」
ゼニスの体は宙を舞い、その背中を強かに床板にぶつける。
「ッ……ぐぅっ……」
ゼニスの喉から苦しげな嗚咽が漏れ、小さな体がびくりと震える。口元から薄く涎がこぼれ、息が荒くなる。
「ゼニス……っ……!」
シアンは腹の痛みに呻きながら、這いつくばるように手を伸ばす。震える指先は、あと少しで届きそうで届かない。歯を食いしばる音が、自分でも聞こえるほどに響いた。
「さぁ、さっさと投降しねぇと――このガキ、死ぬぞ?」
「――わかった。それ以上この兄妹を傷つけるな。 ……俺の命で助かるなら、安いものだ」
「レットさん……やめて……!」
「じゃあな、嬢ちゃん。兄貴と幸せに暮らすんだぞ」
そう言ってレットは、ラニへと足を向ける。そして――。
「ぐっ!?」
ぶおんと拳が風を切り、大きなレットの拳がラニの鼻っ面を捉える。
「え」
あっけにとられたシアンの目の前に、玄関先から吹っ飛ばされたラニが転がり落ちた。転がったまま、ラニは一瞬、何が起きたのか分からず、目を白黒させていた。
「ただし、青年と嬢ちゃんにしたことだけは、後悔してもらおうか」
怒りをショッキングピンクの瞳に燃やし、レットはシアン宅を出て通りに転がるラニの胸ぐらをつかむ。
「お前、自分の立場が分かってんのか!?」
「わかってるよ。わかったうえで、お前だけはきっちり懲らしめてから死んでやる」
そう言ってレットが再度拳を振り上げた時だった。
――パァン!
乾いた音がシアン宅前の通りに鳴り響く。
「リストリア自治区自警団だ! 暴行の現行犯で貴様を逮捕する!」
「団長……!」
まだ幼かったシアンを支え、この家と仕事まで与えてくれた自警団団長のダクトが、拳銃を構えてレットを狙っていた。
「団長、違うんです! ラニがゼニスに……!」
「っち、バカで従順なガキのままなら、お前も死なずに済んだのにな」
「団長……?」
ダクトの銃口が、シアンに向く。シアンの目線の先には、銃口を向けるダクトがいる。
「団長、いまなんて……」
「……シアン。お前は、ただ黙って、言われた通り働いていればよかったんだよ」
パァン! 再び渇いた銃声が鳴る。
「ぐっ……」
ぽたり、ぽたりと渇いた土に血が滴る。
「おたく、なかなかキツイこと言うのね……。青年、今絶望の真っただ中っていうのに」
シアンの前に、赤い髪が舞う。
「大丈夫? 青年」
肩口を抑えたレットが、シアンに覆いかぶさっていたのだ。
「――お前、なんで」
「未来ある若者が死にそうなの、黙って見てるわけにはいかないでしょ」
そう言ったレットは地面の土を蹴り上げ、簡易的な煙幕を張る。
「ここは一時撤退。おっけー?」
「……わかった」
頷いたシアンは、倒れて震えるゼニスを抱えてこの場を去るのだった。
◆◆◆
すっかり日も暮れた夜の森。――いや、森というよりは、葉を落とした枯れ木ばかりが並ぶ、静まり返った荒れ地だ。 風は冷たく、わずかに吹くたびに木の枝が軋んだ。切り株に腰を落としたレットは、着ていたタンクトップをちぎって肩口の血を止めるために布を巻いた。
「いてて……」
「……悪い。俺のせいで」
「青年が謝ることないのよ。俺がやりたくてやったんだから」
「でも、そのせいで……!」
「……」
ふう、とレットはため息をつく。そして月のない空を見て、ぽつりとシアンに語り掛けた。
「俺の弟。あ、もう死んでるんだけど。……生きてたら、青年と同じぐらいの年になるんだ」
「……弟がいたのか」
シアンはどう言っていいのか分からず、膝で眠るゼニスの髪を撫でた。
「そう。レオザンの一般兵でさ、すげーお人好しで、頭の中お花畑かよってくらい優しい、レオザンの軍人じゃ珍しいやつだった」
レットは真っ暗な夜空から目を離さず、静かに語り続ける。
「リストリアを攻める時もさ、できるだけ人は殺したくないっつって」
レットは苦笑を滲ませた声で続ける。
「……戦争だぜ? ありえねぇだろ? ……でもさ、足打って動けなくするとか、死なないようにいつも頑張ってたよ」
シアンは、静かにレットの言葉に耳を傾けた。
「でもさ、そういう優しい奴ほど、レオザンじゃ死んでいく。俺の弟も例外じゃなかった」
レットの顔が次第に歪んでいく。きっと彼は、語るも辛い出来事を自分に語ってくれているのだ。シアンは、レットの瞳から目が離せなくなった。
「一人、変態がいたんだよ。レオザンの軍に。……子供を殺すのが好きなヤツ。俺の弟――ゼントは、そいつを殺して処刑された」
「……やっぱ碌な国じゃねぇな、レオザンは」
「だろぉ? だからさ、俺、戦争中だったけど軍辞めたんだ。俺の中でも、弟は正義を働いたんだって思ってたのにさ、それを裏切って処刑だぜ? やってらんねぇよなぁ」
ははは、とレットは渇いた笑いを夜空に投げ、風が攫っていく。
「ゼントが死んで、俺には両親がいないから帰る場所もなくなって、それでずっと安寧の地を求めて旅をしてるんだ、俺」
月のない夜に、レットのショッキングピンクの瞳が揺らめく。それは、この飄々とした男が始めてみせる涙だった。
「あー、いけね。年取ると涙もろくて仕方ねぇよ」
ごしごしとジャケットの袖口でレットは涙をぬぐう。
「さ、どうするかね。これから」
そして切り株から立ち上がり、パンパンと尻についた木くずを払ったところだった。
パァン! パァン!
二発。聞き覚えのある渇いた銃声が夜の森に響く。
「探したぞ。レオザンの残党兵。……それと、妹も守れねぇガキをな」
「ダクト……」
シアンの目には、もうダクトを団長として慕う色は見受けられなかった。
「残党兵は俺が殺す……。殺してやる……!」
怒りをあらわにしたラニも、ダクトの後ろに控えている。今度は素手ではなく、手には角材を持っていた。折れた鼻っ柱から鮮血を垂れ流し、さながらその姿は赤い鬼の様だった。
「青年。妹を守ることだけ考えてろ」
「でも……」
「いいの。俺、強いから」
銃声で目を覚ましたゼニスを抱きしめ、シアンは木の陰へと隠れるようにレットが指示する。
「目的は俺一人でしょ。この兄妹は関係ないはずだ」
「俺たちの正体を知ったんだ。無関係ってわけにはいかねぇんだよ」
「……アンタが勝手にバラしたんでしょうが」
ため息をひとつ、レットはシアンに目配せをする。
「ここの森を抜けて自治区の入り口にある井戸の先。そこに俺のバギーが隠してある。……それを使って逃げるんだ」
「でも、アンタは……」
「青年たちが逃げる時間を稼いだら投降するさ。なに、前時代の遺物は無い方が、未来は輝く」
レットは懐からバギーの鍵を取り出し、シアンに握らせる。
パァン!その隙に、ダクトがまた一発銃をうならせた。
「ほら、行くんだ」
逡巡の後、シアンはバギーのカギを握って駆けだす。それを満足そうに見送ってから、レットはダクトたちに向けて拳を突き出した。
「さぁ、戦争の続きをしようか」
言うが早いか、レットは地面を蹴ってダクトの銃を奪おうと手を伸ばす。
しかしダクトはまた一発銃撃を放ち、それがレットの赤い髪を夜闇に散らす。その隙を狙って、ラニが角材を振り下ろした。
「くっ……!」
レットはそれを腕を十字にクロスさせて受け止める。そのまま跳ね返してやればラニの体に隙が生まれる。その隙にレットは拳を叩きこんだ。
「うぐあっ……!」
ラニのつばが乾いた風に飛ぶ。肉にめり込んだ拳を振りぬき、そのまま今度はダクトへ拳を振りぬこうとするが――。
パァン! 銃弾が踏み込みを阻み、レットはダクトから飛びのいて距離を取る。
「ここだ!」
「がっ……!」
銃撃を受けた肩にラニの振り下ろした角材がめり込む。バキっと嫌な音がして、レットの右肩の関節が外れる。
「ッ……!」
「お前を殺したら、今度はあの兄妹だ」
「させるかよ……ッ!」
まだ動く左手で拳を作り、再度ラニが振り下ろした角材を拳で迎えうつ。びりびりと拳が痺れ、一瞬レットの体が動かなくなる。
「――終わったな」
ダクトが勝ち誇ったように銃口を上げ、ゆっくりと引き金に指をかける――その時だった。
ブロロロロロォ!!
轟音が静かな森に鳴り響く。何か黒い影がレットとダクトの間に飛び出し、砂煙を巻き上げた。
「――レット!!」
「……青年?」
砂煙が晴れ、シルエットが浮かぶ。
それは、かつて命を救われた青年――今は、レットの命を救いに来た男だった。
「放っておけるかよ! レオザンの男でも、俺の妹の恩人だ!」
シアンはバギーから飛び降り、ラニの鼻っ柱に再び一撃をぶち込んだ。
それは、レットよりも威力は無かったかもしれない。しかし、すでに負傷していたラニをノックアウトするには十分な一撃だった。
「ぐあっ……!?」
よろめくラニの足元をレットが払う。それだけでラニは足元を奪われ、どすん! とその体を地面に沈めた。
「ニ対一。これで形勢逆転だな」
ラニから奪った角材を手に、シアンはダクトを睨む。
「お前……。俺を裏切るのか? お前をそこまで育ててやったのは、誰だと思ってるんだ!」
「裏切る? 先に裏切ったのはアンタだろ。ダクト」
静かに、角材を手にシアンはダクトへ一歩一歩近づく。ダクトはシアンから漂う覚悟を身に感じ、一歩後ろに退いた。
「俺だって信じていたかったよ。アンタの事、自治区の事。でも、自治区ももう、グライズ公国のものだっていうんだな」
「そ、そりゃそうだろ! リストリアは、もうグライズ公国のものなんだ!」
「信じて……いたかったのにな……」
ダクトの前に立つシアンが、ラニから奪った角材を振り上げる。
「リストリア自治区は、リストリア人のためのものだ。――お前らのものじゃない」
角材を握る手が震える。 視界が揺れて、涙がこぼれそうになる。 それでも振り下ろそうとした、その時――。
「待った」
振り上げた角材を止める大きな手、レットだ。
「ここでこいつを殺せば、青年は俺と同じになる。……それでもいいのか」
「ッ……!」
シアンの脳裏に、戦火に焼かれた故郷がよみがえる。そうだ。奪うものはいつも、自分勝手にすべてを奪っていった。
――殺しはしない。そう誓った過去の自分を、今自らの手で殺すというのか。
ドスン。重い音がして、シアンの手から角材が落ちる。
「……その通りだな。ここで殺したら、全部終わりだ。……ゼニスにも、顔向けできない」
「えらいな。よくやった」
レットはシアンに寄り添い、そっと頭を撫でてやる。
恐怖から静かに失禁するダクトを森に置き去り、二人はバギーに乗ってゼニスを迎えに行くのだった。
ダクトは地に這いつくばり、ただぶつぶつと「違う……俺は正しかったんだ……」と呟いていた。 もうその声に、誰も耳を傾ける者はいなかった。
◆◆◆
「お兄ちゃん! レットさん!」
かつてレットがバギーを停めていた場所にゼニスは待っていた。
「お待たせ、ゼニス。暗い森で一人にして悪かったな」
「ううん。大丈夫! ほら!」
「これは……」
ゼニスの小さな手からレットに渡されたのは、白い花で作られた花冠だった。
「レットさんが停めていたバギーの周りにね、小さいお花がたくさん咲いていたの」
「お嬢ちゃん……」
「ゼニス! そう呼んで!」
「ああ。ありがとう、ゼニス」
花冠を受け取ったレットは、頭に花冠を乗せて笑って見せる。
「似合ってるかい? ゼニス」
「ええ。よくお似合いよ!」
普段通りの平和。そうとも言える光景にシアンは目を細めた。
「……レット。改めて、俺はシアン・ブルー。……妹共々、これからよろしく」
「レット・スカーレットだ。よろしく。シアンちゃん」
「シアンちゃん……!?」
「俺にとっちゃまだまだカワイイがきんちょだからな。ははっ」
「そ、それでこれからどうするんだ」
「そうだなぁ……。二人も、俺の野望に付き合ってもらおうか」
「野望?」
ゼニスが小首をかしげてレットに問う。
「ああ。穏やかに余生を過ごせる安寧の地探し。それに付き合ってもらおう」
「いいな。俺も住む場所を失った身だ。安寧の地、こんな荒れた世界にあるって言うなら探してやろうじゃねぇか」
「お兄ちゃんとレットさんが行くなら、アタシも!」
「よしっ! そうと決まれば早速出発だ! 俺のバギーに乗り込め!!」
意気揚々とレットが言い放ち、兄妹もバギーに乗りこんだ。一人の世捨て人と兄妹の行く末を、月がそっと見守っていたのだった。
EmberNight Journey 都 けーじ @Kj_ateriler
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