第38話 委員長とアイドル戦国時代

 珍しく一人学食で昼食を食べる昼休み。最近少し涼しくなってきたので、ベージュのカーディガンを着た私は、「なんで平成ギャルってベージュのカーディガンなんだろう」みたいなどうでも良いことを漠然と考えていた。すると、


「あ、美樹みきさん探したわ。ちょっといいかしら」


 実咲みさき委員長だ。彼女の秋の制服は、紺のベストだった。私は「なんで平成の偏差値高めの女子って紺のベストなんだろう」とか考えながら、


「実咲ちゃん、ちゃおっすー」

「ちゃお…… なんなのかしらその挨拶は」


 なんだろうね。なんか知らないけど、私がタイムリープする前の令和の時代に、ギャルの間で流行っていた挨拶だ。ちなみに私の中で「ちゃおっス」といえば、ギャルじゃなくて「家庭教師ヒットマンREBORN!」だった。


 まぁそれは(どうでも)良いとして、委員長は私に何か用があるらしかった。私は正面に座る委員長に、


「実咲ちゃんどしたん? 何か悩み? 話聞こか?」

「いえ、悩みではなくて、その…… 例のことなんだけど」


 例のこと。それだけで私はなんのことかわかった。委員長が参加したがっていた、アイドルの握手会のことだ。


 根が陽キャな委員長だけど、だからこそアイドルの握手会みたいなイベントは初めてで、それだけに珍しく心細さを感じているようだった。なので私も一緒に行くってことになり、ついでにアイドルの握手会について調べていたのだった。


 アイドル戦国時代。そう呼ばれる一連のライブアイドルブームがいつから始まったのかは諸説あるが、この2010年がスタート地点だと主張する人も少なくない。AKB48が「ヘビーローテーション」をリリースしたこの年は、他にもアイドル業界全体に影響を及ぼすような革命的出来事がたくさん起こった。


 第一回「TOKYO IDOL FESTIVAL」の開催。NHKの「MUSIC JAPAN」で女性アイドル特集が組まれ、ももクロ、AKB48、モー娘らによる伝説的な共演が実現。他にもニッポン放送主催の「アイドルユニットサマーフェスティバル2010」も話題になり、AKB48だけでなく、多くのライブアイドルが一斉に世間に知られるようになった。


 ただリアルアイドルに触れてこなかった二次元オタクの私からすると、この歴史認識には誤りがあるように思えてならない。リアルアイドルブームの火付け役になったのは、どう考えてもアイドルマスターだ。当時のオタクの中心地だったニコニコ動画で、アイマスが本来は交わらなかったであろう二次元オタクとアイドルオタクを繋げた。全ての道はアイマスに通ず。


 ともかく、そんなアイドル戦国時代の黎明期にアイドルにハマった委員長は、AKB48を入り口に、最近はよりディープな地下アイドルにまで手を広げているようだった。そして委員長が今推している、とある地下アイドルグループの握手会に参加したい、とのことだったが、


「結論から申し上げますと、実咲ちゃんが今推しているアイドルグループは、握手会をやっていませんでした……」

「そんな……」


 委員長が今推しているのは「するっとカンフー」とかいうアイドルグループなのだが、そんなグループ聞いたことなかった。少なくとも一周目の世界では、そんな文字列すらも見たことがない。でもネットで検索したら、確かに存在した。めちゃくちゃマイナーな地下アイドルらしかった。


 ただこの「するカン」、AKB48のような握手会はやっていないようだった。しかしそれとは別にちゃんと特典会はあるようで、その内容というのが、


「握手会はやってないけど、“チェキ会”とかいうのがあるみたいだよ」

「チェキ会…… それはどういうものなのかしら」

「アイドルとチェキを撮影する会」

「斬新ね。面白そうだわ」


 ネットで調べた限りだと、どうやらアイドルの特典会としては、握手会よりもチェキ会の方が一般的らしい。委員長はアイドルにハマっているものの、ネットで調べたりとかはあまりしないようだった。平成の一般的な女子高生の情報摂取量だ。


 一方で私は相変わらずリアルアイドルにはいまいち興味がわかないが、オタクの性として情報を摂取することそれ自体が好きだった。なのでここ数日、葵との格ゲーの大会や体育祭に向けての練習などで忙しいにもかかわらず、やたらとアイドルの知識をつけていた。「するカン」にも詳しくなった。


「で、ライブの後にチェキ会が行われるんだけど、ライブも見る? 一応チェキ会だけ参加もOKみたいだけど」

「ライブも見たいわ!」

「じゃあ色々と“予習”をしておいた方が楽しめるかも。コールとかあるらしいし」

「そうなのね!」

「あとはペンライトかなぁ。推しアイドルのカラーのペンライトを持ってたら“レス”が貰えるから。それと他には……」

「すごいわ! 美樹さん詳しい!」


 委員長聞き上手だなぁ。目を輝かせながら私の報告を聞く委員長を見ていると、オタクとしての“内なる衝動”を抑えきれなそうになる。ついついいっぱい喋りたくなってしまう。委員長には、オタクくんを早口にさせる何かがあった。


 そこまで考えて、私はあることに思い至った。


 もしかして、委員長が“オタクに優しいギャル”なのでは? いやそもそも委員長はギャルじゃないけど、でも明らかにその才能があった。そして今の私は、オタクに優しいギャルに優しくされるオタクくんそのものなんじゃ……。


 いいや! 我こそがオタクに優しいギャルだ! 誰がなんと言おうと! 大体アイドルにハマっているのは委員長の方じゃないか。だとしたら委員長がアイドルオタクで、私がアイドルオタクに優しいギャルのはずだ。私はちょっと聞き上手なだけの委員長なんかに屈したりはしない!


「やっぱり美樹さんにお願いして正解だったわ!」

「いや、ちょっとパソコンで調べただけだよ……」

「パソコン! もしかして美樹さんって、自分のパソコンを持ってたりするの?」

「まぁノートPCだけど。あんまり性能とか良くないよ?」

「それでもすごいわ! 大人っぽい!」


 この時代、マイPCを持っている女子高生はあまり多くはなかった。だから委員長が自分のPCを持っていなくてもあまり不思議ではないのだが、その優越感をゴリゴリに刺激してくる! 自分もあまりPCに詳しい方ではないけど、それでもグラボとかCPUについてにわか知識で語りたくなってしまう!


「そんなことより『するカン』のことなんだけど、実咲ちゃん振り付けとか覚えてる?」

「あ! それなんだけど、実は少し踊れるようになったの!」

「えー見たい見たい」

「いいけど、ここで踊るのはちょっと……」


 自分がただのオタクくんになってしまう前に、なんとか話題を戻すことが出来た。危なかった。それにどうやら委員長が、「するカン」の曲のフリを見せてくれるらしい。つまりここからは私のターン。アイドルの振り付けをしっかり覚えたであろう委員長をいっぱい褒めて、私が“オタクに優しいギャル”になってゲームセットだ。


…………

……


 人が多い食堂から、屋上に場所を移す。この時代、まだ学校の屋上はギリ解放されていた。少しずつ澄んできた秋の晴れ空の下で、iPodから曲を流しながら、委員長が踊る。ちなみにスピーカーは、教室であおいとお弁当を食べていた結愛ゆあから借りた。


 私はそんな委員長の姿を、スマホで撮影する。ここだけ切り取れば令和の風景だが、この時代にはTikTokも存在しないので、完全に自分用だ。「するカン」の振り付け自体はいかにも地下アイドルといった、良く言えば王道のダンスで、Perfumeやももクロのような斬新さがあったりする訳ではなかったのだが……、


「え、かわよ……」


 アイドルソングを踊る委員長は、どちゃくそ可愛かった。難易度は低いが自分を可愛く見せることに特化したアイドルステップと、こういうことはしっかりやり切れる根が陽キャな委員長と、黒髪眼鏡に紺ベストという清楚スタイル。これらの要素が全て合わさることにより、奇跡的なマリアージュが実現していた。


「あの、美樹さん、どうだったかしら」

「くそかわだった」


 入学当初、私はみんなに優しい委員長を天使だと思ったけど、最近は少しその評価が揺らいでいた。普通の女の子だと思っていた。だけどやっぱり天使だった。


 撮影したばかりの委員長の踊ってみた動画をリピート再生していると、委員長が隣に座って覗き込んでくる。自分のダンスの完成度が気になるのだろう。でも私はそんな委員長の何気ない行動にもドキドキして…… いやこれはさすがにおかしいか。


 危うく心の底からただのオタクくんにされてしまいそうになるのを、ギリギリのところで踏みとどまっていると、委員長が、


「今更だけど、美樹さんってなんていうか、すごい付き合いがいいわよね」

「そんなことないと思うけど」

「そんなことなくないわ。だって女性なのに女性アイドルのファンって、結構変わった趣味じゃない?」

「そんなに変わった趣味ではないと思う。今はAKBファンの女性とかも普通にいるみたいだし」


 いやでも2010年だと変わった趣味なのか? リアルアイドルを通ってこなかったこともあり、ここら辺の肌感覚はいまいち正確じゃなかった。でも仮に少数派な趣味だったとしても、女で男性向けエロゲをやっている自分程ではないと思った。そして少数派というのは、オタクにとっては称号でしかないのだ。


「美樹さんみたいな人をなんて言うのだったかしら…… 見た目は派手だけどこういう趣味に理解のある人。確か……」


 委員長は顎に指を当てて考えて、


「理解のある彼女!」

「うーん……」


 この時代に、“オタクに優しいギャル”という言葉は存在しなかった。まだデレマスの城ヶ崎美嘉も存在しない世界だ。でも今回の私の心の中だけで行われたオタクに優しいギャル決定戦は、なんとか辛勝に持ち込めたのかもしれない。委員長は強敵だった。


ギャルのバイブル「egg」曰く、ギャルマインドは老若男女誰もが身に付けられるものらしい。つまり全人類が、“オタクに優しいギャル”になる可能性があるということ。一部の隙も無い、完璧な理論だ。


 委員長にオタクに優しいギャルの片鱗を見ながら、オタクに優しいギャルの新たな可能性を発見した昼休みだった。



(※「するっとカンフー」は架空のアイドルユニットです)

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