ep.3 招かれざる呼び声
潮風が、街を撫でていく。
時任廉は、双樹堂のカウンターに座り、手元の封筒を開けていた。
中から現れたのは、数枚の写真と簡潔なメモ。
住宅街の一角に立つ、ありふれた一軒家。
そこに住む家族全員に、微細な“ズレ”が見られる
──そんな内容だった。
「……ひとりで対処できるか?」
低い声が、隣の席から聞こえた。
顔を上げると、そこにいたのは守永舷だった。
飄々とした空気をまといながら、深く座り込んでいる。
グレーのシャツに黒いジャケット、目元に疲れを滲ませた静かな男。
綴屋から連絡が回っていたのだろう。
廉は、わずかに頷くだけで応えた。
「二人で行く。油断するな」
守永もまた、必要最低限しか言葉を使わない。
その寡黙さに、廉はほのかな親近感を覚えた。
現場は、港から少し離れた丘の上。
住宅街の中にぽつりと立つ、古びた白い家だった。
塗装の剥がれた外壁。
さび付いたポスト。
──だが、窓から見える中の様子だけは、妙に生気を帯びていた。
二人は別々に動き始めた。
廉は、裏手の庭へ。
守永は、正面玄関の周囲を。
廉は、庭に面した窓の隙間から中を覗く。
キッチンに立つ女性──母親だろう──が、妙にぎこちない動きで食器を洗っていた。
指先の動きが、微妙に遅い。
力の加減を知らない子どものような仕草だった。
一方、守永は正面から家族の様子を観察していた。
リビングでテレビを囲む父親と子どもたち。
父親は穏やかな微笑みを浮かべ、子どもたちは自然に笑い、じゃれ合っている。
──完璧すぎる。
動きに隙がない。表情も自然。
だが、そこに“生”の揺らぎがない。
作られた自然さだった。
「……外から見た限り、旦那と子どもたちはステージ3だな」
戻ってきた守永がぼそりと呟いた。
「完全に成り代わってる」
廉もまた、同じ結論に達していた。
問題は、妻──キッチンにいた女性だ。
動きに僅かなひずみが残っている。
「妻は、まだステージ2後半」
廉が短く告げた。
「じゃあ、気づかれるな」
守永も低く返す。
ふたりは頷き合い、そっと敷地に忍び込んだ。
守永が前、廉が後ろ。
ドアは施錠されていなかった。
中に入った瞬間、廉は小さく眉をひそめた。
空気が、重い。
記憶の澱のような、湿った空気。
リビングでは、父親役と子どもたちが笑い合っていた。
完璧な”家族”を演じている。
表面上は何も違和感がない。
それでも、廉の感覚は警鐘を鳴らしていた。
守永が、微かに手を挙げて合図する。
──母親が、キッチンからこちらに向かって歩いてくる。
廉はスコープ付きの小型ライフルを構えた。
守永は警棒をわずかに伸ばし、構えた。
だが、母親役のそれは、廉を見た瞬間──
ふっと微笑んだ。
「撃つの?」
乾いた声だった。
だが、そこには妙な温度があった。
廉は一瞬、迷った。
目の前のそれは、たしかに異形の存在だ。
だが、言葉を発した瞬間、その表情はどこか、哀しげだった。
その隙を、守永が埋める。
すっと横に滑り込み、廉の肩に軽く触れた。
「……考えるな。今は、見るだけだ」
低く、穏やかに、短く。
声には、急かしでも叱責でもない、ただ事実だけが込められていた。
廉は、ぐっと息を飲み込んだ。
再び銃口を母親役へ向ける。
その時、母親はまた笑った。
「あなたも、忘れたい記憶があるのでしょう?」
──誰かの声に似た、優しい響きだった。
(第3話・了)
始末屋 utah. @utah_shimazuya
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