第13話
「ここが書庫かぁ」
昼休み。エルナの目を盗んでカテルナはまっすぐ書庫に向かっていた。中等部の校舎から少しはなれた緑の屋根の建物。レトロな感じの木造の床にトコトコと足音を落としながら、目的の書庫を探した。
カテルナの目的であるビナスの宝玉に関する書物は、普通の書庫には当然置いていない。
世界に三つしか存在しない魔族の残した魔導具。それらを記した書物は数多く存在しているがそのほとんどは国に回収されてしまっていた。
この学園の書庫ならば、ビナスの宝玉のことがわかるかもしれない。それはあまりに頼りない希望ではあったが、今のカテルナ達にはそれにすがる以外ほかなかった。
しばらく歩いていくと目の前に大きな扉がそびえ立った。カテルナはごくりとつばを飲んで、立ちはだかる扉に手をかけた。
「さて……」
ここにビナスの宝玉に関する資料があるかもしれない。ここでビナスの宝玉のありかに少しでも近づけたなら、すぐにでも探しに出かけるつもりだ。こんな姿とは少しでも早くおさらばしたいのだ。
学園にラフィーネを一人でおいておくのはかわいそうな気もするが、友だちができれば、ラフィーネも一人で寂しい思いをしなくてすむ。
今度出るときはたくさん手紙を書いてあげよう。前回の旅で、あの子が見た目よりもずっと寂しがり屋だということがわかったことだし。
(まぁ、母親としては嬉しいかぎりだけどね)
カテルナの口元がわずかに緩んだ。カテルナは深呼吸をしてからもう一度扉を見据えた。
この扉はカテルナのこれからを大きく左右するいわば運命の扉といっても過言ではない。扉にかける手にも緊張が走る。カテルナが手に力を込めようとしたその瞬間、
「え、マジですか!? 本気で追い出す気なんですか!? じょ、冗談なんじゃ……」
若い男の声が響いた。つづいて隣の部屋から、男が蹴り出される。その上に四角い箱がガシャリと音をたてて捨てられる。
「アーツ先輩!? ……開けて、開けてくださいよ! 追い出すなんてあんまりです!! なんでもしますから、アーツ先輩!?」
一通りわめき倒した情けない男はがくりと地面にひれ伏し、めそめそと立ち上がったかと思うとカテルナの横を通って、行ってしまった。
「な、なんなのあれ?」
いきなりの出来事に出鼻をくじかれたカテルナは遠ざかる金髪の男の背中を見つめていた。蹴りを繰り出した足は女の人の足だった。ふられたでもしたのだろうか。それともカツアゲにでもあったのだろうか。
「いや、そんなことどうでもいいの。それよりも――」
ハッと我に返ってカテルナはもう一度扉に手をかけた。グッと力をいれ、目の前の扉を開いた――つもりだった。
「何で……開かないのよ」
扉は変わらず閉ざされたままだった。
押しても引いても開かない。ノックをしても開かない。上下左右にスライドさせても開かない。殴っても開かない。蹴っても開かない。ボタンをさがしても見つからない。何をしても開かない。閉館するにはまだ時間は早い。キョロキョロと辺りを見回すが誰もいない。書庫の扉は変わらず静けさを保っている。カテルナの頭に苛立ちが募る。
――は、破壊してしまいたい。木っ端微塵に、ズタズタに。カテルナの中の破壊衝動が目を覚まし始める。
(――ダメだダメだ)
カテルナはフルフルと頭を左右に振った。
――そんなことをしたら宝玉のときと同じになってしまう。私のことだからどうせ勢いあまって、中の書物ごと吹き飛ばして、今度こそラフィーネに愛想をつかされるのだ。そんなこと、二度とごめんだ。
「平和的に、平和的に、平和的にね」
言い聞かせるように繰り返し唱えると、カテルナは深呼吸をして、もう一度まわりを見た。
そういえば先程男が追い出された部屋はなんなのだろう。そう思ってカテルナはその部屋の前に立った。そこには『第三書庫管理室』という表札がかかっていた。
「す、すばらしい。平和的に物事を運ぶというのはこういうことなのね」
そう言ってカテルナは意気揚々と扉をノックした。するとすぐに扉の横の受付窓が開いた。カテルナがその窓を覗こうとすると女の声が返ってきた。
「――謝ったって許さないよぉ」
「はえ?」
カテルナは背伸びをして奥を見ようとするが背が届かない。かろうじて女性の後頭部が見える。
「どうせめそめそするなら自分の部屋でしとけっての」
ヒラヒラと白い手が振られている。
「――あ、あのぅ」
カテルナの声に白い手がピタリと止まった。ゆっくりとした動作で振り返ると、女性は苦笑いを浮かべて言った。
「あら、生徒さんだったの――。トトトのやつが半べそで帰ってきたとばかり……」
やっと顔を見せたのは眼鏡をかけた若い女性だった。胸元にアーツ=クロウウェルと書かれた名札をつけていた。どうやら彼女がここの管理人のようだった。
「何か用かしらん、お嬢ちゃん」
「調べものあって来たんだけど、閉まってて入れないの。悪いけど開けてくれない?」
お嬢ちゃんと言われたことに少しムッときたがそんなことに今は構っていられない。カテルナはプライドが許す限りの子供らしい口調で言った。
――アーツは目の前の小さな女の子に不思議な違和感を感じずにはいられなかった。くりくりとした瞳に小さな背丈、背伸びして覗き込む姿がなんとも愛らしい――それなのに、どうしてか似合わない。どこかがおかしい。口調も子供っぽい甘えた口調なのに、表情や仕草に小さな嘘を感じる。わざとそうしているような、不自然さがそこにあった。
「とりあえず学生証見せてもらおうかな?」
疑問を頭の隅に追いやって、アーツはいつも生徒にしているように学生証の提示を求めた。カテルナは担いでいる鞄をゴソゴソと探り、その中から手帳を取り出してアーツに渡した。
無言で手帳を受けとると、アーツはそのまま、中を調べ始めた。棚からファイルを取り出し、手帳と見比べると、またファイルを閉じて棚に戻した。そしてカテルナのほうを向いて言った。
「使用許可が下りてないから、開けられないわ。ごめんなさいね」
「はい?」
――シヨウキョカ? なんですかそれは?
予想外の言葉が出てきて、カテルナの動きが固まった。その様子を察して、アーツが説明をはじめた。
「あのね、この第三書庫には国の重要書物やら高位魔導詠唱法を記した魔導書やらの複製本があるの? わかる?」
カテルナはコックリと頭を下げる。
「高位魔導詠唱はそれなりの熟練者でないと詠唱に失敗したり、魔法が暴走したりするの。だから、ここの利用には制限が設けられているの」
「ど、どんな?」
「中等部以上の子で、学年末に発表される成績優秀者にのみ利用が許されるの。各学年の上位十名だけね」
「学年末……上位十名……」
今は春。学年末は冬。――つまり最悪一年はここに在籍しなければならないということか。一年、短いようでとても長い。
「いるのよねぇ、年に数人、お嬢ちゃんみたいな人。さっきも高等部の子が一人来てたわ」
――それはきっと私の娘です。
ラフィーネはいったいどんな気持ちでこの話を聞いたのだろう。いや、あの子は少し嬉しかったかもしれない。なんだかんだ言ってあの子はここに来たがっていたのだから。
「あなた中等部だったのね。小さいからてっきり小等部だとばかり思ってたわ」
ふらふらとカテルナは何も言わず、歩き始めた。抑えた苛立ちが、また沸々と湧き上がり始めていた。
外へ出ると頭からすっかりと感覚が抜けきっていた。呆然と空を見上げると、憎たらしいくらい白く広がっている。
カテルナは空を見上げて歩いていた。鳥のさえずりに耳を傾け、目を閉じる。
「ピヨピヨ、うるさい」
今ではどんなに優美なクラシックも、大自然の合唱も雑音にしか聞こえなかった。
現時点で、手がかりが書庫しかない以上、もう書庫を襲撃するか、諦めるしかない。しかし襲撃はラフィーネに止められているし、もうこれはやはり諦めるしかないのだろうか。
「はぁ……最悪」
大きな溜息とともにがっくりと肩を落としてカテルナは教室へと戻った。そんなカテルナを尻目に相変わらず小鳥はピヨピヨとさえずりを奏でるのだった。
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