13/ 芯にあるもの、裏に隠したもの


「さ。次は、どっちだと思う? エンシス」

「ぐっ……ぐぐぐ…………ひ、ひ、ひだ……」

「左か? ふーん。じゃあ、左へ行こうか」

「い、いや! 右だ!」

「残念、上でした」

「くっ! くそがぁあああ!!」


 エンシスも魔力を感じ取る才能はある。

 いや、むしろ高い方だ。


 しかし、目的と方向性が、解体士のそれとは全く違う。



 敵の魔法発動を察知したり、攻撃範囲を読み取ったり、気配を探ったり……と、とにかくエンシスの感覚は戦闘面に特化して突き詰められていたのだ。


 勿論、不意打ちや囮作戦のような、大きな流れの裏に紛れた真の意図を見抜くことも出来る。出来るが、しかし――。


「ドラゴンの中は凄いでしょ。外だと、空気中に漂う魔力を感じ取るもんだけど、ここはほぼ魔力で飽和しているからね」


 スブリーデに従い、正解のルートを悔しげに進むエンシス。

 瞳は血走り、額には汗が滲む。呼吸も荒い。




「こんなに、こんなに難しいなんて……! 感じ取ろうと、集中すればするほど――頭が割れそうだ……!」

「暴力的な魔力の奔流に脳ミソを殴られる感じでしょ」


 細雪のように美しく繊細な人差し指をスっと立て、頭をコンコンとしてみせるスブリーデ。


「ああ。感覚を開けば、津波のように魔力が頭の中に入ろうとしてくる……こんな状態で、微かな魔力の流れを辿るなんて……フラマは、いつもこんなことを……」




 個体によって変わる体内で、逆鱗へはどうやれば辿り着けるのか? という問いに対してスブリーデは『逆鱗から放たれている魔力を辿ればいい』と宣った。


 曰く、逆鱗が放つ魔力は芯が強いらしい。だからそれを辿るというのだが……少し試してみてエンシスは思う――並大抵の集中力では不可能だ、と。



 芯の強い魔力とはどういうものか、それについては何となく理解出来る。


 魔力の強弱とは関係なく、中心に宿る確固たる意志のようなものだろう。


 その魔力を用いてどんな魔法を発動して、どんな結果を得たいのか――そのイメージが明確であればあるほど、この意志は強くなる。きっとそれが芯だ。



「逆鱗は誰かに見付かることを基本的に拒んでいる。だからこの逆鱗が放つ魔力の芯……エンシス的に言うなら意志は、誰かに見付かりたくないという思いが反映されている」

「だから芯は強いのに掴みにくいという、矛盾を実現しているってのか」

「そうだね」

「じゃあ……解体士はどうやって……」

「矛盾を孕むものに正攻法で挑んでも埒があかない。そんな時は、古代文明の標語が役に立つよ」

「古代文明……?」


 エンシスの顔が曇る。何か変なことを言い出しそうな気がする。


「目には目を、歯には歯を……矛盾には矛盾を! さ!」

「はぁ?」


 やはりというかなんというか。

 唐突に意味が分からなくなった。



 エンシスの頭上に疑問符が湧き上がる。矛盾に太刀打ちするために、こちらも矛盾を振るう――?



「エンシスは、〝魔力を辿ろう!〟って強く思い過ぎだ。だから逆鱗の意志が持つ矛盾に巻き取られる」

「で、でも……意識しないと、何も感じ取れないじゃないか」

「解体士たちは、よくこう表現しているよ。『探ろうとせずに探る』ってね」


 スブリーデはエンシスの肩に手を置き、静かに語り掛ける。


「逆鱗の意志は、敵対するものに対しては隠れようとする。でもそれは、こっちの気の持ちようさ。だって、もともとドラゴンは人が操る余地があったんだからさ」


 ハッとするエンシス。

 確かにこれまでの何回かは、魔力を辿ろうとした時、立ち止まって目を閉じ、眉間に皺を寄せていた。


『何処に隠れていやがる!?』と敵意を剥き出しにしていた。それでは逆鱗が隠れるのも当然か。


 しかしスブリーデはいつも、軽やかに、散歩でもするように歩きながら道を選んでいる。『逆鱗』の意志――あるいはドラゴンそのものと対話しているかのような雰囲気だった。


(探ろうとせずに探る……敵意を向けず、ただ流れを感じる……?)




 その言葉の本質は、まだ遠い。

 しかし、その完成形たるスブリーデが目の前で答えを示してくれている。



 見よう見まねでも真似し続けていたら、少しずつ近付いていけるのではないだろうか。


 そんなことを思った辺りで、おあつらえ向きにまた分岐点にいき当たった。今度は右か左。上はない。



「よし、もう1回!」

「ふふふ。何か閃いたみたいだね」



 立ち止まることなく。力むことなく。見付けてやるぞと気を張らず。


 どこかを睨んだりせず、視点はぼんやりとさせて。ドラゴンを破壊する者ではなく、まるで……そう、この空間に満ちる魔力の一部になるかのように。


 魔力の奔流に抗うのではなく、身を委ねるように。




(……流れを感じるんだ……どこへ向かおうとしているのか……)


 すると、エンシスの左手がフッと虚空を掴んだ。


「え?」


 驚いたのはエンシス。無意識だった。視点の定まらない――ぼんやりとした視界の端に、細い光る糸が漂っていた気がして、それを掴んだ。気付いたら掴んでいた。


「……右だ」


 スブリーデはニコッと笑って、ぱちぱちと手を打った。


「正解っ! 凄いじゃないか!」



「…………うお、当たった! マジか、マジか! なんだ今の!! フラマ……お前は、いつもこんな感覚を……!」


 握った掌を開いてみても何も無かった。しかし確かに手応えはあった。


 昂る感情を抑え切れず、エンシスは気付くと両拳を突き上げていた。



 多分、龍伐士になってから初めて、敵を打ち倒す以外のことで全身全霊で歓喜した。


 ◆◆◆◆◆◆


 スブリーデの言葉を切っ掛けに、感覚を掴んだ――が、現実はそう簡単ではい。

 確かに一度成功したが、それを狙って何度も同じように再現するとなると、話は別だ。



「成功率6割くらいってところだね〜」

「くそっ! なかなか安定しない……!」




 両膝に手を着くエンシス。

 滝のように汗が頬を伝い、顎の先から地面へ滴り落ちる。



「いやいや、今日初めてにしちゃ凄いよ」


 スブリーデは茶化しているわけじゃなく、本心で褒めてくれている。


 粒子化魔法すら、ろくに使えない。

 そんなド素人もいいとこのエンシスが、6割の確率で逆鱗へ近付いていけているのなら、確かに及第点なのだろう。


「でも、こんなペースじゃ……」

「うん。まぁ、そうだね。浮遊効果は切れちゃうだろうね」

「だろ?」


 こんなんじゃダメなんだ――と、体を起こして前へ進もうとする。しかし足は鉛のように重く、上がらない。




(頭が……重い……集中力が……)



 気持ちと乖離した足は、くんずほぐれつ――エンシスを容易く転ばせた。


「ぐ、ぐへっ……」

「ほらほら。大丈夫かい、エンシス。いくら英雄のキミとはいえ――」


 唐突に、スブリーデは口を噤む。

 突っ伏したエンシスから、スースーと細く長い吐息が聞こえていた。


「あら、また寝ちゃったの? そりゃ疲れるよね。慣れないことばかりして……それに、ここまでどれだけ気を張ってきたんだか」


 スブリーデの声音に、優しさと温もりが増してゆく。愛おしく、思い慕うような旋律で紡がれる言葉たち。


「相変わらずだね、キミは。ずっと、変わらないね」


 隣にしゃがみ、銀髪を優しく撫でる。


「英雄エンシス……貴方はたくさんの命を救ってくれたよ。今、どれだけ絶望の縁に居ようと、その事実は変わらない。その栄光は揺るがない」


 慈しむように細められたスブリーデの瞳には、いつの日かの思い出が写っているようだった。


「その全てを否定するような愚か者が居るなら、スヴィが許さない。だから、安心して、ゆっくり休んで」



 ときたま冷たい風が吹いてくるが、2人の周りだけは暖かい。


 スブリーデに守られるように眠るエンシスの顔は、穏やかだった。まるで全てのしがらみから開放されたかのように――。



「スヴィの故郷は無くなっちゃった。でも、あの時、貴方が駆け付けてくれたから……スヴィは今、こうして生きている」


 エンシスの寝顔を見詰める。

 そっとエンシスの髪に指を絡ませ、すくっては落としてを繰り返す。




「貴方は忘れてしまっているみたいだけど、スヴィは忘れていないよ。あの時の恩を。そして、あの時からスヴィは貴方を……」


 スブリーデは、言葉を詰まらせる。頬が紅い。


 そのままエンシスの耳元に顔を寄せ、そっと囁く――。


「……ずっと、想っていたんだよ」






『ギャァ……』


 唐突に響いた甲高い鳴き声によって、甘い雰囲気は引き裂かれた。

 2人へ向かって1体の小型のドラゴンが近付いてきていた。


 成体には遠く及ばない大きさだが、全身には未熟ながらも硬質な鱗を纏い、鋭い爪と牙を剥き出しにしている。

 ドラゴンの幼体か、あるいは寄生型の小型種か。


「幼竜……? まったく無粋ね」


 再び甲高い鳴き声を上げながら幼竜が地を蹴る。

 床が揺れ、エンシスの体が跳ねた。


「…………ん……ぉ……? な、なんだ……!?」


 衝撃でエンシスの意識がわずかに浮上する。

 霞む視界に、威嚇してくる幼竜の姿を捉え、咄嗟に身構えようとするが、体は鉛のように重い。


(ドラゴン……? いや、小さい……だが、まずい、動け……!)


 疲労困憊のエンシスにとって、たとえ小型であろうとドラゴンは脅威だ。焦りが思考を鈍らせる。


 そんなエンシスの前に、スブリーデが静かに歩み出た。


「お疲れのエンシスはまだ寝ていて平気よ。ここは師匠の私に任せなさい」

「……し、師匠……? いや、だが……」


 言い終えるが早いか、スブリーデの雰囲気が一変する。

 先程までの少女らしさは消え、底知れない何かが彼女の中から滲み出す。


「まぁ、たまには……〝補給〟もしないと、ね」



 エンシスは、その言葉の意味を掴めないまま、スブリーデの変化に息を呑む。


 彼女から放たれるプレッシャーは先程とはまた異質で、まるで……飢えた獣のような、抗いがたい引力と恐怖を感じさせた。


「弱っているエンシスを狙うなんて、悪い子だね。スヴィがお仕置きしてあげる」


 スブリーデは、ふわりと一歩踏み出す。

 次の瞬間、エンシスの朦朧とした意識では捉えきれないほどの速度で、彼女の姿が幼竜に肉薄した――ように見えた。


 あるいは、それは夢だったのかもしれない。


 紫色のドレスの残像が揺らめき、金色の瞳が一瞬、捕食者のようにギラついたような……。


『ギャッ……!?』


 幼竜が短い悲鳴を上げたか上げないか――そんな刹那。


「え……?」


 エンシスが瞬きをした、ほんの一瞬。


 そこにいたはずの幼竜の姿が、完全に消え失せていた。

 何が起こったのか、まったく理解できない。


 まるで、最初から何もいなかったかのように。

 空間に歪みのような残滓が揺らめいている気もするが、それもすぐに霧散した。


 言葉を失うエンシスの様子を察したのか、スブリーデは躊躇いがちに振り返る。

 金色の瞳が俯き気味にこちらを向く頃には、あの異様なプレッシャーも消え失せ、いつもの少女の表情に戻っていた。



「ねぇ、エンシス」


 どこか満たされたような、それでいて物憂げな複雑な色を浮かべるスブリーデ。


「……っ」

「力は、求めたら求めただけ手に入るかも知れない。でも、その手にした大きな力には必ず代償がある。そして……一度手にしてしまったら、手放すことの方が、ずっと難しいんだよ」


 淡々と言葉を並べたスブリーデは笑っていた。


 しかし、それを見たエンシスの心は、先程とは違う種類の、形容しがたい不安と痛みを感じた。


 ――いつも見せてくれる笑顔と同じ。



 いつもと同じ笑顔のはずなのに、今はその裏に、彼女が抱える根源的な何か、抗えない宿命のようなものが見え隠れしている気がしてならなかった。


(……諦めてきた、何か……? スブリーデも、何かを抱えているのか……? さっきの……あれは、一体……?)


 エンシスは夢現の中で、ただ混乱していた。

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