梅雨の教育実習生
降り頻る雨が、体育館の天井を叩く。
雨の音が籠る体育館で、ミアは舞台上部を見上げていた。
「今日から、こちらにいる6人の先生が、教育実習生としてこの学校にやって来ました。左から、自己紹介をしていただきます」
ミアは舞台の真ん中辺りを見つめる。
そこには、背の高い茶髪の男性が立っていた。
(……ゆず兄?)
目を凝らして見つめていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、親友の夏川茉莉が瞳を輝かせながら壇上の真ん中を指す。
「あの人、かっこよくない?」
茉莉が言っているのは、まさにミアがゆずだと睨んでいた人物だった。
その時、ちょうどその男性が1歩前に出て挨拶をするところだった。
「橘ゆずです。数学教師を目指しています。よろしくお願いします」
ゆずは深く頭を下げて、隣に立っていた教師と入れ替わり1歩下がる。
ミアは驚きを隠さずにゆずを凝視する。
そんなミアに気づかず、茉莉は「かっこいい!」とはしゃいでいた。
その日の放課後。ミアは文芸部にいた。
パソコンを見つめて、ため息をつく。
まさか、こんなことになるんて予想もしていなかった。
(ゆず兄が教師を目指しているのは知ってたけど……)
教育実習生がこの時期に様々な学校に来ることは知っている。
それでもー。
「まさか、本当にこの学校に来るとは思わないでしょー!?」
ミアは勢いに任せて、カーポートを叩く。
向かいに座っていた部長がビクッと肩を振るわせた。
ミアはハッとして手を止める。
「ご、ごめんなさい!!つい……」
ガバッと頭を下げて、パソコン画面を見る。
そこには半端な文章が表示されていた。
(あー……何これ)
主人公の女の子が恋に悩んでいる部分なのに、感情のままに打ってしまった。
これでは山場の場面が台無しだ。
途中まで消して、再びキーボードを打ち始める。
部屋の中にはタイピング音だけが響いた。
窓を叩く雨の音が心地よく聞こえる。
先程までの混乱が凪いでいく。
しばらく雨音とタイピング音に包まれながら小説を打っていると、ガラリと引き戸が開いた。
「お邪魔します」
「花野、いらっしゃい」
部長の声に顔を挙げると、そこには沙樹がいた。
刈り上げた淡い栗色の髪に、凛とした強さを浮かべた瞳。
彼はミアと目が合うと、すぐ隣に腰を下ろした。
「よっ」
「部活、お疲れ沙樹。今日、バイトは?」
「休み。ミアにお願いがあって来たんだ」
「私に?」
キリのいいところまで書き上げて沙樹を見ると、彼は真剣に頷いた。
どうやら緊張しているらしい。
(珍しい…いつもは、すぐ言うのに)
それだけ大事なことなのだろうか。
「前にさ、ミアが「honeyリボン」ってペンネームで小説書いてるって言ってただろ?」
「うん、そうだよ」
「……俺の従兄弟がさ、ミアのファンなんだよ」
「え!そうなの?モカちゃん、だっけ?」
「そうそう。この間話した。今中3だから今度高校見学なんだ」
「へー!ウチ来るの?」
「おう。ミアがウチにいるのは知らないみたいだけど、文芸部に入りたいんだと」
「そうなんだ……」
ミアは嬉しくなりながら、パソコンの画面を見る。
途中まで書き上げた文章を見直して、口元を綻ばせた。
(私の……ファンかぁ……)
今までそんな風に言われたことがないので、ニヤけてしまう。
レビューをくれたりコメントをしてくれる人も多いけれど、ファンだと言ってくれる人は残念ながらまだいなかった。
「すごく嬉しそうだな」
「そりゃ嬉しいでしょ。沙樹のお願いって、私に文芸部の紹介をしてほしいの?」
「おう。いいか?」
「私は構わないよ」
言いながら、ミアはー部長を見やる。
それに気づいた彼は軽く頷いた。
「僕も大丈夫だよ。僕はその日、学校来てないから、米倉頼むね」
「はい!わかりました!」
意気込んで返事をした時、下校時刻を知らせるチャイムが響いた。
部長もミアもパソコンを閉じて、帰り支度を始める。
その間に、沙樹は部室から出ていてミアたちを待っていてくれた。
「お待たせ。帰ろう、沙樹」
「おう」
「君たち仲良いな。本当に付き合ってないの?」
部長が疑わしげに聞いてくる。
ミアと沙樹は顔を見合わせて、ブンブンと首を横に振った。
「そんなわけないじゃないですか」
「そうですよ。アッキー先輩。俺じゃミアに釣り合わないし」
「えーそうかな?僕はお似合いだと思うよ」
アッキーこと秋斗の言葉に、沙樹は首を傾げている。
その様子がおかしかったのか、人差し指にかけた鍵を回しながら、秋斗が楽しそうに笑う。
「自覚ないんだ。……まぁ、それも仕方ないよね」
秋斗が意味ありげにミアに視線を向けて職員室に入っていく。
ミアと沙樹はそれを見届けてから昇降口を出た。
正門を出てしばらく歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。
「お」い!ミア!」
「ゆず兄!?」
パッと振り向くと、隣の沙樹が不思議そうに瞳を揺らす。
ゆずに気がつくと慌てて姿勢を正す。
「橘先生、お疲れ様です」
「おーお疲れ様。えーと、花野くんだったかな」
「はい」
ミアの反対隣に立ち、ゆずは柔らかく笑う。
沙樹も安心するように笑みを返した。
「ゆず兄、数学教師を目指すの?」
「うん」
「国語じゃなくて?」
「……ちょっと、心境の変化でね」
ゆずが困ったように眉根を寄せて言う。
ミアは首を傾げていたけど、彼がそれ以上何も言わなかったので触れないことにする。
それから、3人で大カカの話など他愛もないことを話しながら帰路についた。
「じゃあな、ミア」
「うん。また明日、沙樹。ゆず兄」
2人に手を振って玄関を上がる。
この時のミアは後輩になるかもしれない沙樹の従兄弟のモカと大学の文学部のことで頭がいっぱいだった。
早速部屋でスマホを操作する。
そして、国語教師を諦めた理由を聞かなかったことが新たな出会いを産むなど、予想もしていなかった。
ーその人物が、どんな人なのかも。
ミアの想像を超えることが起ころうとしていた。
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