・2-6 第14話:「くー、音楽と出会う:1」

 楽しい夕食を終えた後は、いつも眠くなる。

 だって、仕方がないだろう。

 昼は学校に通い、帰ってからは家の仕事の手伝い。

 中坊なりに忙しい毎日を送っているのだ。


 だが、奏汰はベッドの誘惑をはねのけ、机に向かわなければならなかった。

 明日締め切りの宿題を片付けてやる必要があるからだ。


 たまにはサボりたいと、いつもそう思う。

 しかし、宿題をやっていかなかったと知れると、母親が黙ってはいない。

 今どき珍しくすぐに手が出る(とはいえ、一応手加減はしているらしい)タイプだから、痛い目に遭いたくなければやるしかなかった。


 数学や理科の宿題ならばまだ良かった。

 奏汰は父親の聡汰に似たのか数字を扱うのは得意だったし、理科は、様々な図解が乗っている資料集が見ていて楽しかったおかげもあり、割と好きだ。


 それなのに。

 今日の宿題と来たら、国語だ。

 それももっとも不得意としている文章の読解。


 挿絵の少ない長文を呼んでいてもイマイチ頭の中にイメージが湧いて来なくて退屈だし、睡眠を十分にとっていても、段々と眠くなってくる。

 WEB小説ならスラスラ読めるのに不思議なのだが、一ページに活字がみっちりと詰まっているのが合わないのだろう。


「イテ」


 奏汰はまぶたが落ちそうになる度に自身の手にシャープペンシルの先端を突き当てて気つけをし、少しずつ宿題をこなしていった。


 夏芽がおっかないというのもある。

 だがそれ以上に、かつて聡汰に言われたのだ。


「作詞をしたいのなら、これくらいの文章はきちんと読めるようにならないと。

 そうじゃないと、誰かに聞いてもらえる歌詞は書けないんじゃないかな」


 彼には以前、奏汰がこっそりと自作していた歌詞をうっかり見られてしまったことがあるから、息子がそういうことにご執心なのは知っている。

 そして聡汰はそのことを一切笑ったりしなかったし、国語の宿題が嫌で仕方がなかった奏汰にこう言って、ちゃんと頑張れと促してくれたのだ。


 実際、その通りなのだろう。

 世の中にはメロディやリズムに上手に「ノル」ことを優先して歌詞自体にはあまり意味が薄いというか、きちんと意味の通らないようなものもあるのだが、奏汰はしっかりと何かが伝わるようなうたを作りたかった。


 理由は、なんとなく。

 その方がカッコいいような気がする、それだけだ。


「よし。

 終わり! 」


 そうしていつもよりも多く出された国語の宿題を退治すると、不思議なことに眠気がきれいさっぱりなくなっていた。

 やはり長文とは相性が悪いというのと、面倒なことをやり遂げたことでテンションが上がったおかげだろうか。


 それから奏汰は、タイミングを見計らって入浴を済ませた。

 鬼嶌家ではもっとも働いている聡汰が最初に風呂を使うという暗黙のルールが守られていたが、その後、残った二人の順番はいつも適当だ。

 今日は夏芽には見たい番組があるということで、奏汰が先になった。


 パジャマに着替えると、後は自由時間だ。

 眠りにつくまでの一時間か二時間。


 いつもなら、スマホで動画を漁るところだ。

 それなのに今日はそういう気分になれなかった。


 本物のシンガロイドが自宅にいるのに、何度も見返していつでも情景を思い出せるほどになった動画をわざわざ見返す必要があるのだろうか?


「くー、どうしてるかな」


 退屈を覚えた奏汰は自然と電脳の歌姫の卵の姿を探す。


 昨日の夜は、バッテリー残量が心もとなかったこともあって彼女はずっとコンセントにコードをつなげたままじっとしていた。

 だが、今日は元気いっぱい。

 昼間に一生懸命に店を手伝ってくれていたが、夜になってもまだ余裕があるようで、家の中での自由行動の許可を聡汰と夏芽からもらってあちこち見て回っている。

 人間の一般家庭の内情を知るのはこれが初めてのことだそうだから、興味が尽きないのだろう。


 せっかくだから話でもできないかと思った。

 くーの側からもいろいろ聞いてみたいことがあるだろうし、それは、奏汰の方も同じなのだ。


 最初に案内してからすっかり彼女にとっての定位置となっている奏汰の部屋のコンセントの前にはいなかった。

 まだ戻っていないようだ。

 だとすると、どこにいるのだろうか。

 あまり大きな家ではない。

 すぐにくーの姿を見つけることができた。


 それは、少しだけ開いている扉かられている明かりで知ることができた。


 鬼嶌家の二階の奥まったところにある一室。

 普段はあまり人の出入りが無い場所だったから、中に誰かがいること自体が珍しい。


「くー、いるの? 」


 一応入室する前に声をかけてみたが、返事はない。

 なんだ、ただの電気の消し忘れかと思い、少しがっかりしながらも消灯するために扉を開くと、そこにはくーの姿があった。


 部屋の中で、シンガロイドは大きなヘッドセットを身につけ、食い入るように目の前のパソコンのモニターを見つめながら、聞こえて来る音楽に集中していた。

 そのために奏汰に気づかなかったのだろう。


 そこは、かつて聡汰や夏芽が趣味で使っていた道具が納められた、物置だった。

 使い込まれたギターに、エレキボード。

 シートを被せられてはいるが音響関係の機器もいくつかある。

 そして、くーが起動して音楽を再生させているパソコンは、聡汰が趣味で、録音した曲を編集するために使っていたものだった。


 奏汰の両親は若い頃、友人たちと組んで五人編成のバンドを結成し、活動していたらしい。

 けっこういいところまで行っていたようで、レコードを収録してデビューしようか、という話まで来ていたらしい。

 だが結局は有耶無耶うやむやになって、今はバンドも解散して、二人は青果店を経営して生計を立てている。


 ここにあるのは、その、夢の残滓ざんしだった。

 思い出という奴だ。


 今となっては滅多に触れることもなくなったが、それでも、聡汰と夏芽は不意に過去を懐かしんでかつての相棒たちと再会したりしている。

 変に道具に触ったりしなければ奏汰も立ち入り自由とされていて、もう少し幼かったころはよく立ち入って、くーがしているように両親が収録した曲を聞いたりしていたものだ。


(ずいぶん、気に入ってくれてるんだな)


 少年は、部屋の中に自分が入ってきたことにも気がつかないで音楽に集中しているシンガロイドの姿を見て、少し嬉しくなる。


(もうしばらくは、そっとしておこう)


 そうして彼は、少なくとも曲の切れ目のキリのいいところまでは声をかけるのを待つことにしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る