第13話「ほのか、事務所からスカウト?」

「ねぇねぇ、昨日また拡散されてたらしいよ。“ロミジュリ”のやつ」


文化祭から数日が経ったある朝、教室ではいまだに演劇の話題が熱を帯びていた。


「動画の再生回数、もう10万いってるって!」


「ロミオ役の子もすごかったけど、ジュリエットもマジで感情込もってたって!」


「名前なんて子だったっけ……葉山さん? あの子さ、ちょっとファンになりそう」


ちらちらと向けられる視線の中心で、葉山ほのかはそわそわと落ち着かない様子だった。


「な、なんか最近……注目されてない……?」


「されてるよ。ほのかちゃんの“あの涙”が、本気で観客の心を打ったから」


隣で頷くのは、もちろん朝野結こと、元・国民的女優・朝比奈結月。


「でも……私なんかがそんな風に見られるの、ちょっと……怖いかも」


「うん、その気持ちもすっごくわかる」


そう言って、結月はほのかの背中をぽん、と軽く叩いた。


「でもね、注目されるってことは、“光を放った”ってことだよ。自分で気づかなくても、誰かが見つけてくれるものなの」


昼休み。


担任の先生に呼び出されたほのかは、職員室の前でやや緊張した面持ちだった。


「葉山さん、急で驚かないでね。実は、君にオファーが来てるんだ」


「……え?」


「文化祭の演劇を見たという、都内の芸能事務所から。“ぜひ一度、オーディションを受けてもらえないか”って」


手渡された資料には、知る人ぞ知る中堅の芸能事務所の名前が載っていた。


「もちろん、すぐに決めなくていい。本人の意思が第一だからね」


ほのかは、ただ「はい」と答えるだけで精一杯だった。


放課後、屋上。


「……っていう連絡があって」


ほのかがその話を結月に告げると、彼女は目をまるくして叫んだ。


「えっ、ほんとに!? すごいじゃん、ほのかちゃん!!」


「う、うん……でも私、どうしたらいいのかわからなくて……」


「どうしたらって……行くしかないでしょっ!」


結月は満面の笑顔で立ち上がり、両手でほのかの肩をぐいっと掴んだ。


「演劇を見て、心を動かされた人がいるんだよ? ほのかちゃんの演技が、ちゃんと届いた証拠。これはもう、立派な“才能”なんだよ」


「そ、そんな風に言われると……余計、緊張する……」


「じゃあ、今日からちょっとだけ“女優レッスン”始めようか」


「え、なにその急な展開」


「立ち居振る舞いとか、表情の作り方とか、少しでも覚えとくと安心できるし!」


そう言うと、結月は真剣な顔で指を一本立てた。


「まずは“歩き方”から!」


数十分後、空き教室。


「背筋はこれくらい伸ばして、でも肩はリラックス。目線は“誰かを見てるようで見てない”感じで」


「む、難しい……!」


「モデル歩きにならない程度の重心移動ね。じゃあ次、笑顔の練習!」


「笑顔? 普通に笑えばいいんじゃ……」


「“カメラ越しに見られてる”と想定して」


「えええ〜」


ふたりで鏡の前に立って笑顔を作る練習をするその姿は、まるで秘密の特訓のようで。


最初は戸惑っていたほのかも、次第に緊張がほぐれ、自然な笑みを浮かべるようになっていた。


「上手くなってるよ、表情の作り方。ちゃんと目が笑ってる」


「ほんと?」


「うん、“ジュリエット”じゃなくて、“ほのかちゃんの顔”で笑えてる」


その日の夕方、下校の途中。


ふたりは、ふらりと立ち寄ったファストフード店の窓際席に座っていた。


ポテトをつまみながら、ほのかは言った。


「ねぇ、結月……私、ちょっとだけ怖いんだ」


「うん」


「オーディションとか、プロの人に見られることとか。期待されて、“なにか”って思われることも。……自分なんかが、それに応えられるのかなって」


結月は、少しだけ目を伏せてから言った。


「うん、怖いよね。それ、すっごくわかるよ」


「……結月は怖くなかった?」


「怖かったよ。ずっと“期待に応える”ために生きてきたから。でも……」


そこで言葉を切って、目を合わせた。


「夢ってね、最初は自分の中だけの“憧れ”なんだけど、誰かに見つけてもらった瞬間に、それが“現実”に変わるんだと思う」


「現実に……」


「叶えられるかどうかは、そのあと。だけど、入口に立つのって、誰かに“君の中に何かがある”って言ってもらえたからこそなんだよ」


ほのかは、ポテトをひとつ手に取りながら、ぽつりと呟いた。


「じゃあ……私も、その入口に立ってるのかな」


「うん。立ってるよ、ちゃんと」


「そっか……」


そのまましばらく沈黙が流れたあと、ほのかは静かに笑った。


「——行ってみる、オーディション。やっぱり、やってみたいって思った」


「……!」


結月は嬉しそうに、勢いよくポテトを握りしめた。


「よっしゃ! 相棒の夢、私が全力で応援するから!」


「でもその前に、歩き方と笑顔の練習はもうちょっと付き合ってもらうからね?」


「お、お手柔らかにお願いします……!」


店内に、ふたりの笑い声が軽やかに響いた。


その夜。

ほのかは、初めて“自分の名前”で検索をしてみた。


#音桜ロミジュリ

#葉山ほのか

#ジュリエットの子よかった


いくつかの呟きがヒットする。誰かが、自分をちゃんと見ていてくれた証。


(……見つけてもらった)


スマホを胸に抱えながら、ほのかはそっと目を閉じた。


その横では、結月がノートを広げていた。


『今日、ほのかちゃんが“夢に踏み出す日”を決めた。私も、もう一度、夢を“怖がらない”で見つめてみたい』


その文字の隣には、ほのかの笑顔と、差し出されたオーディションの招待状のイラストが描かれていた。


——夢の続きを、生きる準備が、少しずつ始まっていた。

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