第19話「応援してるよ、私の相棒」

午後五時すぎ。

授業がすべて終わった放課後の校舎には、生徒たちの足音と、どこか名残惜しげな笑い声が混じっていた。


そんな喧騒から少し離れた、屋上。


風の音だけが、ゆるやかに吹き抜けるその場所に、二人の少女が並んでいた。


「今日、思ったよりも暑かったね」


そう言って、フェンスにもたれるように腰かけるのは、朝野結。


その隣に立ち、制服の裾を両手で握っていたのは、葉山ほのか。


「……わたしね、今日、進路の発表してよかったって思った」


「うん、すっごくかっこよかったよ」


「……でも」


言葉が少しだけ詰まる。


「怖いんだ。夢って言っちゃったら、それが“責任”みたいになって。逃げられない気がして」


結月は、その横顔をそっと見つめた。


「誰かの支えがないと、歩ける気がしないの。……ひとりぼっちで進むのが、まだちょっと……怖い」


ほのかの声は、小さくて、でも誤魔化さないほど真剣だった。


数秒の沈黙のあと。


結月は空を見上げて、ぽつりと口を開いた。


「私も、そうだったよ。……今だって、ずっと怖い」


「え……?」


「“朝比奈結月”って名前に、どれだけのものを背負ってきたか。期待されること、求められること。それを失うのが、ずっと怖かった」


「結月……」


「でも、ほのかちゃんと出会って、“朝野結”としての私を、ただの“友達”として見てくれて……」


そう言った結月の目が、少し潤んでいた。


「それが、嬉しくて。救われたの。……ほんとうに、ありがとう」


ふいに、涙が一粒、結月の頬を滑り落ちた。


「私にとっての青春はね、ほのかちゃんと出会えたことかもしれない」


その言葉に、ほのかは、言葉を詰まらせた。


じわじわと込み上げてくる想いを抑えきれずに、彼女もまた、頬を濡らした。


「なんで……そんなこと言うの、泣いちゃうじゃん……」


「泣いていいよ。泣けるって、ちゃんと“今”を生きてる証拠だと思うから」


ふたりの視線が重なる。


そして、自然と手を伸ばし合う。


「これからも、隣にいてくれる?」


「もちろん。だって……」


ほのかは、言葉を詰まらせながら、でもはっきりと答えた。


「わたしの“相棒”だもん」


「うん。わたしの相棒も、君だよ」


しっかりと結ばれた手のぬくもりが、言葉以上に互いの覚悟を伝えていた。


夜。

ほのかのスマホが震えた。


【◯◯プロダクション:次回オーディションのご案内】

《来週末、東京都内某所にて実施予定。詳細は以下のURLにてご確認ください》


通知の文字を見つめるうちに、心臓の鼓動が速くなる。


(……来た。次のチャンス)


画面を閉じ、鏡に映った自分と向き合う。


過去の自分が、「私なんかが」って縮こまっていたのなら——

今の自分は、震えながらでも「やってみたい」と立ち上がった子だ。


(もう、後ろは見ない)


そのままLINEを開き、結月に送る。


【ほのか】

オーディションの連絡、来たよ

今度は、ちゃんと“勝ちにいく”ね


すぐに既読がつき、返事が届いた。


【結月】

応援してるよ、私の相棒✨


その言葉を見て、ふっと肩の力が抜ける。


(大丈夫。ひとりじゃない)


夜風がカーテンを揺らす。


新しいページが、またひとつ、開かれようとしていた。


そのころ。


夜のテレビ画面では、かつてのドラマ特集が流れていた。


“演技派天才子役・朝比奈結月——あの涙の名シーン”


そのモニターを、東京のある制作会社の応接室で、藤堂玲央が黙って見つめていた。


「動くのは、次が決まってからでいい。——でも、見つけたよ。あの“目”は、間違いなく彼女のものだ」


玲央の言葉に、マネージャーが息を呑む。


静かに、確実に、“過去”が動き出そうとしていた。


夜。結月のノートには、こう綴られていた。


『夢は、一人で見るものじゃない。信じてくれる人がいるだけで、人はきっと、何度でも立ち上がれる。』


その下には、手を繋ぐふたりの姿が描かれている。


笑い合いながら、風に髪をなびかせているその絵には、もう“迷い”はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る