・3-5 第25話:「話は聞かせてもらった」

 人間の少年と、人工知能の少女。

 二人はしばらくの間、ただ黙って見つめ合っていた。


 互いに身体を寄せ合ったまま。

 そうしていることが心地よくて、嬉しくて。


 心が、気持ちが。

 通じ合った。

 これ以上に幸福なことが、他にあるだろうか?

 そう思ってしまうほどに、二人は満たされた心地になっていた。


「……こほん! 」


 その時、わざとらしい咳払いが聞こえて来る。

 視線を向けると、そこには、奏汰の部屋の入口に立った、夏芽の姿があった。


「かっ、母さんっ!?

 なんでいつも勝手に入って来るのさ!? 」


 自分とくーの状態が、周囲からはどう見えるのか。

 まるで今にもキスをしようとしている、恋人に見えてしまうのではないか。


 そう察することができた少年は慌てて電脳の少女を抱きしめていた腕を放し、耳まで赤く染めながらあたふたと両手をばたつかせ、抗議する。


「うん。

 正直、すまんかった」


 珍しいことに。

 夏芽は、素直にそう言い、申し訳なさそうに頭を下げていた。

 いつもならば悪びれもしないところだったが、さすがに、今回ばかりは勝手に立ち入ってしまったのを、悪かったと思っているらしい。


 率直に謝罪されると思っていなかったから、意表を突かれた奏汰は動きを止めてしまう。

 これまで生きて来た中で、こんな風に母親が頭を下げた姿など見た覚えが無く、驚き過ぎて思考が止まってしまった。


「あの。

 夏芽さん……、いつからいらしたのでしょうか? 」


 そんな少年の腕をどこか名残惜しそうに眺めていたくーだったが、このままでは決まずい沈黙が続くだけになると判断したのか、そう言って話の続きを流す。

 すると少しだけほっとした様子を見せた夏芽は、いつもの悪びれない態度を取り戻しながら肩をすくめてみせた。


「私、歌いたいんです、って言ってた辺りからかな……。

 いや、どうしても様子が気になっちゃって、さ」

「そ、そうなんですか……」


 だとしたら。

 奏汰がくーの歌が好きだと、そう言ってくれたところもしっかりと聞かれていたということだろう。

 シンガロイドはなんとなく恥ずかしく感じてしまい、思わず赤面してうつむいてしまっていた。


 そんな彼女に向かって、夏芽はバツが悪そうに指先で自身の頬をかきながら言う。


「それで、さ。

 お前が、どうしても歌いたいって。

 そう言ってくれたのが、嬉しくって、さ。

 つい、ダメだってのは判ってたんだが、のぞいちまった」

「嬉しい?

 それは、なんででしょうか? 」

「お前には音楽に対する強い気持ちがある。

 ただ、成り行きで、なんとなく目指してるわけじゃない。

 本当の本気で、自分の音楽をやりたいんだって分かったからさ」


 きょとんとしながらくーがたずねると、夏芽はうなずいて言葉を続ける。


「最初はな。

 お間、くーは、なんとなくで歌おうとしてるんじゃないかって思ってたんだ。

 サイバーライブってところに、そういう目的で作られたから。

 シンガロイドっていうのは、歌うために作られる。

 要するに、さ。

 周りが敷いたレールの上を、何も考えずに、そうする以外は知らないで、ただ漠然ばくぜんと走り続けてるだけなんじゃないかって思っていたんだ」

「は、はぁ……。

 そうなんですか……」


 くーは曖昧な相槌あいづちを打つ。


 言われてみれば。

 確かに、そういう部分はあったのかもしれない。


 自分はシンガロイド。

 歌うために作られた、人工知能(AI)。

 そういう自覚があったからこそ、声を失って、自身のすべて、存在意義を失ったように感じてしまっていたのだ。


 だが、今は違う。

 己がシンガロイドである、という以上に。

 ただ、自分の歌を聞いて欲しい。

 この声で誰かに何かを伝えたい。

 そう思っている。


 奏汰とくーの様子を見にやって来た時、夏芽も、今回ばかりは遠慮しようと思っていたのに違いない。

 ただ心配ではあるから、確認だけはする。

 そういうつもりでいたのだろう。


 しかし、彼女は、くーが他人が定めた自らの存在意義のためではなく、自分自身の欲求で歌いたいと、そういう思いを抱いていることを知った。

 それが嬉しくていてもたってもいられず、気がついたら部屋に踏み込んでいたということらしい。


「なぁ、くー。

 歌いたいか? 」


 そうたずねる口調は、なんだか、これまでよりも一層優しいように思えた。

 やや細められたその双眸そうぼうは、どこか、昔を懐かしんでいるかのようにも見える。


 そんな夏芽のことを見上げ。

 くーは、はっきりと、淀みなく。

 真剣な表情で、断言する。


「はい!

 私は、歌いたいです! 」


 それは、[シンガロイド]だからではない。

 自分自身がそう欲求するからだ。


「私は、歌うのが好きです!

 私が歌って、喜んでくれる人がいる。

 気持ちを伝えることができる。

 だから!

 もっともっと、歌いたいです! 」

「よぉし!

 その意気だ! 」


 すると、夏芽は心底から嬉しそうに笑っていた。


「くー!

 お前がそう望むんなら、あたしも、全力で手助けしてやるよ!

 くーが、最高の歌を歌えるように。

 最高の舞台を用意してやる! 」

「ほ……、本当ですか!? 」


 その言葉を聞き、くーは表情を華やがせる。


 美詩 舞奈になれなかったことは、残念だ。

 だが。

 自分はまだ、歌うことができる。

 それを応援してくれる人がいる。


 その貴重さは、今の彼女には身に染みて分かる。


 ———しかし。

 ちらりと脳裏を疑念がよぎる。


「あの……。

 ですが、どうやって? 」


 首を傾げてしまう。


 歌う、といっても、どこで?

 誰の前で?


 何かしらの方法でスタジオを借りたり、ステージを用意してくれたりするのだろうか。


 そう思っていると、近づいてきた夏芽は前かがみになって座っているくーに視線を合わせ、その頭を力強くなでていた。


「サラスヴァティーを、復活させるのさ! 」

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