第7話
提出した卒論が受理された翌日から、宮本の中に奇妙な感覚が広がり始めた。
達成感も、解放感もなかった。ただ、重い空気が胸にまとわりついていた。
(提出できたはずなのに・・・なんでこんなに気持ち悪いんだろう)
構内を歩いていても、視線を感じる気がした。実際誰かが見ているわけではない。けれど、何かが見ているような感覚が、背中にずっと貼り付いている。
そして、それはまもなく形を持った。
ゼミ室に入ると、テーブルの上に一冊の冊子が置かれていた。
白黒のプリント。タイトルが太字で印刷されている。
「アンパンマンの支配構造と排除の倫理」
副題に小さく、「ある無名の語り手による構造批判」とだけ書かれていた。
宮本の手が、ピクリと動いた。
それは教授が和樹の語りを思想としてまとめ直したものだった。
論文ではない。けれど、誰から読んでもこれは元ネタだと分かる構成。
ページをめくるたび、自分が借りたものではなく、奪ったものだったことが思い知らされる。
「悪は、正義の中で定義される。その定義に乗らなければ、声を持たぬ存在になる」
「アンパンチは、暴力ではなく、沈黙の強制である。」
「バイキンマンは仲間になれなかったから悪なのではなく、仲間になれない構造そのものを象徴している」
宮本は頭を抱えた。
―俺は、こんなものを書いて提出したのか。
―こんな重さを。俺の言葉として背負えると思ったのか。
気づいた。自分は、あの少年の考えるという行為を盗んだのではない。考え抜いた末の孤独を盗んだのだ。
その時、ドアが開く音がした。
顔を上げると、和樹がそこに立っていた。無言で、まっすぐに宮本を見ている。
その目は、責めていなかった。
でも、すべてを知っている目だった。
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