第36話(完)「また一緒にやろうね」
春の午後。
桜舞う公園のベンチに、ふたりの影が並んでいた。
結月は白いカーディガンに淡いピンクのワンピース、ほのかは映画の撮影用に仕立てたジャケット風の衣装を羽織っている。もう制服ではない。けれど、どこか学生の頃の空気が二人の間に漂っていた。
「ねえ、朝比奈さん……じゃないや、朝野先輩!」
ほのかがふいに笑いながら言った。
結月も吹き出す。「その呼び方、まだ慣れないよね」
「うん、だって……結って呼んでた期間の方が長いんだもん」
「でも、それが嬉しかったよ。あの名前、たぶん、一番素直な私だったから」
春風がふわりと髪を撫でた。
しばらく沈黙が落ちる。だけどそれは、決して気まずいものではなかった。
時間のすき間に浮かんだ、ふたりだけの静けさ。
「いま、初めて――“朝比奈結月”として青春を終えた気がするんだ」
結月がぽつりと呟いた。
ほのかはそっと顔を向ける。
「終わったんですか? 私は、続いてると思ってました」
「ふふ、うまいこと言うなぁ」
「本気です」
「そっか……ありがとう」
映画『放課後シンデレラ』は、いま全国の劇場で話題となっている。
“卒業制作”から始まったこの作品は、玲央の後押しと各所の協力を得て、劇場公開が実現した。
玲央が水面下で動いていたプロデューサーや配給関係者とのつながりを活かし、「いま観るべき青春映画」として公開にこぎつけたのだ。
SNSでも《主演:朝野結》の名が少しずつ拡散されている。ファンの間では「これって、あの朝比奈結月じゃ……?」と話題になっているが、確証はない。
彼女はまだ、名乗っていない。
けれど、それがかえって“魔法”のような空気を生み出していた。
「次の仕事、決まったんでしょ?」
結月が訊くと、ほのかは頷いた。
「はい。青春恋愛映画の主演……今度は、ちゃんと自分の名前で」
「すごいよ、ほのか。ちゃんと、叶えたんだね」
「まだ全然です。脚本、難しいし。演出家の人も怖くて……でも、がんばりたい」
「がんばらなくていいよ。楽しんで」
「……え?」
「楽しんでる人の演技って、観てる側にも伝わるから。私も、ようやく分かった気がする」
視線を合わせる。
その瞳の奥には、過去の結月では見せなかった“柔らかさ”があった。
「ねえ、結……」
ほのかが言いかけて、口をつぐんだ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないです。なんか、うまく言葉にできないっていうか……」
「言葉にしなくていいこと、あるよね」
そう言って、結月はふっと微笑みながら、自分の指をそっと立てて、ほのかの唇に当てた。
「……もう少しだけ、秘密のままでいてもいい?」
「……うん」
ほのかは小さく頷く。
その瞳は、どこか誇らしげだった。
そのあと、二人は映画の話をした。
好きなシーン、NGを出した回数、るなのこだわり演出、玲央の無茶振りアドリブ撮影。
笑い合いながら語るその姿は、まさに“いま”を生きていた。
そして、ふいに。
結月が、何気なく言った。
「また一緒にやろうね。今度は、どんな役でもいいからさ」
「……え?」
「ライバル役でもいいし、双子の姉妹でもいい。老夫婦でも、なんでも」
「……ふふ、それはちょっと早いかな」
「でも、また一緒にやろう。私は……あなたとだったら、どんな役でも生きられる気がするから」
ほのかは、数秒黙ったあと。
ゆっくりと右手を差し出した。
「絶対。また、相棒で」
「うん、約束だよ」
がっちりと手を握り合うふたり。
春の光が、ふたりの影を長く、やさしく伸ばしていた。
◇ ◇ ◇
そのあと、場面は――
映画『放課後シンデレラ』のラストシーンへと、静かに切り替わる。
桜の並木道を、制服姿のふたりが並んで駆けていく。
「行こっか!」
「うん!」
笑いながら、走る。その背中は、もう過去を振り返っていなかった。
そしてエンドロール。
モノローグが重なる。
「これは、私たちの青春の1ページ。だけどきっと――続きは、まだ白紙のまま。」
最後のカット。
春空の下、桜が舞う道を歩いていく二人の後ろ姿。
その先に何が待っているかは、まだ誰にもわからない。
でも、彼女たちは歩いていく。自分の意志で、自分の道を。
演技でもなく、役でもなく、素顔のまま。
ふたりの物語は、まだ、終わらない。
——《完》
元・国民的女優、身分を隠して高校デビューしてみた。地味系転校生はバレずに青春できるのか!? 御幸 塁 @famous777
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