・3-3 第23話:「もう美詩 舞奈にはなれない」

 くーにとって。

 サイバーライブが新たなシンガロイド・美詩 舞奈を発表したのは、どのように想えたのか。


 まさに、絶望。

 他にはなにもなかっただろう。


 彼女は何体もいる候補者の一人として生み出されて。

 これまで生きて来た短い時間の中で、必死に、[本物]になりたいと願い、頑張って来た。


 それだけではない。

 正式にデビューできるただ一人の他は皆、その身体は予備機扱いとなり、そこに宿っていたもの、人間で例えるのならば[魂]に相当するものは、今後の開発に生かされるデータとして[保存]される、という運命を、彼女は知っている。


 声を失った。

 自分はもう、夢に見た存在にはなれない。

 そして。

 無用の長物として、廃棄されてしまう……。


 そう思ったからこそ、くーはサイバーライブを逃げ出して。

 行き倒れになっていたところを、奏汰に助けられたのだ。


 声を取り戻せたおかげで。

 彼女は、もう一度[夢]と向き合うチャンスを得た。

 それをつかみ取る可能性を信じることができた。


 目の前には、明るい道筋が広がっていたはずだ。

 もうダメだ、そう諦めていたのに、また歩み出せた。

 そして彼女はサラスヴァティーというバンドが残した音楽と出会い。

 己に欠けていたもの、足りないと思っていたものの正体を突き止めようとしていた。

 それを見つけることができれば、夢を叶えられると思っていたからだ。


 だが。

 くーは、突きつけられてしまった。


 自分がもう、美詩 舞奈にはなれない、という現実を。


 だって。

 発表されてしまったのだ。

 何体もの試験機の内、たった一体だけが選ばれるとされていたシンガロイドが。


 同じ名前の個体が同時に二体以上存在するというのは、あり得ない。

 サイバーライブはずっと[シンガロイドはただ一人]という方針を堅持しているからだ。


 つまり。

 その一体が選ばれた、ということは。

 他の試験機達はみなその役割を終えて、身体は予備機となり、中身はデータとなった。


 そして、くーもまた、美詩 舞奈にはなれない。

 今さら彼女が戻れる場所は、サイバーライブには無いからだ。

 良くて、他の候補者達と同様。

 今後の開発のための参考データとして活用されるだけだろう。


 くーは、再び絶望に押しつぶされそうになっている。

 [もう一度]というチャンスを目の当たりにして、その直後のことだ。

 味わった落差は返って大きく、一際その谷底は深く思えるだろう。


 そんな彼女が、———心配だった。

 サイバーライブがなにを考えているのかは分からない。

 だがこれは、あんまりなのではないかと思うのだ。


 新たなシンガロイドが発表されるのは、一年に一回。

 これまでずっとそのペースが守られて来た。

 それが適正な開発スケジュールであり、品質の高いものをプロデュースしてファンを楽しませ、着実にその数を増やしていくというのが、方針としてあったとされているからだ。


 そのやり方を変えたのにはなにか事情があるのかもしれないが、納得できない。

 くーには、彼女の[夢]を追いかける、そのチャンスさえ与えられないということだからだ。


 せめて彼女にも歌わせてほしかった。

 声を取り戻し、その喜びを目いっぱいに溢れさせ。

 聞く者の誰もが笑顔になれる、あの楽しげで、優しい歌を。


 そうすればきっと、サイバーライブだって納得しただろう。

 サラスヴァティーの楽曲の秘密が分からなくても。

 くーの[音楽]は、魅力的なのだ。


 考えてみれば。

 公式に選ばれ、発表された方の[美詩 舞奈]は、どこか没個性であるように感じられる。

 これまでのシンガロイド達と同様。

 歌声は美しく、ダンスは寸分の狂いもなく。

 まさに[完璧]なパフォーマンス。

 それだけに。

 どこか見覚えがあるような気がするし、機械的で、芸術アートではなく工業製品つくりものという印象を受けてしまうのだ。


 ただ。

 それを言ったところで、今のくーには、何の慰めにもならないだろう。


 ———夏芽に教えてもらった通り、そのシンガロイドは、奏汰の部屋にいた。


 コンセントの前。

 いつも充電に使ってもらっている、半ば定位置のようになっている場所で。


 くーは膝を両手で抱え座り。

 太腿ふとももに自身の顔をうずめている。


 ———泣いているのだ。

 直感的にわかった。


 嗚咽おえつもなにも聞こえては来ない。

 もしかしたら、涙さえ流していないのかもしれない。


 ただ、行き場のない悲しみ、絶望に押しつぶされそうになって。

 もうどうしてよいのか、何もかもが分からなくて。

 途方に暮れている。


「……くー」


 ドアが開く音、それ以前に足音で奏汰がやって来たということは分かっているはずなのに身じろぎ一つしないくーに、奏汰はそっと声をかける。


 反応はない。

 あまりにも受けたショックが大き過ぎて、そういった当たり前の反応を見せるだけの余力も残されてはいないのだ。


 奏汰にはそれがよく分かった。

 良くも悪くもくーには生まれてから間もない人工知能(AI)ゆえの幼さがあり、そして、純粋じゅんすいでもあったから、その心情が自然と外にれるようなところがある。


 こちらの言葉に反応できないほど傷ついたくーに、奏汰は寄りそってあげたかった。


 普段の彼であれば。

 少し、躊躇ためらっていたかもしれない。

 やや内気な性格であるというのもあるが、少年はなにより。

 自分自身になかなか自信を持てずにいたからだ。


 この時は勝手に身体が動いた。

 奏汰はくーの前に膝を突くと。

 両手を肩に沿えて。

 そっと、互いの存在が微かに触れ合う程度に、抱きしめる。


「大丈夫だよ、くー。

 大丈夫」


 目の前にいる彼女に、これが終わりなどではないのだと伝えたい。

 自分に存在価値などないと思っている相手に、そうではないのだと教えたい。


 そう思うと、独りでに言葉が出て来る。


「ボクも、母さんも、父さんも。

 みんな、くーのことが大好きだよ。

 きっと、常連のおばさん達も、お客さんも、みんな。

 くーの歌が好きだから。

 くーの歌だから、大好きなんだ」


 例え美詩 舞奈にはなれないのだとしても。

 すでにくーには、[居場所]がある。


 その言葉にびくりと肩を震わせ、顔をあげたくーは。

 その顔をぐしゃぐしゃに歪ませる。


「奏汰さんっ!

 私……っ!!!

 私ぃ……っ!!! 」


 そうしてシンガロイドは。

 他の何も考えることなく、ただ、ひたすらに。

 自分のことを黙って抱擁してくれた少年の胸の中で、泣いた。

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