第11話 邂逅


「お前────だろ?」


 ドロリとした赤い液体は、問いに答えるかのように、スライムの如く姿を変化させ始めた。

 液状化した赤い塊は、急速に人の形を成していき、トーマスはその非現実的な光景を目撃しても────何一つが変わることは、なかった。


「…………びっくりした?」

 

 一瞬前まで「物質」だった液体が、完璧な「人」の形を取り戻し、目の前に現れた。


 人と成ったそれは──ライトブラウンの長い髪をした、幼気いたいけな少女であった。


 蜂蜜を溶かしたような髪は、右側にまとめられてサイドポニーテールのような形をし、体のラインが浮き出た黒いライダースーツのようなものを着ていた。


「……ぴーすっ」


 次の瞬間──少女は無表情なまま、顔の前にスッと両手を持っていき、無機質な​​ピースサインを掲げた。

 表情筋の乏しい顔と一切の感情を読み取らせない瞳が相まって、その動作はとてつもない違和感と、一種の異様さを醸し出している。

 トーマスはこの状況に慣れているのか、透かさず少女に突っ込んだ。

「『ぴーすっ』──じゃねぇよ。毎度毎度、お前は大人をからかうんじゃねぇよ、ったく」

 持っていた銃を車の屋根上にトーマスはゆっくりと置いた。

「……乗っかる方も、悪い」

「わざわざ乗っかってやってるんだ。感謝しろ」

「……いぇーい」

 無機質な少女とそんな軽快なやり取りを、トーマスは繰り返す。しかし、彼女の表情は笑っていない。

「それとだな、以後──」

「──善処します」

 有無を言わさず、クルクスは言葉を遮る。

「⋯⋯いたずらは──」

「──善処します」

 少女の静かな圧にトーマスは負けた。

「はぁっ……まぁいい。それよりも──成長したな。身長がまた伸びたんじゃないか? ほれほれ〜」

 ポンポンッと、トーマスは遠慮なく彼女の頭に触れる。

「……あたしは子ども、じゃない」

「まだお前は年端もいかない、大人ぶった子供だ。俺が認めない。人を驚かすのが相変わらず好きなのがその証拠、ガッハッハッハッ──!!」

 少女は抵抗せず、トーマスに撫でくり回される。

「こんなところで会うなんて奇遇だな。仕事か?」

「⋯⋯はい。⋯⋯そちらも、お元気そうで」

「お元気そうじゃなくて、元気なんだよっ! 後進に道を譲ってからは、こうして組織に情報を提供してんだっ!」

「⋯⋯そうですか……満足した?」

「ああ、すまんすまん。久々だったもんでな」

 クルクスがそう言うと、トーマスは軽く謝りながら手を離した。


「ところでクルクス────あの子がか……?」


 さっきのふざけた態度と打って変わり、神妙な面持ちでトーマスは少女に尋ねた。

「……はいっ」

 クルクスは表情を変えずに、真剣な眼差しで答える。

「報告で聞いてはいたが、この目で実際に見るのは初めてだな」

 可愛らしく眠る幼女に接近するトーマス。

「⋯⋯それ以上は──精神を狂わせる。⋯⋯下がって」

 クルクスはトーマスの腕を掴んで引き止める。

「⋯⋯狂気が絶え間なく、あの子の体から⋯⋯出てる。見たでしょ⋯⋯? お仲間が狂乱に陥る⋯⋯その瞬間を──」

 デイヴィッドが正気を失い、ショットガンを乱射させる光景をトーマスは思い出す。

「⋯⋯なら、俺が平気なのは──」

「⋯⋯ワクチンによる、抗体」

「そんなものを受けた覚えはないぞ?」

「⋯⋯毎日接種してる。⋯⋯それ」

 クルクスは歩み寄り、トーマスのタバコを指差した。

「⋯⋯そのタバコに、ワクチンが含まれてる」

「──そう言えば、今後このタバコを吸うようにって、言われたっけっか。味は普通のタバコと何ら変わらず、妙だとは思ったんだが⋯⋯ようやく腑に落ちた」

 トーマスがパッケージを確認すると、「1日1本は絶対吸えMake sure to smoke one a day」という見慣れない文言が書かれていた。

「……あの子は精神浄化カタルシス計画の、対象です。⋯⋯狂気除去作業の、好転の兆しは⋯⋯未だ見ず。⋯⋯引き続き、データ分析と検証を行う⋯⋯とのこと──」

「そうか」

 トーマスは胸ポケットから、ワクチン入りタバコを一本抜き出した。

 それを口に咥え、ライターの炎で先端を赤く灯し、煙を吐き出す。

「知った上で吸っても、違和感がない。クルクス──」

 トーマスが望むものをクルクスはすぐに察した。

「……こちらを。⋯⋯今回の、測定結果です」

 彼女の手元には、すでに資料が用意されていた。

「あぁ⋯⋯助かる」

 機転が利くなと、毎度のことながらトーマスは思わず感心した。

 資料を受け取ったトーマスは一服しながら、サラッと一通り目を通す。

「──前回の数値より、能力が飛躍的に上がっているな」

「……光栄です」

「“天罰を下す者ネメシスシリーズ”元考案者の1人として、大変喜ばしいことだ。測定項目の数値の上昇幅が、ここまで大きいのは、クルクス──お前ただ1人だ。当然、序列の首位に立つだろう。期待しているぞ」

「……恐縮です」

「それはそうと、何か心境の変化でもあったのか? 最近、張り切っているみたいだが──」

 書類に落としていた視線をトーマスはクルクスに向けた。

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 返事がなかったため、トーマスはクルクスに近寄った。

 するとクルクスは体を屈めて、ごそごそと何かをしていた。

「おいクルクス」

「⋯⋯はい?」

 背を向けたまま、クルクスは返事をする。

「何を隠している⋯⋯?」

「⋯⋯それ、聞いちゃいます⋯⋯?」

 クルクスがトーマスに向き直る。

「あっ⋯⋯」

「⋯⋯まだ、途中だったので」

 彼女の口元は鮮やかな赤色で染まっていた。

「⋯⋯以前より苦手と、仰られて──けぷっ。⋯⋯すみません⋯⋯つい」

 クルクスの手には、僅かに肉が残る骨が握られていた。

 ついさっき、トーマスを転ばせたものだ。

「配慮は感謝する、全部平らげておけよ」

「⋯⋯はい」

 クルクスは食事を再開し、トーマスは読み終わった資料の端にライターで火をつける。

「⋯⋯死体は、どうします?」

「それを片付けたらここを離れろ。不可解だと思われる痕跡は全部消すんだ」

 燃え始めた資料をトーマスはドサリと足元に落とす。

「⋯⋯はい。あの──」

「どうした?」

 クルクスは食べる手を止め、トーマスに言った。

「……お仲間さん、殺しちゃったけど……平気?」

 クルクスの言葉にトーマスは固く唇を結び、微動だにせず立ち尽くす。

 その沈黙を破るように、やがて彼は口を開いた。

「お前が気にすることじゃない⋯⋯」

 ただそれだけを告げ、トーマスは踵を返した。

「警察には上手く俺が誤魔化しておく。それと、後でジャミングは切っておけよ〜。俺は死んだふりしてくる〜〜」

 トーマスは振り返ることなく、手を振って歩き出した。

「⋯⋯あたしも、準備しなきゃ」

 バイクの収納スペースからロープを取り出し、クルクスは眠り姫の元へ向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る