山田太郎、錬金術師になる(※二度目)

シマセイ

第1話 社畜、駅の階段から転落したら、元・大錬金術師だった件

はぁ、と溜息が漏れる。

満員電車特有の、むわりとした生暖かい空気と、誰かの整髪料と汗が混じったような匂いが鼻をつく。


ちくしょう。

今日も今日とて、俺、山田太郎(やまだたろう)、25歳、独身、しがないサラリーマンは、ぎゅうぎゅう詰めの鉄の箱に揺られている。


大学を卒業して早3年。

描いていたキラキラした社会人生活なんてものは、どこにも存在しなかった。

あるのは、終わらない残業と、減らない仕事、増えない給料、そして、日に日に募っていく社会への不満だけだ。


なんで俺ばっかりこんな目に遭うんだ。

同期の佐藤は、なんだかんだで営業成績も良くて、可愛い彼女まで作って、週末はデートだのキャンプだの謳歌しているっていうのに。


それに引き換え俺は。

成績は常に低空飛行。

上司には毎日ネチネチと嫌味を言われ、後輩にまで憐れみの目を向けられる始末。

モテない。

金ない。

将来の希望なんて、欠片も見当たらない。

全部、社会が悪い。

政治が悪い。

会社のシステムが悪い。


俺が本気を出せない環境なのがいけないんだ。

そうやって、全部周りのせいにして、自分を慰める毎日。

情けないとは思う。

思うけど、じゃあどうすればいいのか分からない。

それが、今の俺、山田太郎の全てだった。


今日も今日とて、会社では散々だった。

提出した企画書は「具体性に欠ける」と一蹴され、先月の営業ノルマ未達について、部長から小一時間ほどお説教タイム。


追い打ちをかけるように、後輩のうっかりミスまで俺の責任にされかかった。

もうやってられるか。

定時ダッシュを決めた俺は、安さが売りの居酒屋に駆け込んだ。


カウンター席の端っこで、とりあえず生ビールを注文する。

黄金色の液体が、カラカラに乾いた喉を潤していく。

ぷはぁ。

生き返る。

この一杯のために生きていると言っても過言ではない。

いや、過言か。

つまみの塩キャベツを齧りながら、二杯目のハイボールを煽る。

安酒は酔いが回るのが早い。

それがいい。

嫌なことなんて、全部アルコールで洗い流してしまえばいいのだ。


上司の顔、達成できなかったノルマ、佐藤の勝ち誇ったような笑顔、後輩の憐れみの視線。

全部、全部、消えてなくなれ。

気づけば、ジョッキは5杯目に突入していた。

視界がぐにゃりと歪む。

呂律も怪しくなってきた。


「ひっく…しゃかいがわるいんだぁ…おれは、わるくねぇ…」


誰に言うでもなく、管を巻く。

周りの客が、ちらちらとこちらを見ている気がするが、もうどうでもよかった。

会計を済ませ、千鳥足で店を出る。

夜風が妙に心地いい。

ふらふらと駅に向かう。

家まであと少し。

電車に乗って、狭いアパートに帰って、シャワーも浴びずにベッドに倒れ込む。

いつもの、クソみたいな日常の終わり。


駅の構内に入る。

ホームへ続く階段が見えた。

やけに長く見える。

一歩、足を踏み出す。

その瞬間。

ぐらり、と世界が傾いだ。

「お、っと…?」

踏み出した足が、空を切る。

アルコールで麻痺した平衡感覚が、完全に仕事を放棄したらしい。

身体が、意思とは無関係に、前方へと投げ出される。

スローモーションのように、階段の角が迫ってくる。

あ、やべ。

死ぬ。

そう思った。

ゴツン、という鈍い衝撃と共に、意識がブラックアウトした。


どれくらい時間が経っただろうか。

ズキズキとした頭の痛みで、俺は意識を取り戻した。

「いってぇ…」

額を押さえると、ぬるりとした感触。

血が出ているらしい。

周りには、心配そうに俺を覗き込む駅員さんと、数人の野次馬。


「大丈夫ですか!?」


「救急車呼びますか!?」


「いや…だいじょうぶ、です…たぶん…」


情けない声が出た。

駅員さんに支えられ、なんとか立ち上がる。

全身が軋むように痛い。

打ち所が悪かったら、本当に死んでいたかもしれない。

だが、痛み以上に、奇妙な感覚が俺を支配していた。

なんだ、これは。

頭の中に、膨大な情報が流れ込んでくる。

知らないはずの知識。

見たこともない風景。

聞いたこともない言語。

それは、まるで、別の誰かの記憶。


『―――我はアルフレッド・フォン・ホーエンハイム。王国史上、最も偉大なる錬金術師と呼ばれた男』


荘厳な声が、脳内に響く。

錬金術?

アルフレッド?

なんだそれ。

ファンタジー小説の読みすぎか?

いや、違う。

この感覚は、もっとリアルだ。

まるで、自分が体験してきたことのように、鮮明に思い出せる。


金や銀を精製し、エリクサーを作り、ホムンクルスを使役する。

魔法陣を描き、呪文を唱え、炎や氷を自在に操る。

ミスリル銀の剣を手に、ドラゴンと渡り合った記憶さえある。

万能の知識と、絶対的な力。


そう、俺は、前世ではそんな存在だったのだ。

剣と魔法の世界『アースガルド』で、並ぶ者のない力を持っていた。

だが、その力は、多くの妬みも買った。

信頼していた弟子に裏切られ、背後から魔法剣で貫かれて、俺の人生は幕を閉じたのだ。


まさか、そんな俺が、こんな平凡な、いや、平凡以下の男に転生していたとは。

山田太郎。

それが、俺の今の名前。


「あの、本当に大丈夫ですか?顔色が真っ青ですよ」


駅員さんが心配そうに言う。


「あ、はい…ちょっと、貧血気味なだけで…」


なんとか誤魔化し、駅員さんの介助を断って、ふらふらと歩き出す。

頭はまだガンガンするし、全身も痛い。

だが、それ以上に、心の奥底から湧き上がってくる高揚感が、俺を突き動かしていた。


前世の記憶。

錬金術師アルフレッドとしての知識と経験。

それが、今、この山田太郎の中に蘇ったのだ。

信じられない。

まるで、出来の悪いラノベのようだ。

だが、これは現実だ。


家に帰り着き、姿見の前に立つ。

そこに映っているのは、紛れもなく、冴えないサラリーマン、山田太郎の姿だ。

痩せた体、覇気のない目、寝癖のついた髪。

ため息が出そうになる。


「これが…今の俺、か…」


だが、前世の記憶が囁く。


『否。汝の本質は、偉大なる錬金術師アルフレッドである』


そうだった。

俺は、ただの山田太郎じゃない。

アルフレッド・フォン・ホーエンハイムでもあるのだ。

ならば。

確かめてみなければならない。

前世の力が、この世界でも使えるのかどうかを。

俺は、おそるおそる、右手の指を鳴らした。

錬金術の基礎中の基礎、発火の呪文を小声で唱える。


『―――イグニス』


パチッ。

指先に、小さな、本当に小さな火花が散った。

豆電球のフィラメントが切れる瞬間のような、ささやかな光。

だが、それは、紛れもなく、俺が意図して起こした現象だった。


「おお…っ!」


思わず声が出た。

すごい。

本当に使えるのか!

まだ、力は完全に制御できていないようだ。

転生の影響か、あるいは、この世界の法則が違うのか。


それでも、確かに、俺の中にはアルフレッドの力が眠っている。

錬金術も。

魔法も。

そうだ。

俺は、もうしがないサラリーマンの山田太郎じゃない。

無限の可能性を秘めた、元・大錬金術師なのだ。

ふつふつと、笑いが込み上げてきた。


「くくく…ははははは!」


なんだ、そうだったのか。

俺がモテないのも、金がないのも、仕事ができないのも、全部、俺本来の力が封印されていたからじゃないか。

そうに違いない。

そう思わないとやってられない。

これからは違う。


この力を、記憶を、存分に活用させてもらう。

クソみたいな会社。

理不尽な上司。

退屈な日常。

全部、変えてやる。

魔法で。

錬金術で。

俺は、この現代日本で、第二の人生を謳歌するのだ!


まずは、そうだな。

手始めに、錬金術で金を生成して、今の安アパートから引っ越すか。


いや、その前に、ちょっとした魔法で、明日のプレゼン資料を完璧に仕上げて、部長の度肝を抜いてやるのも面白いかもしれない。

そうだ、佐藤の彼女にこっそり惚れ薬を…いや、それはさすがに外道か。

まあいい。

選択肢は無限にある。


「見てろよ、この世界!俺様が、全部ひっくり返してやるからな!」

鏡の中の冴えない男は、いつの間にか、不敵な笑みを浮かべていた。


元・大錬金術師、山田太郎の逆襲劇が、今、始まる。


たぶん。

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