第7話 女神様と半分こ

 柔らかな吐息。

 肌の温もり。

 ふわりと香るシャンプーの匂い。


 ただ隣にいるだけで、心臓が跳ね上がりそうだった。


 有城は片耳にイヤホンをつけ、ベッドの上に足を崩して俺の隣に座っていた。

 異性がそばにいることなんて、まったく気にしていない様子だ。


 一方、俺は——まったく、胸の鼓動が収まらない。

 緊張で、胃がきゅうっと痛くなるくらいだった。


 ワイヤレスじゃなくて有線イヤホンを持ってきたのは、完全に失敗だったな。

 コードの長さなんてたかが知れてる。

 だから自然と、俺たちの顔の距離は……


 ——至近距離。


 頬が触れそうなほど近い。いや、これ……触れてる?

 まさか、いやいや……でも……。

 今の俺たち、ほぼ肩を寄せ合ってる状態じゃねぇか……。


 やばい。落ち着け、俺。冷静になれ。

 心臓が壊れたみたいに暴れてる。

 視界の端にちらちら映る彼女の横顔がやたらと綺麗で、それがまた余計に意識させてくる。


「……あのぉ、花村くん」


「ひゃ、ひゃいっ!」


 まずい。変な声が出た。


「……どうしたんですか?」


「いや、気にしないでくれ。ちょっと喉の調子が悪くてな」


「……そうですか」


 それきり、沈黙。

 聞こえるのは、雨の音だけ。


 ……気まずい。


 隣を見ると、彼女と目が合ってしまいそうで怖かった。

 もし目が合ったら、多分頬が緩んでしまう。

 そんな顔、絶対に見せたくない。


「……音楽、聴かないんですか?」


「ああ、すまん。忘れてた。はは、何やってんだろな……」


 有城に気を取られすぎて、音楽のことなんかすっかり頭から飛んでた。

 自分から誘っておいて、何してるんだ、俺。

 さっきの変な声も合わせて、きっと変なやつだと思われたに違いない。

 ああ、話しかけなきゃよかった……。


 俺は震える手でスマホを操作して、音楽アプリを立ち上げた。

 とりあえず流行ってる曲をかける。


「どうだ? 聴いたことあるか?」


「……すみません。分かりません」


「そっか……」


 選んだのは、歌番組や街中でもよく流れる有名な曲だった。

 サビすら知らないとは、さすがに驚きだ。

 テレビも動画もあまり見ないのかな?


「普段は何してるんだ?」


「勉強と、ダンジョン探索ですね。だから音楽はあまり……」


「マジか。飽きたりしないのか?」


「飽きないですよ。自分で選んだことなので」


 勉強とダンジョン探索の両立なんて、今では珍しくもない。

 副業としてダンジョンに潜る人は増えているし、安全なところなら資源を回収していけば、安定して金を稼ぐことができる。

 もちろん、危険なダンジョンほど高報酬が見込めるけど、その分、リスクも跳ね上がる。そういうダンジョンは、プロの挑む世界だ。

 片手間でやってる奴が、プロに敵うわけない。


「そういえば……有城って、第7ダンジョンにいたよな? あそこ、かなり上級者向けだって聞いたけど」


 第7ダンジョンは、俺が有城を初めて見かけたダンジョンだった。


「はい。四回だけ、挑戦しました」


「ボス部屋には行けたのか?」


「……いえ、無理でした」


 第7ダンジョンは、全ダンジョンの中でも特に難易度が高い。

 攻略サイトを見ても、はっきりとした突破方法が載っていないくらいだ。


「パーティ組めば、もう少し楽になるんじゃないか?」


「パーティは……組みたくありません」


「なんで?」


「報酬が減るじゃないですか」


「……あー、なるほど」


 パーティを組めば探索は楽になるが、報酬は人数分に分配される。

 欲張りな有城には、あまり向いていないスタイルなのかもしれない。


「……有城って、案外強欲なんだな」


「強欲とは……ちょっと心外です。ちゃんと、事情があるんですから」


 むっとした顔で、頬をぷくっと膨らませる。

 ああ、かわいい……なんて思ってしまった。


「……ごめん。悪かったよ」


 つい、無意識のうちに謝ってしまっていた。

 まぁ、最初から折れるつもりではあったけど。


 それでも、やっぱり心配だ。

 有城が強い冒険者だってのは分かってる。頑張ってるのも見てて伝わる。

 でも——ダンジョンは甘い世界じゃない。

 どれだけ鍛えた人間でも、一瞬の油断で命を落とす。

 そんな例を、俺は何度も見てきた。


 だから、不安になるんだ。


 ——ある日、なんの前触れもなく、ひっそりと死んでしまうんじゃないかって。


「てか、雷が苦手ってのは意外だったな。モンスターは平気なのに、雷はダメなんだな」


「悪いですか? 誰にだって苦手なものくらいありますよ」


「悪かった。どうしても気になってさ」


「ご存知の通り、人が超能力を使えるのはダンジョンの中だけです。外にいるときは、ただのか弱い美少女ですよ?」


「美少女って……自分で言うなよ」


 ちょっと怒ったような声色。

 もはや女神様のようなオーラはどこにもなくて、隣にいるのは——ごく普通の、16歳の女の子だった。


 そんな有城と過ごす時間が、いつの間にか心地よくなっていた。


 ふと気づくと、一曲目が終わっていた。


「次、かけるぞ」


「はい」


 何か聴いていないと、緊張で吐きそうだった。

 今、こうして会話できてるのも、間違いなく音楽のおかげだ。

 俺のガチガチに固まった心を、音楽が優しくほぐしてくれている。


 ——そのときだった。


 何気なく流れていた曲の歌詞が、ふと脳裏に焼きついてきた。


『止まないでほしいんだよ

 降りつづけて欲しいんだよ

 きみとここにいる訳がほしいんだよ

 いつか訳がなくてもね

 きみのとなりにいる僕になりたいね

 でも今はまだ早いから

 もうすこしだけ空に頑張ってほしいんだよ

 止まないでほしいんだよ

 まだ一緒にいたいんだよ

 きみのとなりに居させてよ

 傘なんていくらでも貸すからさ』


 ……バカか、俺は。

 ただの歌詞じゃねぇか。よくあるラブソングだろ。

 なのに、なんで……こんなにも、胸が高鳴るんだ。


 有城は、今この歌をどんな気持ちで聴いてるんだろう。

 ふと、彼女のほうを見てみる。


 彼女は、いつも通りの態度で平然としていた。

 歌詞に酔いしれるわけでもなく、ただの音楽として聴いているみたいだった。

 あいつからしたら音楽とは音と文字の羅列に過ぎないのだろうか。


「花村くん、どうかしました?」


「えっ?」


「私の顔に……何かついてますか?」


 きょとんとした顔で見上げるその姿に、俺は思わず心の中で叫んだ。


 ……お前、自分がどれだけ可愛いか、自覚しろよ。


「……いや、なんでもない」


 そう言って、俺はそっと目を逸らした。


 イヤホンから微かに漏れるラブソングの欠片が、雨の湿気と混じり合いながら、保健室の空気をしとやかに満たしていた。

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