第7話:バーチャル喫茶・春風で、はじめての小さな自己紹介。
カランコロン。
やさしいベルの音に、
私は思わず顔をあげた。
夕方のバーチャル喫茶・春風。
やわらかなオレンジ色の光が店内を包んでいる。
扉の向こうから、
すこしドキドキした様子のVTuberが入ってきた。
ベージュ色の帽子をかぶった、小柄な女の子。
どこか、初めての場所に戸惑っているような雰囲気だった。
「いらっしゃいませっ!」
私は、ぱたぱたと駆け寄った。
女の子は、はにかみながら、
カウンターの端っこに座った。
「こ、こんにちは……」
声が小さくて、
今にも消えてしまいそうだった。
でも、その瞳は、
どこか強い光をたたえていた。
店長さんが、
カウンター越しにふわりと微笑んだ。
「ゆっくりでいいよ。何にする?」
女の子は、
おそるおそるメニューを見て──
「ミルクティー、ください……」
か細い声だったけど、
ちゃんと伝わった。
「はいっ、ミルクティーですねっ!」
私は、うれしくなって、カウンターに向かった。
ふわふわのミルクをあたためて、
やさしい紅茶にそっと注ぐ。
ふわりと、甘い香りが店内にひろがった。
──ここに来るのは、勇気がいったんだろうな。
そう思うと、
私はもっとやさしくなりたくなった。
カップをトレーにのせ、
そっと席に運ぶ。
「どうぞっ」
女の子は、
おそるおそるカップを受け取って、
ふわりと笑った。
「ありがとう……ございます。」
声はちいさかったけど、
その笑顔は、すごくあたたかかった。
ユウくんが、
カウンターから顔をのぞかせた。
「はじめて、だよね?」
女の子は、
コクリと小さくうなずいた。
「名前、教えてくれる?」
ユウくんのやさしい声に、
女の子は、すこしだけうつむきながら、つぶやいた。
「……あの、私……
もともと、リスナーだったんですけど……
この間、勇気を出して、
新人VTuberになったばかりで……。」
私は、
ぱあっと顔を輝かせた。
「すごいですっ!!」
女の子は、びくっと肩をすくめたあと、
恥ずかしそうに笑った。
「名前は……花音(かのん)っていいます。」
「花音ちゃんっ!」
私は、うれしくて、
つい声がはずんでしまった。
花音ちゃんは、
ミルクティーをそっとすくって、
両手でカップを包んだ。
「配信、すごく緊張して……
誰も来なかったらどうしようって思って……
だから、逃げてきちゃった、みたいな……。」
声が、ちいさく震えていた。
私は、
そっと、カウンターの向こうから手を伸ばした。
「逃げたって、いいと思いますっ。」
花音ちゃんが、
驚いたように顔をあげる。
「逃げるって、悪いことじゃないですっ。
ちゃんと、自分を守るために、ここに来てくれたんですもん。」
花音ちゃんの目に、
すこしだけ光が宿った。
ユウくんも、
カフェオレを飲みながら、にこっと笑った。
「ここは、そういう場所だよ。
がんばる前に、ちょっと休憩していく場所。」
花音ちゃんは、
そっとカップに口をつけた。
あたたかいミルクティーの香りに包まれながら、
ぽつり、ぽつりと話しはじめた。
──初めての配信で、
手が震えたこと。
──誰も来ないまま、時間だけが過ぎたこと。
──でも、それでも、また挑戦したいと思っていること。
私は、
胸がぎゅっとなった。
「大丈夫ですっ!」
私は、まっすぐに言った。
「今日、ここで、ちゃんと自己紹介できたじゃないですかっ!」
花音ちゃんは、
びっくりした顔をして──
そして、ふわりと笑った。
「……うん。」
やわらかな春風が、店内をふわっとめぐった。
ミルクティーの甘い香りといっしょに、
心のなかまであたたかくなる。
──また、あしたも。
誰かの今日に、
そっと春風を届けられますように。
私は、胸いっぱいに願いをこめて、
エプロンのすそをぎゅっとにぎった。
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