・2-12 第20話:「くーの[声]」

 もしかしたら。

 くーの喉が、直るかもしれない。


 忠重からの連絡を受け、鬼嶌家の人々は次の休日が訪れるのを楽しみに待った。


 そうして、訪れた日曜日。

 休診日のため閑散とし、明かりも最小限しかつけられていない阿良川クリニックの待合室で、奏汰はソワソワとしながら待っていた。


 くーは今、処置室にいる。

 ネット回線を通じて遠方とリアルタイムで通信ができるシステムを使い、アンドロイドの技術者に状態を診てもらっているのだ。


 その結果によっては。

 今日、彼女の声は元に戻るかもしれない。


 本当に嬉しいし、くーの声を聞くのが楽しみだった。

 だが。

 同時に、寂しくもある。


 奏汰にとって憧れの存在であるシンガロイドは、鬼嶌家を去ることになるだろう。

 彼女が居候をしているのは喉を損傷して声を出せなくなってしまったからで、それが元に戻ればもう、ここに留まる理由もなくなってしまうからだ。


 もっともっと、いろいろと聞いてみたいこと、話したいことがたくさんあったのに、お別れだなんて。


 しかし、今の奏汰には楽しみな気持ちの方がずっと大きかった。

 くーの声を聞くことができるかもしれない。

 未発表のシンガロイドの声なのだ。


 そう思うと、期待で胸が膨らんで、ソワソワとしてしまう。


 ここで待ち始めて、そろそろ一時間ほどにもなるだろうか。

 付き添いで来ていた夏芽は家事があるからと後のことを息子に任せて帰宅しているから、話し相手もいない。

 ずいぶんと長く感じられる、待ち遠しい気分だった。


 そうして、さらに十分ほどが経過した時。

 処置室の扉が静かに開き、中から、白衣を身に着けた忠重が姿を現した。


「忠重叔父さん!

 くーは、くーは、どうなったんですかっ!? 」

「まぁ、そう慌てないでくれよ」


 いてもたってもいられず立ち上がった奏汰が駆けよると、忠重は少し疲れたような笑みを浮かべた。


「元々は人間用の人工声帯と同じものだ、って言っても、やっぱり機械と人だと勝手が違うからな……」

「そ、それじゃぁ……」


 くーの喉は、直ったわけではないのか。

 そう思ってうつむいてしまった奏汰に、かがんで視線を合わせた忠重が言った。


「けど。

 まぁ、なんとかしたよ。

 幸い専門家がついていたし、道具も足りたし、な」


 はっ、として、顔をあげる。

 すると一仕事終えた医師は軽く少年の肩を叩くと、一息入れるために休憩室へと向かって行った。


 その姿が目の前から消えると。

 代わりに、そこにはくーがいた。


 処置室の入り口に立って、顔をうつむけて。

 両手の拳を強く握りしめ、小さく、微かに、肩を震わせている。


 その喉には、相変わらず肌色の保護テープが張りつけられている。

 そこに傷口が存在し続けていることの、なによりの証拠。


 くー。

 奏汰がそう声を賭けようとした瞬間だった。


「奏汰、さん! 」


 唐突に。

 ツインテールを大きく揺らしながら顔をあげたシンガロイドは、自身の声帯を使って、半ば叫ぶようにそう言うと。


「私……っ!

 声が……っ!!! 」


 若干声を詰まらせ、双眸そうぼうを涙で潤ませ、泣き笑いのような顔になって。


「声が、元に戻りましたぁっ!!! 」


 そう声を張り上げて告げると、感極まって駆けよって来て、その勢いのままくーは奏汰に抱き着いていた。


「うわっ、と!? 」


 小柄な人間と同じ質量を持ったシンガロイドの突進を受け止めた少年は思わず閉じてしまっていた目をおそるおそる開くと、目の前には少女の顔が。

 その表情は、満面の笑み。

 心かの喜びで満ち、溢れたそれは涙となって頬を伝っていた。


「私、これで!

 これで、また、歌えますっ! 」


 失った声が戻って来た。

 それは、くーにとっては。

 自身の存在理由を取り戻すことができたのと同じ意味を持っている。


 サイバーライブによってプロデュースされる電脳の歌姫たち。

 洗練されたパフォーマンスで多くの人気を集め、奏汰と同年代の少年少女たちの憧れとなっている輝かしいシンガロイド。


 だが、デビューを果たして活躍する者がいる一方で。

 サイバーライブの内部で行われるテストで選ばれなかった試作機たちは予備機として扱われ、蓄積された経験やその人格はデータとして保管される。

 そういう運命が待っている。


 彼女たちはあくまでアンドロイド。

 機械の一種である以上はこういった扱いも仕方がないというか、効率を考えれば当然なのかもしれない。

 しかし、それでは寂しい。


 きっと、誰もがデビューできる個体となるのを目指して頑張っているのだろう。

 くーも同じはずで、そして、彼女はまた、自身として存在し続けるために、一人前のシンガロイドとして人々の前に立つという夢を叶えるために、そのスタートラインに立つことができたのだ。


 その喜びは、取り戻せた声を使った言葉だけでは表すことができない。

 だからこそくーは奏汰に抱き着いて、全身全霊で喜びを、感謝を伝えている。


「奏汰さん!

 ありがとうございます! 」


 いくらでも語りたいことはあるのに違いない。

 ただ、今は。

 その一言に、すべてを込めて。


「……うん。

 どういたしまして」


 結局、自分はなにもできなかったのではないか。

 そんな疑念が一瞬、奏汰を躊躇ためらわせたが、彼はすぐにそう言って微笑んでいた。


 くーの声が戻って良かった。

 その気持ちには少しの曇りもない、本心だったからだ。


「ね、くー。

 歌ってみてよ! 」

「……っ!

 はい!

もちろんです! 」


 少年が依頼すると、シンガロイドは瞳をキラキラと輝かせ。

 そっと身体を離し、開けた場所に移動して、「こほん」と小さく咳払い。


「くー、歌います! 」


 それから。

 真剣な顔をしてそう言うと、大きく息を吸い込み。


 歌い出す。


(きれい……)


 それは、奏汰にとって。

 他の何もかもを忘れ、聞き入ってしまうほどに美しい声だった。

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