・2-3 第11話:「家にはくーがいる! 」

 美詩 舞奈:九号機あらため、[くー]。

 傷つき、声を失ったショックでサイバーライブから逃げ出して来た彼女が、夏芽いわく「住み込みの従業員バイト」として鬼嶌家の居候となった翌日。


(言いたい……!

 うちに、くーがいるんだって、みんなに! )


 いつものように学校に登校した奏汰は、一日中そわそわとし通しだった。


 だって、いるのだ。

 本物のシンガロイドが、うちに!


 たとえ試作機の一体に過ぎないのだとしても。

 くーは紛れもなく奏汰が憧れている、キラキラとした素敵な音楽の世界の住人で。

 しかも、まだ発表されていない存在。

 こんなに特別なことが起こるなんて、つい昨日、彼女と出会うまでは想像したこともなかった。


 奏汰にとっての日々は、我ながらありふれたものだったと思う。

 毎朝起きて、身支度をして、すっかり見慣れて代わり映えのしない通学路を通り、学校でつまらない授業を受け、また同じ道を通って帰る。

 そして家では家業を手伝いつつたまに時間を作っては友達と遊ぶことがあったり、母親にしつこく催促さいそくされてうんざりしながら宿題をしたりし、夕食を食べ、お風呂に入り、動画やWEB小説などをほどほどに楽しんでから眠りにつく。


 そんな決まりきった毎日の、くり返し。


 これは紛れもなく他の誰でもない奏汰の人生、まったく同じ時間を過ごしている誰かは世界中を探しても存在しないのかもしれない。

 それでも、何か胸がざわつくような、ワクワクするようなことは起こらない。

 変化のない、記憶に残ることもなく忘却されていくだけの単調な日常だった。


 だが。

 だが!


 起こったのだ。

 特別なことが!


うちには今、本物のシンガロイドがいるんだぞ! 」


 奏汰は声を大きくしてそう自慢したいという衝動しょうどうをこらえるので必死だった。

 サイバーライブには帰りたくないというくーが[そういうこと]は止めて欲しいと言うのに違いなかったし、第一、突然そんなことを主張しても、誰も信じてはくれないだろう。

 とんでもない大ぼらだと、バカにされてしまうのがせいぜいだ。


 だから黙っていたのだが、奏汰は内心では得意満面だった。


 幸運にもシンガロイドのライブを生で見られるチケットに当選したクラスメイトがそのことを嬉しそうに報告して来ても、限定品のファングッズを買えたと友人に自慢されても。

 いつもならば(羨ましい! )という気持ちでいっぱいになってしまうはずだったが、気にならない。


 なにしろ、家に帰れば本物がいるのだから。


 コンサート会場で実際に歌ったり踊ったりするところを見ることができたり、他の人が持っていない珍しいアイテムを保有しているというのは、それは特別なことだ。

 だが、直接シンガロイドと会って、しかも一つ屋根の下で暮らしているとなると。

 普段ならばねたましいとさえ思ってしまうことでも、この[特別]と比べるとかすんで、色あせて見えてしまう。


 その日はたまたま宿題の量が多く、多くの生徒が不平を口にして不満を隠さなかったが、帰宅する奏汰の足取りは軽やかだった。


 家にたどり着けば、憧れの存在に会えるからだ。


(くーは、どうしてるんだろうな。

 母さんにこき使われてないといいんだけれど)


 なかなかに人使いの荒い夏芽にどんな扱いをされているのか。

 そんな心配もあったが、楽しみな気持ちの方が圧倒的に強かった。


(くーと、どんなことを話そう。

 なにから聞いてみようか)


 たずねたらきっと、くーはできる限り答えてくれるだろう。

 シンガロイドが公に発表される前にどんな過程を踏んでいるのか、彼女たちの日ごろの様子、ライブの配信やコンサートをしている時以外はどうやって過ごしているのか。

 普通なら絶対に知ることができないことでも、今なら教えてもらうことができる。


「奏汰くん、なんだか、今日はずっと機嫌がいいね。

 なにかいいことでもあるの? 」


 帰り道。

 同じ商店街に住んでいるし年も同じだしという縁でよく一緒に登下校している少女、呉井 千春から不思議そうにそうたずねられたが、奏汰は「あはは。まぁね」と愛想笑いをし、曖昧に答えていた。


 彼女は夏芽の親友である呉井 春水の愛娘であり、春水は昨日、くーのために衣装をコーディネートしてくれた。

 つまり、千春も実質的には[関係者]と言えなくもないし、秘密を教えても変に言いふらしたりはしないだろうという信頼感もあったが、やはり何も言わないでおいた方がいいと思う。


(くーのことは、まだ、僕たちだけの秘密にしておきたい)


 奏汰は隠し事にしてしまうことで、[自分だけの特別]という気持ちをもう少しの間、噛みしめていたかったのだ。


 奏汰と千春は幼馴染。

 大抵のことは打ち明けてしまえるような気の置けない友人だったが、珍しくはぐらかすような言い方をする少年に、少女は疑問を抱いている様子だった。


 だが、彼女はあまりしつこく聞き出そうとはしてこなかった。

 秘密にしておきたいことがあるのなら、あれこれ問いただそうとするのはよくない。

 相手のことに配慮してそう遠慮できる、穏やかで思慮深い性格をしているのだ。


(千春ちゃんにまで黙っているのは、ちょっと、悪かったかな)


 奏汰は少しだけバツが悪いような心地がしたが、その日は結局何も言わずに千春と別れ、帰路を急いだ。


 そうして、我が家が見えて来る。

 今日は路地には何も特別なものはなかったから、いつものように店の側に向かう。


 ほどなくして。

 店頭で長ネギを片手に行き交う客に商品をアピールしているシンガロイド・くーが、店頭で頑張っている姿を見つけることができた。

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