第21話『降雨』
「貴様ら、紫陽花の陣だ! 殺された民草の、討たれた仲間の無念を晴らす! 吾輩に、空墜のハードルト・ツバーシャンに命を預けてくれぇ!」
空に怒号が響き渡る。と、同時に俺達の身体に物凄い慣性が掛かる。
「リペル!」
「ギギギ……はぁー。な、なんとか、いけるっ、す」
限界ギリギリ、【スキル無効】の範囲内をワイバーンで駆ける。四方八方から放たれる水弾をハードルトの高速起動で紙一重で避ける、避ける、避ける。
「――喰らえ」
ストムガの言葉と共に、空全体が震える。大気が割れたような衝撃と共に、水弾が雨あられのごとく降り注ぐ。
目の前は蒼一色。海そのものが逆さに落ちてきたかのような光景だ。
「ハードルト!」
「言われるまでもない! 吾輩の空墜の名、ここで潰してたまるか!」
ワイバーンが竜のごとき叫びをあげ、さらに加速する。体がバラバラになりそうな慣性。肺が押し潰される。リペルは――リペルは横で歯を食いしばり、両目を見開いていた。
「『雲量……マイナス十五%、十九%。減ってます、確実に! 残り九十秒!』」
ヒルリアの思念通信が届く。
「九十秒……クソッ。このままではワイバーンが持たん! どうすれば……!」
ハードルトの額に汗が流れる。ワイバーンもそうだが、ハードルト自身の体力も限界なのだろう。
「わが【海熔】を消すとは、敵ながらあっぱれだ。矮小な存在がここまで雨天に抗った――その事実に最大の敬意を表し、矮小でありながらも勇敢な貴様らはわが奥義によって殺してやろう」
ぐふ、ぐぐふぅとストムガが低く唸り声をあげる。
瞬間、水弾の雨が一変した。
大きな水弾ではなく、無数の槍のように鋭く形を変え、正に雨粒のような水弾が俺達を襲う。
「来るぞ!」
一つ一つが雷速に迫る鋭さの水弾。回避すら不可能に思える密度の暴雨。
「っぐおおおおおっ!」
ハードルトの咆哮が空を裂いた。ワイバーンが翼をねじり、暴風を引き裂く。身体が慣性に悲鳴をあげるが、それでも紙一重で俺達は水の槍を避け続ける。
「くぅ……! 改めて、なんて化物……!」
「リペル!」
横を見るとリペルの顔は蒼白だった。
その小さな手からは血がにじみ出ている。恐怖による生理現象で、爪が肉に食い込んでいるのだ。
「リペル! 限界なら――!」
「……言っても、なんにも変わんないすよ」
「――!」
「絶対に言わないっす! 限界だなんて、死んでも!」
「おおおおおおっ!!」
前方、炎の軌跡が閃いた。セーレだ。蒼炎弾が回転し、水の槍を焼き尽くしていく。
「――それで良い。抗え、必死にもがけ。儂にはむかう無謀を、やり切らなければ気が済まないのだろう?」
ストムガの両眼が爛々と光り、水の槍がさらに密度を増す。
セーレの炎はあっさりとかき消された。
「『残り六十秒! 雲量マイナス五十%! 半分です!』」
ヒルリアの声は焦りに満ちていた。
残り一分。されど一分。いつまで、俺達は持つのか。
限界はそこまで遅くなかった。
ワイバーンが大きく揺れる。ハードルトの腹に三本、水の槍が刺さっていた。
「クソッ……すまない……!」
「ハードルトさん!」
「吾輩を気にするな! 空墜の名は……この程度では折れんッ!」
彼の目が血走る。それでも手綱を手放さず、鋭い旋回で槍雨を切り裂いた。
空へ、空へ、空へ。
「『残り三十五秒!』」
「見事な蛮勇だ――ここまで来ると、恐ろしい――貴様らは狂っている」
「狂わなければ民草を守れぬと、死んでいった者の無念を晴らせぬというのなら、吾輩は喜んで狂おう!」
「いけすかねえ野郎だと思っていたが――格好良いぜ、ハードルト」
「ふん、そうか。――貴様ら!
「「「「はい!」」」」
ワイバーン兵の怒号はいつの間にか、何人生きているか、声だけで分かるまでになっていた。
ハードルトのワイバーン操縦の慣性が、随分小さくなったように感じる。それでも、それでもなお、稲妻の如き速度だった。
「残り、十%!」
――その瞬間だった。
ストムガが天を仰ぎ、咆哮を放った。咆哮の先には、俺達が居る。
「――
「やべぇ……来るぞおおお!」
「ぬうううううッッ!!」
水の槍は空間を覆い尽くし、俺達をめがけて突き進む。
「そ、空に、空に逃げれば」
「駄目だ! もう今から二分持たせることなんてできない! この攻撃が、あいつにとっても最後の奥義なんだ!」
選択を迫られる。
一撃を凌げなければ即死。だが凌ぐために上昇すれば、二分の努力は水泡に帰す。
「逃げる、だと? それだけは、認めんぞ」
ハードルトが血を吐きながら、獣のような笑みで叫んだ。
「ここまでやったのだ! 吾輩が、ここで逃げるものか!」
ワイバーンの翼が折りたたまれ、小さく、小さく、一本の槍のようになる。
「屈め! 歯をくいしばれ! このまま突っ込むぞ!」
今までと違い、慣性を喰らうことは無い。だが、その水の槍に自ら突っ込んでいく恐怖は、今までのそれとは比較にならない程の恐怖だ。
災禍を抜けるまでの刹那。あまりに恐ろしい時間だった。どれほどの読み合いと運が絡まったか――。
だが、抜けた。それと同時に、あまりに眩しい光が空から降り注いだ。
「『零! 零%! ついに、雨が晴れました!』」
「は、吾輩はやったぞ――」
だが。俺達は気づけなかった――そして、気づいた時にはもう遅かった。
遠くから、超高速で――水の槍が俺達に向かっていたことに、気づけなかった。
四本、ワイバーンに水の槍が刺さる。
「ぐぎゃああああああああ!」
「これは、不味い――!」
ワイバーンが断末魔をあげてすぐに、五本目がワイバーンの首を穿った。
もはや、制御は効かない。
そして、空をただ墜ちるだけの俺達に巨大な水弾が――。
「貴様ら!」
一瞬のことだった。ハードルトが俺を掴み、空に投げた。紐で繋がっているリペルと一緒に俺達はストムガに向かって落ちていく。
「――託したぞ!」
敬礼。ハードルトは、墜ちていく俺達に、敬礼をした。だが、それは一瞬のことで――ストムガの水弾に、ハードルトは飲み込まれた。
「――託された!」
リペルを抱きかかえ、魔力で身体を保護する。何本か水の槍が体に刺さる。
だが、貫通はしていない。貫通さえしなければ、いい。
残り三m。俺は俺に巡るすべての魔力を、右腕とイテムゲースに込める。
「
この技は得物と使う腕を破壊してしまう技だ。十年以上使っていた最高の魔剣――だが、背に腹は代えられない。
魔力でストムガの水装甲を押しのけ、剣はストムガの身体に刺さる。
「
瞬間、刀身が爆発したのが伝わってくる。
剣に過剰な魔力を流し、その刀身の欠片と魔力で相手の体内を瞬時に切り裂き破壊し尽す、決殺の奥義。
「ぐはあああああああああっっっ!!!!」
王国全域に響くような大音量の断末魔。ストムガの身体に纏っていた水が、一気に流れ落ちる。その水は太陽の光を反射し、七色の光を生んだ。
「弟、弟よ! ――ケイタよ! 痛い! 痛いぞ! 助け、助け――」
ストムガは、最後の悪あがきと言わんばかりに水の槍を再び生み出し、俺達に放った。しかし、弱い。ほとんど残っていない俺の魔力ですら、貫けない火力だ。
「ああ、なぜ――」
ストムガから目の光が消え、墜ちていく。災厄と呼べるほど恐ろしかった古龍は、空に浮かぶ力すらなく、墜ちていく。
「だ、が、俺達も、このままじゃ――」
俺にはほとんど、魔力が残っていない。地上から5,000mは離れているだろうか。いくら俺が頑丈でもそれは魔力があること前提だ。今落ちてしまえば、ひとたまりもない。水があるかないかなど、問題外だろう。
ワイバーン兵の救助も望めない。皆疲弊しているし、俺達から離れている。あれほどの速度を出せたハードルトも、今はあの世だ。
「ごめんな。俺のせいで、こんなところで――」
「謝らないでください。こんなところでなんて、終わるわけないじゃないっすか! リペル・カースドッデより。強風。二対の蛇。糾弾する禿鷲――!」
リペルの詠唱と共に、地上に満ちている水が形を変え、ふくらみ、固まっていく。
「朝の湾内! 泡よ、整い固めろ!
ギリギリ。ギリギリだった。残り100mかそこらで、その魔法は完成した。
生み出された膨大な泡は、俺達を包み込み、落下の衝撃を吸収し――受け止めた。
「はあ、はあ――やった、やった! 助かったす、助かったっすよ! ステインさん!」
俺は呆けていた。今起きた、全ての事象を理解するのに、少しの時間が必要だった。
「リペル――ありがとう」
最初に出た言葉は、それだった。その一言が最初に出た。
リペルは一瞬呆けた顔をすると、にへりと笑った。
「こっちの台詞っすよステインさん――ありがとうございますっす」
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