第9話『信頼』
「『これが全てです。わたくしはお兄様の仇を取れたことで慢心していたのでしょう。結果多くの被害を出し、アイウェを連れ去られてしまいました。わたくしは……死んでいった方々に向ける顔がありません』」
幻覚のヒルリアの瞳から涙が流れた。戦いに巻き込まれて死ぬ人間のことを心の底から悲しむことのできる、冒険者にしては珍しい精神を持つ女だ。
「自分を責めるな。お前は十分戦ったはずだよ。……明日、それまでにお前らは戦える状態まで回復できそうか?」
ヒルリアが聞き間違えていないのなら、クザスメラは三日後にホーリーベル領にまた現れる。これほどの脅威に対して対処できる人間が存在しなければ……。
「『それは……不可能です。わたくしたちはアイウェのスキルで死んでいないというだけにすぎません。他の方々が私を回復させるのには、おおよそ三日はかかるでしょう』」
「そ、それじゃあ間に合わないじゃないっすか!」
その通りだ。王都への街道が壊された以上、三日以内の援軍は期待できない。
ホーリーベル家の私兵も、駐在している王国兵も、領内に居る冒険者も、クザスメラを相手取る戦力としては物の数にも入らないだろう。
クザスメラと戦いになる人間など、今領内には一人しかいない。
「『ステイン……もし本当に、彼女のスキルで【狂戦士】を無効化できるのなら、今クザスメラを止められる可能性があるのは貴方ただ一人です』」
「無理だ。危険すぎる」
即答した。することができた。
「『図々しい願いだと言うことは承知しております。私達の失敗の責任を取るなど……まして、そのために命を懸けろなどと言うのはあまりに身勝手な話であるという事も。ですが』」
「すまないが、英雄気取りは他でやってくれ。勇者パーティーを追放された時から、俺はもうそういう真似はやらないと決めているんだよ。領民が死のうが、お前の家族が死のうが、俺はどうだっていい」
ヒルリアは悲しみとも怒りとも取れるような、そんな表情を浮かべる。
「『なぜ……貴方は誰よりもアイウェの理想に共感していたではありませんか。武力とは、守るためにあるのだと。力に秀でているものは誰かを守らなければいけないのだと』」
「……人のために命なんて懸けられない。――いくぞリペル、俺達だけなら逃げられ」
パチン。と俺の頬に衝撃が走った。
あまりに遅く弱い衝撃で、避けようとしていたならきっと簡単に避けることができただろう。
リペルが俺の頬を叩いていた。
「酷いっすよ、ステインさん」
「酷いって……そりゃ俺は冷たいかもしれないけれど」
「私の覚悟は、そんなに軽かったすか」
「……」
「私があなたについて行くって言った時の覚悟は、そんなに軽く見えたんすか!?」
違う。リペルには確かな覚悟がある。たとえ、命が失われても自分の信念を貫かんとする覚悟が。
覚悟がないのは俺の方だ。
「――昔さ、俺には姉が居たんだよ。俺と比べ物にならないぐらい綺麗で強い剣を振るえる凄い姉だった……だけど、姉ちゃんは十年前にクソ親父と戦って死んじまった」
毎日。毎日、夢に出てくる。あれだけ強かった姉ちゃんがボロボロになりながら、親父と一緒に滝壺に落ちていく姿が。
そして、それ以上に。姉ちゃんを助けるために一歩を踏み出せなかった自分の足が、今でも脳裏に張り付いている。
「俺は……怖い。アイウェに勝った敵を前に、お前を守れなくなるかもしれないことが怖い。俺を救ってくれた奴を見捨ててしまうかもしれないことが怖い。あの日見る事の出来た、自分の勇気を否定してしまうかもしれないことが……どうしようもなく怖いんだ」
俺はアイウェとは違う。どれだけアイウェの理想に共感して、憧れても、俺はその理想を自分で思いつくことができない。誰かに背中を押されなければ憧れた理想に向かって一歩を踏み出すこともできない。
「リペル……お前は英雄だよ。アイウェも、シフネも、ヒルリアも、セーレも……でも、お前らと俺は違」
俺の言葉はまたしても中途で止まった。
不意にリペルにキスをされたからだ。
「ん、ん、んっ」
数秒ほど、静寂の空気が流れた。
「『ちょ、ちょっとリペル様!?』」
ヒルリアが顔を真っ赤にして止めに入ったのは何秒たった頃なのだろう。俺にはわからなかった。
「いきなり何を――」
「ごめんなさい。でも今の言葉だけは言わせたくなかったんす」
ようやく、リペルは俺から離れた。
「自分が、英雄じゃないなんて言わないでください」
いつもの暗くおどおどとした雰囲気とは全く違う。あの日、自分の足を切り裂いた時と同じ目。
「他の誰が何を言っても私はステインさんが好きっす。憧れているっす。感謝しているっす。だから、自分で自分を否定しないでください。貴方にそれを否定されたら私はどうすれば良いって言うんすか」
「リペル……」
「私はクザスメラと戦いたいっす。この街には私に優しくしてくれた人も居るし……あの日救われた命は、誰かを救って返さないといけないと思うっすから。でも、私だけじゃ絶対に勝てないんで……ステインさんも一緒に戦ってくれるとうれしいっす」
「なんで」
顔を覆う。自分でも何が何だかわからない、湧き上がる激情を押さえる必要があった。
「なんで、なんでお前はそうできるんだ。勇気の根拠になるような強さを持たない、スライムにも勝てないようなお前がなんで恐ろしい死地に飛び込めるんだ! お前のその勇気はいったい、いったい何なんだ!」
「勇気? 私は臆病者っすよ」
リペルは微笑んだ。
「きっと、最後にはステインさんが助けてくれるってそう信じているだけっすよ」
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