三日目の星空

森花

三日目の星空

 気がつくと、僕はベットの中にいた。いつもの朝だ。スマホのアラーム音が鳴っている。僕は何度か瞬きを繰り返した。さっき見たのは夢だったのか。

 暗い部屋の中で、手を動かす。鳴り続けるアラーム音が鬱陶しい。僕は上半身を起こし、枕元の下に手を伸ばした。眩しい光に目を細めながら、画面を操作する。

「六時か…」

 もう少し眠ろうかと思ったが、母さんが起きないうちに、家を出たほうが良い。母が起きると色々面倒だからだ。

「…起きるか」

 僕は毛布を蹴って立ち上がった。散らかった床の足元で、飲みかけのペットボトルが倒れる音がした。


          ◆


 僕はぼんやりと考えながら、とりあえず大学に行こうと決め、東京行きの電車に乗り込んだ。夢の言葉が嘘にしろ真実にしろ、勉強はしなくちゃいけない。

 空いている席に座り、邪魔にならないよう少し端による。電車内は、学生や社員など通勤する人たちで混雑していた。


「地球は三日後に滅亡する」

 暗闇の中、誰かも分からないその声は、唐突にそう告げた。

「まあそう驚くでもない。…驚くのも無理ないが。この声はおぬしにだけ届けている。なぜおぬしなのか、気になるだろう…じゃが、特に理由などない。サイコロを振ったら、あたったのがおぬしだったのじゃ」

 衝撃で動けない自分を気にもせず、声の主は陽気に喋り続ける。

「地球の滅亡という、またとない機会だからのう…。三日間でおぬしが何をするのか、しっかり見させてもらうぞ。」

 フォッフォッフォッ…という笑い声と共に、声が遠ざかっていく。止めようとする間もなく、僕の意識は現実に引き戻されていた。


「よっ、波留(はる)」

 突然横から声をかけられ、僕は閉じていた目を開けた。同級生の流瀬(りゅうせ)が、笑いながら覗き込んでくる。

「ああ…お前か」

「今日は参考書読んでないじゃん。忘れた?」

「いや、リュックの中にある。今ちょっと考え事してて」

「へえ、なんの?」

 夢のことを話そうかと、僕は少し迷った。けれど第一に、信じないだろう。戸惑わせるのもなんだか申し訳ない。僕は考え、二番目に気にしていることを言った。

「…レポートやべぇなあって」

「出席皆勤賞なら余裕じゃね?お前この間も一発合格だったろ」

「仕方なかったんだよ。あのときは、母さんを説得しようと必死だったから」

 あーね、と流瀬が頷く。

 母さんは心配性で、何をするにもそれで大丈夫なのかと口を挟んでくる。だから一人暮らしがしたいと言ったときも、何度も質問され、時には怒鳴って止められた。それが面倒になって、結局一人暮らしはできていない。

「なあ波留、大学終わった後、駅前のクレープ食べに行かね?」

「どこの女子高校生だよ。行かねえ」

「そういえば、人気音楽家のライブチケットが二枚あたったんだけど、今週暇?」

「レポートがあるから無理」

 流瀬が静かになる。僕はポケットからイヤホンを取り出して耳にはめ、スマホから音楽を流した。

 流瀬の目が見開かれる。

「やっぱ音楽好きなんじゃねえか!」

「誰も興味がないとは言ってない」

 コイツ何なんだよ、と呟く流瀬に笑いたくなるのを堪え、僕は音楽の音量を上げた。


 授業を受け、わからないところをメモし、休み時間に確認する。流瀬からの誘いに断りを入れ、頼まれていた資料を探しに図書館へ寄ると、帰る頃にはもうすっかり日が沈んでいた。

 古びた家の階段を登る。青みがかった空に、うっすらと星が煌めき始めている。が、マンションなどの高層住宅に遮られよく見えない。僕は首を振り、ドアの穴に鍵を差し込んだ。

「ただいま」

「聞こえなかった、もう一度」

「ただいま」

「おかえりなさい、波留」

 母さんからの返事を受け、僕は靴を脱いだ。上着を指定の場所にかけ、手を洗う。母さんの声は続いた。

「波留、今朝言ってた勉強は終わったの?」

「ほとんど終わった」

「ほとんどって、どのくらい?ちゃんと進めておかないと、成績なんて上がらないわよ」

 ぼんやりとした回答に、母さんの眉がひそまる。

「会社員になるんでしょ?違うの?」

「そうだよ」

 なりたいのかどうかは、自分でもあやふやだった。けれど母さんを見ると、頷いてしまう。

 責め立てるような口調の裏に、どこか戸惑うような仕草を感じる。母さんは怒りたくて怒っているんじゃない。ただ心配なのだろう。その余計な気遣いに、否定する気持ちすらも奪われる。

「わかってる。ちゃんと結果は出すよ。」

 建前ですら、口にするのが苦しい。僕は足早に自分の部屋へ向かった。


          ◆


 残りの二日間も、僕は普段と同じように過ごした。夢のことも、あまり気に留めていなかった。

 変化があったのは三日目の夜だった。いつものようにベットで横になっていると、何故だか妙に落ち着かない。僕は起き上がった。夢のことが急に頭に流れ込んでくる。

「地球は三日後に滅亡する」

 時計が零時を回った後、世界はどうなるのだろう。僕はどうなるのだろう。

 死ぬのが怖いのかと、僕は思った。滅亡や世界の終わりという事実に怯えているのか。ただ、思い浮かんでくるのは流瀬や母のことだった。自分の、これまでの生活のことだった。

 僕はベットから抜け出し、部屋のドアを開けた。廊下を通り、かけておいた上着をはおり、暗い夜の外へ出る。


          ◆


 倉庫から自転車を引っ張り出し、またがる。街頭が照らす薄暗い坂道を、漕いで登っていく。

 一つだけ、行ってみたい場所があった。

 誰もいない夜は静かで、それなのに一つ一つが活き活きとして見えた。空を切る夜風が心地良い。僕は夢中で自転車を漕いだ。


 自転車を止め、そのまま山の奥に入り込む。

 埋もれる木々の間に、開けた場所があった。落ち葉を踏み散らし、中央に向かって走っていく。衝動で切らした息を整えながら、頭上を見上げた。

「うわぁ…」

 暗黒の空にばらまかれたようにして、星が一面に光り輝いていた。一等星から小さな星にまで、魂が吸い込まれる。空はあまりにも美しかった。

 満たされていく自分の心の中に、じわり、と堪えていた感情がにじみ出る。じわじわと、喉を締めるように、広がっていく。

 世界がこんなに綺麗なら、もっと見ておけば良かった。

 煌めく星々の中に、一筋の光が突っ込んでくる。

 もっと自由に、生きれば良かった。

 誰かの笑い声がする。俯く僕の目の前を、燃え上がる隕石が落ちていった。




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三日目の星空 森花 @morika333

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