序章 あぐにす姉様



こわい。あつい。いやだよ。


囂々(ごうごう)と燃える家屋。立ち上る煙と、木材の焼ける煤(すす)の匂い。

ところどころで聞こえる、悲哀に満ちた声。啜(すす)り泣く音、懇願するような叫び。


――せんそう? ふんそう?

またおうち、なくなるの? お父さんとお母さん、どこにいったの?

くらくて、こわいよ――


そのとき、上から声がした。


「衛生隊、こちらに来い。ヴィクトリア、こっちだ!」


涼しく透き通るような声色とともに、天井が開いた。

赤い髪の毛の軍人さんがあらわれて、さっと手を差し出し、やさしい言葉でわたしを安心させてくれた。


「すまない。……もう大丈夫だ」


とても優しい笑顔とまなざしで手を差し伸べてくれて、わたしはその手をつかんで、くらいところから出た。


次に目を覚ましたのは、お外にあるテントの中。

隣には怪我をした人たちがたくさんいて、わたしみたいな子どもも、たくさんいた。


大人や軍人さんたちは、なにかお話をしていたけど、わたしには、なんのことかわからなかった。

それよりも、お父さんとお母さんがいないことのほうが、ずっと気になっていた。


勇気を出して、白い服を着たお医者さまにはなしかけてみた。

お医者さまは、軍人さんに何かを言いにいってくれて――そのあと、あのとき助けてくれた「赤い人」が来た。


……やっぱり、だれかに話しかけたから、またどこか遠くに行かなくちゃいけないのかな。


「東のほうに、わたしが暮らせる国がある」って、さっき言ってたけど……

わたしは生まれたときから、「西」って呼ばれてる、ここのあたりにいたし。

お父さんとお母さんも、いつも変わるから、たぶん――わたしは、いらない子なんだ。


こわくて、さみしくて、涙が出た。

でも、泣いたらだめ。いやな顔、される。


ふっと、頬にやさしく手をそえてくれて、わたしの顔を見つめてくれた。

その目は、さっきと同じで、やさしくて、少しだけ泣いているようだった。


……軍人さん、なんで泣いてるの?

わたしのことなら、すぐいなくなるから、大丈夫だよ。


そのまま、テントの外に出て歩き出すと、ふわっと包みこむように、「赤い人」はわたしを抱きしめてくれた。

首元に、あたたかい感触が流れた。

――「もう大丈夫だから」


その言葉が、スッとわたしの中に流れてきた。


なぜか、それを聞いたら、涙が止まらなくなった。


手をつないでくれて、いっしょに馬車に乗って、きれいで大きなお屋敷に連れていってくれた。


きれいな服も、お風呂も、ごはんも食べさせてくれた。

――今日から、ここがわたしのおうち。


わたし、すこしおっきくなったから、わかるよ。

アグニスねえさま。わたしを助けてくれて、ありがとう。


ベッドの中で、まだすやすやと寝ている「赤いひと」。

わたしの、かみさま。おねえさん。


そっと、赤い髪に触れてみると、なんだか安心した。


「今日も、おしごとがんばろ」


ぴんと尻尾を吊り上げて、朝の優しい光をあびながら、

ゆっくりと棚に向かい、今日の着替えの準備をはじめる。


わたしの一日が、また新しくはじまった。

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