還る

国府凛

還る

 ひとしきりに満足した飲み会の帰り。友人達と別々の方向の帰路につく。結構飲んだ。フラフラな足取り。道を外れないように白線の上を歩いているつもりではいるが、実際ははみ出しているだろう。今夜のことはあんまり覚えていない。唯一覚えているのは、個室なことをいいことに、全員が順番に脱いでいって、僕の番が来たときに服が絡まり横転したことで、掘りごたつ風の机に肘をぶつけて、アザが出来たことぐらいだろうか。まだ肘がジンジンと痛みがあるが気にしない。なんだって今日は最高の日なのだから。


 こんな最高の夜、僕にはまだ酒が足りない気がした。偶然通りかかったコンビニエンスストアで酒を買う。意識が朦朧としている中だったので、何を買ったか分からない。とりあえず酒。何でもいいのだ。自動ドアが別れを告げて、外に出る。袋に入っていた、適当な缶を乱雑に空けて、喉に当てるように飲む。こんな乱暴も今日くらいはいいのだ。なんだって今日は最高の日なのだから。


 そろそろ、僕の眠る場所が見えてくる。東京の下町。2階建てのボロアパートの二階。一番奥が僕の部屋。なんともみすぼらしい見た目をしているが、中は白を基調にリフォームされていて、中々綺麗だ。まるで身体が浮いているかのような足取りで、鍵を差し込み、玄関のドアを開ける。


 部屋の中は伽藍としていた。家具は何もない。それもそうだ。前日、全て捨ててしまったのだから。あるのは一脚の椅子。まるで測ったかのように部屋の中心にポツンと置かれている。その椅子の上にはロープが垂れている。丁度僕の首がスポリと入る穴まで空けて。


 僕はもう空になりそうな缶を、一気に飲み干した。さて、そろそろ還るとしましょうか。借金を抱えて、お金なんてない。恋人がいなければ守る者さえもいない。毎日届くのは、家賃と水道、ガス、電気と借金の催促。僕の手元にあるのは、捨てるものだけ。手に持っていた、空缶を部屋の端にまるで、的あてをするかのように投げた。カツンと小気味よい音が響いた。


 椅子に靴下のまま上がり、首にロープをかける。お釈迦様が僕に垂らしたのは蜘蛛の糸では無く、こんな工業用の太いロープだった。笑える。


 本当にちょうど良くロープが僕の首にフィットした。視界はグワングワンと揺れている。肘はまだ痛む。やっぱり今日はやめとこうか。そう思った瞬間だった。足裏が僕の意思とは裏腹に椅子を蹴飛ばし、僕は宙ぶらりん。まず来たのは苦しさと吐き気。次に痛み。もう肘の痛みなど、どうでも良くなっていた。だんだんと意識が朦朧としてくる。だけど、僕は何故か、多幸感を感じていた。まるで、外で遊び終わった子供が両親の家まで帰って、夕ご飯を待つ。あのなんでもない様な幸せ。一日の終わり。何も残すことない幸せ。そうか、僕は還るからだ。還るからこんなにも幸せなのだ。何時からか、ここは、ただ寝泊まりする所だと脳が錯覚していた。でも実際、ここは僕の還る場所だったのだ。こんな辺鄙なボロアパートで感じる最後の幸せ。嗚呼ああ、やっぱり今日は最高の日なのだ。


 最後に目にしたものが部屋の隅にある、安物の缶チューハイだったこと。それに僕は少し苛立ちを覚えながら、意識が遠のいていくのに、身体を委ねた。

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還る 国府凛 @satou_rin

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