魔導学園都市のカテルナ

佐渡 寛臣

第1話

 そこは深い迷宮の奥だった。整然と敷き詰められた白い石畳が無機質な闇を作り出している。

 静かだった。ただ壁をつたう水の音だけが響いていた。

 迷宮の最も奥にひときわ広い部屋がある。その一室だけ他とは違いほのかな光を灯している。光があるのにどうしてか妙に寒く、暗く感じられる。そもそもその光もどこからきているものなのかもわからない。

 その部屋の入り口から奥に向かって太い柱が立ち並び、突き当りには見上げるほど巨大な石像がある。大きな翼を広げ、頭から角を生やした石像。目玉に紅い宝玉を埋め込んでいる。それは魔族と呼ばれる種族をかたどったものだった。


「――そう、それは無理なのね」


 透き通るような声が響いた。その石像の前に女が立っていた。黒――というよりも紺に近い長髪を綺麗に結っている。その髪にはドラゴンを模した金の髪飾りが輝いていた。

 女は腕を組み、少し考えるような仕草で頬に手をあてた。髪色に合わせた紺色のローブが女の動きに合わせて揺れる。


「だったら、私を不老にしてほしい。永遠に若く、この魂がつきるその時まで……」


 まばゆい光が女を足元から包んだ。その光は広い部屋の全てを包んだ。




 街の明かりも届かない深い森林の奥に一軒の家が建っている。古い木造の二階建てで、そばに立つ大きな木が家の天井を覆っていた。窓からは明かりがこぼれ、中からシチューの匂い流れてくる。

 キッチンに少女が立っていた。深い赤色の髪で、毛先は染めているのか少し黒い。切れ長の目が少しきつそうな印象を与える。

 その少女――ラフィーネ=ストライフはせかせかと料理をしている。十八という年の割に手際よく料理を進める。


「えっと……タピオの実、タピオの実……・」


 そう呟きながら、そばにある木の実を煎じた粉をシチューに加え、蓋をしたところで壁に掛けられた時計に目をやった。針は七時を指している。

 ほっと、一息ついてエプロンを脱いで、椅子に腰掛けた。コトコトと、音を立てる鍋に目をやり、頬杖をついた。


「……カテルナ、遅いな……」


 そう言ってまたゆっくりと進む時計に目をやる。今日は彼女の母親であるカテルナ=ストライフが五ヶ月ぶりに帰ってくる。今、作っている料理もそのカテルナのためのものだった。


 ――早く帰ってこないかな。ラフィーネの視線はまだ時計と料理の間を行ったり来たりしていた。


 どうも落ち着かない気持ちだった。

 カテルナが五ヶ月という長い間、家を空けたのは初めてのことで、ラフィーネには久しぶりの帰宅が嬉しくもあり、少し恥ずかしくもあった。


 仕事の都合上、一、二週間、長くて一ヶ月くらい家を空けることはよくあった。ラフィーネはカテルナがいないその間、一人で起きて、食事をとって、掃除をして、町に下りて買い物をして、そして寝る。ときおり寂しく感じることもあるがそれでも仕事なのだから仕方がないと、割り切って、毎日を過ごしていた。


 ふと、綺麗に整頓された棚の方に目をやる。そこに数枚の手紙があった。ラフィーネは憎らしげにその手紙を一瞥すると、溜息を一つこぼした。

 家には手紙がよく届く。そのほとんどはカテルナの勤めている仕事先からの依頼の手紙だ。カテルナの仕事は、商船の護衛や、害獣の駆除など、そういった依頼をこなし、依頼に応じて報酬をもらうというもので、通称ハウンドと呼ばれる仕事だった。

 ラフィーネはこの手紙が届くたびに、気が滅入ってしまう。届いた手紙の数だけカテルナが家を空けることになるのだから……。


 子供の頃は甘えることができた。そうすれば、寂しい気持ちも晴れるし、それでいいと思っていた。しかし、近頃はそれができなくなってしまった。そうやって甘えることでカテルナへの負担を増やしているような気がして、十四を過ぎた辺りから、甘えることができなくなってしまった。

 そうやって我慢を繰り返すものだから、カテルナを迎える日はいつも胸が踊る。料理にも精が出るというものだ。

 もう一度、時計に目をやり、シチューの火を止めたところで、遠慮しがちのノックの音が響いた。


 ――カテルナだ。そう思って急いで扉に手をかけた。


「おかえり――」


 扉を開けてそう言いかけて、ラフィーネは口を閉じた。


 ――誰もいない。辺りを見回すが人影もない。森は静かな夜に沈んでいる。

 ――扉が風に揺れただけなのかもしれない。がっかりと肩を落とし、ラフィーネが家に戻ろうとしたときだった。


「ただいま……」


 ひどく落ち込んだ声がラフィーネの耳に飛び込んできた。カテルナの声に似ているのだけれどヘンに高い声。そう子供のような声だった。

 おそるおそる振り返ると、そこには大きなトカゲのような生き物を抱きかかえた女の子が立っていた。


 十歳……くらいだろうか。紺色の髪に、その年には不釣合いの大きな髪飾りをぶら下げ、ぶかぶかの服をずり落ちないように両手で押さえている。

 見覚えのある服、見覚えのある髪飾り。なによりも面影を残す顔立ち。そしてこれまた面影を残す幼いドラゴン。


「――ラフィーネ、私……」

「カ――カテルナ?」


 子供はコックリと一つ頷いて、グズグズと泣き始めた。


「どうしよう、ぇぐっ、私……」


 扉の前でわんわんと泣く子供にラフィーネは戸惑いながら、


「――と、とにかく、ここじゃなんだから、座って話そう? ――さ、入って……」


 そう言ってラフィーネはカテルナの背を押して、テーブルに向かわせると、カテルナは抱きかかえたドラゴンを床において、ちょこんと椅子に座った。向かい合うように、ラフィーネもテーブルにつく。

 何が起こったのか、事態はラフィーネの理解を完全に超えていた。まだ目の前で泣いている子供がカテルナかどうかも信じがたくラフィーネは床をぺたぺたと歩く黒いドラゴンに声をかけた。


「ヴァラ……だよね」

「――そうだ」


 子犬ほどの大きさのドラゴンは少し長めの首をこちらに向けて、落ち着いた声で頷く。

 龍帝ヴァラストゥーニ。それがこのドラゴンの本名で、もともとは魔族の中でも高位の『龍帝』の名を冠する最強の龍族。翼を広げると全長十メートルを越す巨大なドラゴン。

 ――のはずだった。


「こんな姿になって……」

「――気にしていない」


 そう言って、小さな翼をパタパタさせて、テーブルの上に乗っかった。


「――カテルナ、どうしてこんなことに?」


 少し平静を取り戻したのだろう、カテルナは泣き止んで、テーブルの上に乗ったヴァラの頭を撫でていた。

 カテルナは急に慌てたそぶりで、視線を宙に泳がせた。そして、また、ヴァラの方に目を向けた。

 ヴァラはそっぽを向いて、黙り込んでいた。

 カテルナにはどうしても話したくない理由があった。


「――え、えとね……」


 カテルナの頭は話を逸らす言い訳でいっぱいになっていた。

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