第41話

「さぁて、そろそろだね」


 カテルナが魔獣の前に少し距離を置いて立ち、軽く呼吸を整えた。両脇にはラフィーネとウォルカナートが立っている。その周囲には見守るように幾人かの教師がいた。

 教師陣にも一応ウォルカナートから作戦については話を通してあった。だが、最悪の場合を想定して、臨戦態勢で各所に戦闘要員として魔導士たちが配置されていた。

 学生たちは安全のため、魔獣と塔の周辺からは退避させている。高等部の優秀な生徒が数人志願して、校舎内で何層かの障壁を各所に形成していた。


「塔の方はどうなってるんですか?」

「転移円陣にはすでに数人かで霊力の充填は終わったそうだから、今頃エルナさんが反転復唱を始めている頃じゃないかな。――あ、メルトナーダさんとヘイラスさんも気が付いて補助に回ってくれているようですよ」


 ラフィーネの問いにウォルカナートがにっこりと答える。邪気の無い笑顔は逆に怪しさに満ちていたが、ラフィーネはとりあえず頷いておいた。


「随分と時間がかかってるみたいですね」


 カテルナが細い足を屈伸させて筋肉をほぐす。先程から入念なストレッチを続けている。ラフィーネはカテルナの真剣な面持ちとは逆に何だかその姿がやけに子どもっぽく見えてしまって、笑ってしまいそうになるのを堪えていた。


「多少術式が書き換わってしまったそうだから、それの調整に時間がかかるみたいだ。間に合うかどうかは……まぁ、微妙なところだね」

「ま、なるようにしかならないか」


 ぴょんと飛び跳ねて立ち上がり、カテルナは首を鳴らして腕を空に向かって伸ばし、大きく伸びをした。


「さて、準備はいいか?」


 カテルナは魔獣を睨み付けて、不敵な笑みを浮かべて二人に視線を配った。ラフィーネとウォルカナートはこくりと頷いて、三人とも氷付けの魔獣を見つめた。

 中庭はいつも通り静かだった。流れる風は魔獣を包む氷のせいで冷たく、息は白く吐き出される。魔獣からぶら下がるいくつかのつららは、しとしと水を落とし始め、結界が解ける瞬間が近づいているのを知らしていた。


「――制御封印解除」


 ラフィーネの声が静かに響いた。肩に乗せたルシルに幾何学模様が浮かんだ。

 氷の砕けていく音が魔獣の方から聞こえ始める。ウォルカナートは自分の妖精を呼び出し、腕に乗せて、笑顔のまま、手のひらを魔獣に向けて構えた。

 ラフィーネが炎剣ブレアムントを手に構えた瞬間に氷が砕け、魔獣の咆哮が中庭を揺らした。


「じゃあ、よろしくね!」


 カテルナは振り返り、まっすぐ魔獣に背を向けて走り出す。魔獣は空に向かってもう一度吠えると、視線をすぐカテルナの背に向けて、一瞬の呼吸を置いて突進を始めた。


「――我呼び出すは天上の城。浄化の炎、紅蓮染まりてゆらゆらと赤く」


 ラフィーネが剣を地面に突き刺して、古語の呪文を唱える。詩を詠うように、静かに唱え、炎を帯びた独特の陣印が足元に走る。ウォルカナートはカテルナに追走し、一定の距離を開けて、その様子を見る。


「――出でよ。焔城」


 瞬間、ラフィーネを包むように巨大な炎の城壁が姿を表し、魔獣は激突して停止する。


「赤く、赤く、消えぬ火は焔。流るる焔によりて相対する敵を焼かん」


 追加術式を読み上げると、城壁は炎と化し、一気に魔獣を炎で包む。周囲で待機していた教師陣から歓声とどよめきが起こる。高位術式の高速略式詠唱の連続が目の前で展開され、それがまだ十八の少女によって行なわれていることに驚愕を隠せないでいた。

 魔獣は炎の中で、遠ざかっていくカテルナの背を睨んでいた。ラフィーネはブレアムントを構える。


「開放限界まで残り三十秒」


 高位術式の展開のため、ルシルの制御封印の開放時間が狭まっていた。その声に重なるように、魔獣は一度大きく吠え、その角を一振りして身を包む炎をかき消した。


「行くよ、ルシル」

「わかりました。ラフィーネ」


 制御封印を解除している時にしか聞けないルシルの声を耳に刻みながらラフィーネはブレアムントを構えて、魔獣の角に切りかかる。魔獣は自ら障壁を張りながら、突進するラフィーネをはじき飛ばし、吠える。角には光が収縮し始め、狙いをカテルナへ向ける。

 ラフィーネは上手く地面に着地して、再度ブレアムントを目の前に構えて、魔獣の前に飛び出す。


「残り十」

「うん」


 ルシルの短い声。一時のその声に答えながらラフィーネは、魔獣の放つ光の玉を天に弾き返す。

 どうしていつも戦いの中なのだろう。ラフィーネはルシルの声を聞くたびに思う。滅多なことが無い限り、ルシルの制御封印を解除してはならないとカテルナに言われていた。

 生まれた頃から聞いたことのないルシルの声。自分の身の内にあるものから生み出された彼女はどんなときも傍にいた。

 周囲の人が自分の妖精と話す姿を見るといつも羨ましかった。その度にルシルが申し訳無さそうに俯く姿を見ては、いつも反省していた。

 制御封印を解除して、精霊王の力を借りるときにだけ、ルシルは言葉を話すことを許されていた。強大な力を持つ代わりに払った代償。望んではいない力のために払った代償。

 戦いの中でなければ、ルシルとどんな話をしたのだろうか。ルシルはどんな笑みを浮かべて話すのだろうか。ふと考えてしまうありえない光景にほんの少し胸が痛む。

 だからラフィーネはいつもルシルの声を聞くときは、その一言一言を記憶に刻んでいた。いつまで覚えていられるかわからないルシルの透き通った声を胸にしまいながらラフィーネは炎剣ブレアムントを振るう。


「ラフィーネ、限界点到達。精霊開放を強制封印します」


 炎の剣は砕け、ルシルに再度制御封印が施される。擦れていく声を聞きながら、ラフィーネは一つ頷いて、戦線を離脱した。

 障害の無くなった魔獣はカテルナを追って走り始める。ラフィーネは崩れるように地面にぺたりと座り込んで、息をついた。ルシルは手のひらで静かに眠りにつく。一日のうちに二度も制御封印を解除したのだ。随分と疲れてしまったのだろう。


「お疲れ様、ルシル」


 眠るルシルは光を帯びて、契約刻印に帰っていく。それを見届けてから、ラフィーネは魔獣の走り去った方角を見つめた。


「後は頑張ってね、カテルナ」

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