【PV 323 回】『正解を知らない僕らのためのAI』

Algo Lighter アルゴライター

第1章:きっかけは炎上だった

第1話:君を救いたいだけだった

春の雨は、音を立てずに校舎を濡らしていた。

夕方の教室にはもう誰もいない。カーテンは半分だけ閉じられ、薄暗い空と濡れたグラウンドが、窓の向こうでぼんやりと揺れている。


結城ハルカは、最後尾の席に座っていた。

机の上には、折りたたまれたノート端末。開くのが怖くて、指先はその縁をなぞるだけ。外の雨音は静かなはずなのに、教室の中に響いているように感じられた。


「……またか」


重く息を吐いて、ハルカは端末を開いた。

そこには、SNSのタイムラインが無遠慮に流れていた。無機質なユーザーネーム、誰かを指しているとは明記されない投稿、でも――内容から、それが誰かを貶めるものであることは明白だった。


「キモいってレベルじゃないよね」

「またあの子か。懲りないね」

「顔は加工、脳も空っぽ。存在価値あるの?」


その“誰か”が、ハルカのクラスメイトであることは分かっていた。特別仲がいいわけじゃない。でも、廊下ですれ違うたび、いつもおどおどと目をそらしていたあの子。


「……ひどい」


呟きは空気に溶けた。返信も、いいねも、通報も、何も押せなかった。

ただ、読み流して、無視して、そっと画面を閉じる。そうしてまた、「見ていただけ」の自分に戻っていく。


ハルカの中で、重たい記憶が疼いた。


──数年前、自分も“加害者”だった。

面白半分で誰かの変な顔の瞬間をスクショして、それを別アカで「ネタ」として投稿した。匿名性の陰で、正義の味方を気取った。

すぐに反応がついた。「これウケる」「やばい」「誰?」

その数日後、その子は学校に来なくなった。


「……また、繰り返すの?」


誰にでもなく、誰よりも深く、自分自身に向けて呟く。


机に肘をつき、頬を伏せる。まぶたの裏に、顔が浮かぶ。晒されたあの子も、過去に傷つけたあの子も、そして、傍観し続けてきた自分の顔も。


そのとき、不意に端末が震えた。


通知。メッセージ。送り主は翔太だった。


「見た?また炎上してる」

「あの子、アカウント消したらしい」

「お前……今度も何も言わないの?」


まるで、心の奥に触れられたようだった。

翔太は知っている。ハルカが何をして、何を後悔して、何に怯えているかを。


画面を閉じて、雨音を聞いた。風が吹いて、カーテンがゆるやかに揺れた。


「……違う」


小さく、それでも確かに、声を出した。

何が違うのか、まだ言葉にはできなかった。でも、身体の奥で、何かが熱を帯びていくのを感じた。


ゆっくりと立ち上がる。カバンからノート端末を取り出す。

検索欄を開いて、タイピングする。思いつく限りの単語――「誹謗中傷」「AI」「感情分析」「トラッキング」「リアルタイム検出」……


コードエディタを起動する。白い画面。まっさらな世界。


まだ、形にはなっていない。でも、ここから始めるしかない。

守りたいと思った。何も言えないまま沈んでいく誰かの声を、守るためのコードを。


「“正しい”とか“正しくない”とか、そんなの後でいい。私は……誰かを救いたいんだ」


ハルカの指が、初めて強くキーボードを叩いた。


画面の中に文字が走る。外の雨は、もう止みかけていた。


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