第2話:バーチャル喫茶・春風で、カフェオレと、はじめての名前。

ジュワジュワと立ちのぼる、あたたかい香り。


私は、カウンター越しにそっとカフェオレを置いた。


「ありがとう!」


青いパーカーの少年は、にこっと笑った。


まだ、私は彼の名前を知らない。


でも、その笑顔だけで、

胸のなかに、ぽうっと春風みたいなものが吹いた気がした。


「どうぞ、召し上がってくださいっ!」


思わず、ぎこちないお店屋さん口調になってしまって、

少年はくすっと笑った。


「そんなに緊張しなくていいのに。ここ、めっちゃゆるいからさ。」


少年はカップを手に取り、

ふわりと香るカフェオレに顔を近づけた。


「……うん、おいしい。」


その一言に、私はほっと胸をなでおろした。


──よかった。


バーチャルなのに、

カップの向こうから、ちゃんとあたたかさが伝わってくるみたいだった。


店長さんは、奥でコーヒー豆を挽きながら、やさしく目を細めている。


──ここは、そういう場所なんだ。


ただ飲み物を出すだけじゃない。

誰かの今日に、そっと春風を届ける場所。


「ねえ、新人さん──名前、聞いてもいい?」


少年が、カップを両手で抱えながら、こちらを見た。


「えっ、あっ、はいっ!」


私は、あわてて胸に手を当てた。


「春風りるむ、っていいますっ。見習いVTuberで、今日からお手伝いしてますっ!」


ぺこり、と深々とお辞儀をする。


少年はまた、ふっと笑った。


「春風りるむちゃん、か。

 いい名前だね。春風みたいに、ふわふわしてて。」


「えへへ……ありがとう、ございますっ。」


頬が、ほんのり熱くなる。


私の名前を、誰かが呼んでくれる。

それだけで、こんなにうれしいなんて思わなかった。


「じゃあ、俺も自己紹介しなきゃだな。」


少年は、トン、とカップをカウンターに置いた。


「俺は──ユウ。」


短く、だけどすごくまっすぐに、彼は名乗った。


「ここに来るのが、毎日の楽しみなんだ。」


「ユウくん、ですねっ!」


私は、すこし弾む声で返した。


ユウくんは、ぱちぱちと目を瞬かせてから、照れたように笑った。


「……くん、って呼ばれたの、久しぶりかも。」


「えへへっ、なんだか自然に!」


私は、思わず笑ってしまった。


店長さんも、奥から顔を出してにっこりしている。


──はじめての名前。

──はじめての春風。


この喫茶店では、

きっと、こうして少しずつ、

誰かと、何かと、あたたかくつながっていくんだ。


「りるむちゃん。」


店長さんが、ふわりと声をかけた。


「今日は、もう少ししたら常連さんたちも来ると思うよ。

 最初は緊張するかもだけど、大丈夫。りるむちゃんなら、きっと。」


「はいっ!」


胸のなかで、ちいさく「よしっ」と気合いを入れる。


ユウくんは、カフェオレを飲みながら、にこにことしている。


「ここにいるとさ、なんか、安心するんだよなあ。」


その言葉に、胸の奥がじんわりあたたかくなった。


──私も、そう思ってる。


──ここは、春風みたいな場所だ。


カウンターの上で、

カフェオレの湯気が、ふわりと輪を描いた。


バーチャルのはずなのに、

そこにはたしかに、ほんもののぬくもりがあった。


「よし、じゃあ……次のお客さんにそなえて、メニューを覚えようか。」


店長さんの声に、私はぱちっと背筋を伸ばした。


「がんばりますっ!」


春風りるむ、喫茶・春風、初日。


はじめてのカフェオレと、

はじめての「ユウ」という名前。


それは、これから始まる物語の、

ほんの、ほんの序章だった。


──また、あしたも。


誰かの今日に、そっと春風を届けられますように。


小さな願いをこめて、

私は、エプロンのすそをぎゅっと握った。


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