第3話「お弁当とおしゃべり」

「……結ちゃん、今日も“完璧に地味”だったよ」


昼休み。校舎の屋上にはまだ肌寒い春風が吹き、ふたりのスカートを静かに揺らしていた。


「ありがとう。“目立たない”って、こんなに奥が深いんだね」


“朝野結”こと、朝比奈結月は、制服の袖を直しながら柔らかく微笑む。対する葉山ほのかは、お弁当のフタを外しながら、少しだけ目を伏せた。


「でも……やっぱり“結ちゃん”って、呼び慣れません。なんだか……恐縮で」


「やっぱり敬語だね、まだ」


「だ、だって……実際は年上で、しかも結ちゃんは……その……」


「今はただの高校生。設定年齢も17歳で、同級生。だったら……タメ口で、呼び捨てでもいいんじゃない?」


結月は冗談めかして指を立てる。


「“青春”っぽい会話のためには、それなりの距離感演出が必要だからね」


「そ、そういう演出論で来られると逆に緊張しますって……!」


「大丈夫。じゃあ、“練習”ってことで。今日から一日一回、敬語なしで喋る!」


「え、それ地味に高難度じゃ……」


「今日のノルマ、今すぐ達成してみる?」


「え、今……? う、うん……ありがと、ゆ、結……ちゃん……」


「よくできました」


結月は笑いながら、拍手のジェスチャーをしてみせる。


「うう……役者相手って、やりづらい……」


「でもちょっと楽しいでしょ?」


「……うん。ちょっとだけ、青春っぽい」


「ねぇ、それ手作り?」


「うん。お母さん忙しくて……私が詰めてるだけだけど」


「すごいなぁ。めっちゃおいしそうだし、彩りもきれい」


「結の方は?」


「今日は買いそびれて……ココアオンリーランチの予定だった」


「だめだよそれ!」


ほのかは驚いて、慌てて唐揚げをひとつ結月の前へ差し出した。


「これ、あげる。あと卵焼きとちょっとした副菜もあるから。遠慮しないで」


「……いいの?」


「もちろん。味の感想、聞かせて」


結月は、箸でそっと唐揚げをつまんでひと口。


「……っ、え、なにこれ……おいしっ」


「えっ、う、うそ!?」


「うそじゃない。本当にすごくおいしい。味がしっかりしてて、でもくどくなくて……」


「たぶん、にんにく醤油に漬けてから揚げたからかも……」


「それ! そのひと手間が違うんだ……すごい。あのね、現場のケータリングでもこんなに感動したことない」


「け、ケータリングと比較される日が来るとは……」


結月は続ける。


「私、小さい頃からお弁当って、“誰かが仕事の一部として作ってくれたもの”ばっかりで。こういう、“気持ち入りました”って味、ほぼ初めてかも」


「……そっか」


ほのかは小さく微笑んだ。


「そんなふうに言ってもらえると、ちょっと照れるけど……嬉しい」


「ほんとにありがとう、ほのかちゃん……あ、今度は“ちゃん”ついちゃった」


「ふふ、なんかお互い様になってきたね」


「……うん。それが青春ってことかも」


ふたりは、小さな声で笑い合った。


食後。風の中に沈黙が訪れる。


そのとき——


「ねぇ、ほのかちゃん」


「ん?」


「……恋、したことある?」


唐突すぎる問いに、ほのかは口をもぐもぐしたまま固まった。


「えっ……こ、こい?」


「うん。屋上、お弁当、昼休み。ドラマで言うと、そろそろ恋バナの時間だよ?」


「た、確かに……“それっぽい”」


「私ね、演技では何十回も恋してるの。“好きだ”って告白したり、“別れ”を演じたり。でも、リアルはゼロ」


「え、ほんとに?」


「うん。恋って、“演じる”とすごくわかるような気がするけど、実際に体験したことないから、どこか他人事で。でも最近……ふと思うんだ。感情って、演技じゃ追いつかない時があるって」


ほのかは、少しだけ空を見上げた。


「うーん……でも、それならさ。これからでいいんじゃない?」


「これから……?」


「結みたいな人は、すごく深く恋しそう。台本の上じゃなくて、本当の気持ちでさ。だから……焦らなくても、ちゃんと出会えると思うよ」


「……そんなふうに言われると……なんか、照れる」


「ふふっ、地味じゃない顔、出たね?」


「し、しまった! 地味封印解除しちゃった!」


ふたりは肩を揺らして笑い合った。


放課後。


昇降口で靴を履き終えたほのかに、結月がそっと小さな付箋を差し出した。


「なにこれ?」


「明日、私がつくるお弁当のヒント」


「うわ、来た! 女優・朝比奈結月の手料理弁当……!」


「明日は本気の唐揚げ勝負、いくよ?」


「な、なんだって!? 私の看板メニューに挑戦状!?」


「ふふ。目指すは“青春の味、二日目”」


付箋の隅には、こんな文字が書かれていた。


『今日のお弁当、あったかかった。ありがとう、青春の味方。』


ほのかは、ゆっくりとメモを畳んで、制服の胸ポケットにしまった。


「……どういたしまして、ゆい」


その呼び名が、今日一番自然に響いた。


夜。


キッチンに立つ結月は、真剣な表情で鶏肉に下味をつけていた。


「しょうゆ、おろしにんにく、しょうが、みりん……180度でカリッと、二度揚げでいくか」


思わず出たプロのつぶやき。けれどその顔は、まぎれもない“ひとりの女子高生”のものだった。


——演技じゃない自分で、誰かのために何かをする。


それこそが、今の彼女が探している“本当の青春”だった。

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