第4話


 時間退行の呪い、幼児化の呪い、変容の呪い、それらを中心に調べているとすぐに、カテルナの前に展開している方陣と似通った呪式図が見つかった。


「あったこれだ。変容の呪い三項二番。解き方は……」


 ラフィーネが本を見ながら、方陣を調べる。


「――どう?」

「――聖水保護のコードが入ってるから、聖水じゃ治せないし、コマンド入力方式でもないみたい」


 方陣の型を見ながら、本をめくり、方陣を指でなぞって、中身を展開していく。すでにカテルナの前には何重もの方陣が重ねられていた。

 カテルナはそれらを見ながら呟く。


「必ず解く方法はあるはずなんだ。――呪術は他者に対して永続的に強力な力を発する代わりに必ず解く方法を用意しなくてはならない……っていうのが呪術の大前提だからね」

「――あっ」


 新たに方陣の中身を展開した時、ラフィーネが声を上げた。


「どうした?」


 ヴァラが心配そうに二人を見上げた。


「――パスワードだ」

「パスワード?」

「呪術を行使した人が決めた合言葉。それをここに打ち込めば解くことができるみたいね」


 新たに展開した小さな方陣に空白が空いている。ラフィーネが手をさっと払うと、展開していた方陣がまたカテルナの中へと戻っていった。ラフィーネが方陣からカテルナに目を移すと、カテルナは呆然としていた。


「――呪術を行使した人……」


 カテルナの肩に何かが重くのしかかってきたような感覚が訪れた。


「――誰にかけられたかわかる?」


 こくりと頷くカテルナはひどくどんよりとした表情だった。


「わかるが……もういない」


 答えたのはヴァラだった。カテルナもがっくりと肩を落とす。


「もういないって……いったいなにがあったの? こんな高等な呪術をこんなに複雑にくみ上げるなんて人間業じゃない。なにがあったか教えて」


 観念したのかカテルナは重い口をゆっくりと開いた。


「――ビナスの宝玉って知ってる?」

「――うん」


 ――世界に三つあるといわれる、伝説の魔導具。魔族にのみ起動することが許され、どんな願いでも叶えてくれるといわれている。


「――でもまだひとつしか見つかってないって話だよね」

「……見つけたんだ」


 カテルナはラフィーネから目を逸らし、床を見つめていた。


「――え?」


 ラフィーネは視線をヴァラへと移す。ヴァラはただ無言で、こくりと頷いた。


「まさか――」


 ――ヴァラは魔族だ。ヴァラがいればビナスの宝玉は起動できる。


「――何を願ったの?」


 責めるような口調で、ラフィーネはカテルナを見つめた。


「――不老。永遠に若いままでって……そしたらこんな姿に……」


 ラフィーネがぽかんと口を開けて固まった。そして額に手を当て、溜息をこぼした。


「不老だなんて、どうしてそんなバカなことを……人間、健康で長生きできれば老けたって構わないじゃない。それで子供になってたんじゃ――」


 ラフィーネの言葉にカテルナが顔を真っ赤にして机を叩いて立ち上がった。


「仕方ないじゃない! 私には――」


 ハッと口を押さえて黙り込む。ラフィーネはカテルナの初めて見せる剣幕に驚きを隠せずにいた。


「……仕方ないって、なにが――」

「とにかく、こんなことになるなんて思ってなかったんだから!」


 室内にカテルナのヒステリックな声が響いた。大きな瞳には涙が浮かび始めていた。


「落ち着け、カテルナ」


 息を荒立てるカテルナに静かにそう言ったのは机の上のヴァラだった。


「ビナスの宝玉はカテルナを幼児化したあと壊れた。だから、呪術を解くパスワードはもう誰も知らない」


 カテルナは深呼吸を一つして、また椅子に座った。


 ――自分が壊したということを伏せてくれてる。カテルナは机の上の小さなドラゴンに深く感謝した。娘にこんなバカな話を知られたくはなかった。ただですらバカな状況なのに、それを引き起こしたのが自分自身だとは知られたくはない。


「じゃあ、もう誰にもカテルナにかけられた呪いを解くことはできないってこと? 幼児化で、不老ってことは――」

「一生、子供のままだな」


 カテルナは机に突っ伏した。ラフィーネもそれにあわせるように突っ伏す。二人とも泣きたい気持ちでいっぱいだった。

 どんよりとした空気が辺りを包んだ時だった。ヴァラが溜息混じりに言った。


「――他に手がないというわけではないがな」


 二人は同時にがばりと起き上がって、ヴァラの身体を掴んだ。首と尻尾をつかまれ、ヴァラは大きな翼をパタパタと苦しそうに暴れさせた。及ばずながらルシルもそれを手伝う。


『どうすればいいの!!』


 二人にすごい剣幕で言い寄られ、ヴァラは二人の手をほどいて、ふわりと宙に浮かんだ。


「――ビナスの宝玉だ」


 ヴァラの言葉にカテルナは呆れ顔で溜息をつく。


「――は? 壊れちゃったのよ、あれは」

「残り二つの方?」


 そう言ったのはラフィーネだった。ヴァラはこくりと頷き、ゆっくりと机の上に降りた。


「ビナスの宝玉で、呪いを解くように願えばいい。あれはどんな願いでも叶えるからな。――しかし、ビナスの宝玉に関する書物のほとんどは国が管理している。それ以外ビナスの宝玉に関することは何もわからないのが現状だ」

「――あっ、なるほど!」


 カテルナがぽんと手を叩いて言った。


「国の書庫を襲えばいいんだ!」


 ヴァラががっくりと首を落とす。ラフィーネも同じく首をすくめる。


「私はいやよ。犯罪者の仲間入りなんて……」


 カテルナは納得いかない表情で、ラフィーネに聞き返す。


「――却下? 一番手っ取り早いと思うんだけど……」

「却下。もっと合法的に書庫を利用できるようになればいいんでしょう?」

「そういうことだ」

「じゃあ、他にどんな方法があるかな……」


 話はカテルナを無視して進行し始めていた。カテルナはつまらなさそうに椅子の上で、膝を抱く。その仕草があまりにも子供らしいことに気付き、カテルナは一人で慌てて、きちんと座りなおす。そんなカテルナに見向きもせず、ラフィーネたちはあれよこれよと方法を練っている。カテルナはルシルと一緒にしばしその様子を眺めていた。

 進展をみせない話し合いに、見かねてカテルナが口を挟んだ。


「国の重要書物を管理してる書庫にそんな簡単に入れないって――。パパっと進入してパパっと奪っちゃえばいいじゃない。用がなくなったらパパっと返せば誰も気付かないって」

「――そういえば」


 ラフィーネは何かを思い出したように、立ち上がると、棚から、数枚の紙を持って、少し遠慮がちにカテルナの前に並べた。


「関係ないと思ってカテルナには言ってなかったんだけど……」


 目の前に並べられた紙を手に取ると、そこには、『魔導学園入学案内』と大きな文字で書かれていた。


「読んでみて」


 カテルナは手渡された書類を受け取り、珍しいカラー印刷のその書類に目を通した。


「なになに……えっと――『魔導学園にお子さんを預けてみませんか。魔導学園はあらゆる分野の学問を習得できます。魔導学をはじめ、精霊学、錬術学、錬工学に至るまで、それぞれの学問の高名な教授を講師に招き――』って、これがどうしたのよ」

「下のほうのかこみも読んでみて」


 ラフィーネに言われたとおり、視線を下へとずらす。ヴァラとルシルもぺたぺたと、近くに寄ってくる。


「――なお、魔導学園は国の管理書庫をそのまま移しており、利用は――」


 バッと顔を上げると、ラフィーネと視線がぶつかる。みるみるカテルナの顔に笑顔が戻る。


「楽天的に考えない方がいいな。管理書庫を移していたとしても、ビナスの宝玉に関する資料があるとは思えん」


 歓喜の声は、あがる前にヴァラの一言でぶち壊された。カテルナは深い溜息をついて俯く。


「――それもそうだね。たかだか学校の書庫にそんな危険な情報満載の書物なんて置かないよね……」

「で、でも……行ってみないとわからないじゃ――」

「無駄よ。あるわけないもの」

「それでも……」


 と、言いかけ、ラフィーネはシュンと縮こまった。心配そうにルシルが顔を覗きこんでいる。その落ち込みようがやけに深い気がして、カテルナの胸に何かがちくりと刺さった気がした。次に口を開いたのはヴァラだった。


「だが……今のところそこ以外、あてがあるわけでもない」


 ヴァラの言葉にラフィーネがぱっと顔を上げた。ルシルにも笑顔がこぼれる。


「ビナスの宝玉に間接的に関わる書物もあるかもしれん。行ってみる価値はあるかもな」


 ラフィーネはヴァラにコクコクと頷くと、一転、不安げにカテルナの顔色をうかがった。


「そうだね。ない可能性のほうが多いだろうけど……それ以外なさそうだし……」

「じゃあ……」

「――その学校に行きましょう。私もこの姿だったら、上手くやれば入学できるだろうし、明日にでも私の知り合いに頼んで、戸籍を偽造してもらうよ」

「じゃあ、私は入学願書もらいに行ってくる」


 その時、カテルナのお腹がなった。帰ってきてから水以外なにも口にしていないことに気付く。

 それを聞いて、ラフィーネはニッコリ笑うと立ち上がる。


「そろそろお腹すいたね。すぐに晩御飯温めるよ」

「あっ、私も手伝うよ」

「いいよ、今のカテルナじゃ台所に手、届かないでしょ?」


 そう言うとルシルを連れて台所へ向かった。


「ラフィーネは……」


 台所へ向かうラフィーネを見つめながらヴァラが呟いた。


「ラフィーネは学校に行ってみたかったんだろうな」

「――そうだろうね。あの子は私のせいで、ずっと学校に行かせてやれなかったから……」

「半年も家を空けたんだ。町で学校に向かう子供の姿を見たのかもしれん。誰かさんにそっくりで、あの子はなんでも一人で溜め込みすぎる」


 そう言ってチラリと、カテルナを見上げる。頬杖をついたままカテルナはこくりと頷く。


「本当に……私は駄目な母親だね」


 台所では嬉しそうにシチューの鍋をかき回すラフィーネの姿があった。

 ――こうして始まりの夜は更けていった。

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