「母/Memories」
苦虫うさる
第1話 不気味な同人誌
1.
共通の友人の結婚式の帰り、僕はYに誘われてカフェに入った。
ひとしきり思い出話に話を咲かせたあと、Yが不意に言った。
「三つ子さんのことを覚えているか?」
もちろん覚えている。
僕はそう答えた。
三つ子さんは「三つ子のタマキン百まで」というアカウント名で活動していた同人作家だ。
女の子同士の友情や淡い恋心を繊細に綴った作品を数多く発表しており、僕は彼の同人誌を買いあさっていた。
三つ子さんは、誰もが知る人気作家、というわけではない。
だが、まるで特定の人間のみに届く周波数を放っているかのように、その作品はごく少数の人間を強烈に惹きつけた。
Yも三つ子さんの熱心なファンであり、僕たちは三つ子さんのファンが集うコミュニティで知り合った。
「三つ子さんか。懐かしいな」
当時は夜を徹して、三つ子さんの作品についてファン同士で語り合うことがよくあった。
その時代の熱気について僕が語り始めようとした時、Yが言った。
「三つ子さんの同人誌、まだ持っている?」
処分はしていない。
実家の部屋の押し入れに、他の本と一緒に仕舞われているはずだ。
その押し入れは、もう何年も開けていない。
「良かったら譲ってくれないか?」
僕は驚いてYの顔を見返した。
Yの顔には笑顔はなく、陰鬱な翳りで表情が読みにくかった。
「いいけれど……全部?」
かなり冊数があるぞ。
僕がそう言うとYは黙った。不自然なほど長い沈黙で、表情を見てもYが何を考えているのかわからなかった。
僕は落ち着かない気持ちで、コーヒーの入ったカップを持ち上げたり戻したりする動作を何度か繰り返した。
三回めにカップを置いたとき、ようやくYが口を開いた。
「欲しいのは最初のころの短編集なんだ。『母/Memories』ってやつだよ、覚えている? 初期の本だけど」
そのタイトルを聞いた瞬間、僕はギクリとした。
「あの本の中に、ひとつだけ変な話があっただろう? 一番最後に載っていた話」
なぜそのタイトルを聞いた瞬間に、怖気立ったのか。
その短編を一番最初に目にした時に、僕が感じたことが再現されたからだ。
その短編を読んだ人間は、誰もが口をそろえて「不気味だ」「気持ち悪い」と言った。
「これは読んではいけないものだ」そう言う人もいた。
なぜそう思うのか。
誰も説明できなかった。
そして説明出来ないことに、みんな戸惑いと薄気味悪さを感じていた。
三つ子さんが描く「十代の少女の交流や心の揺れ動き」をテーマに据えた作品群の中で、「母/Memories」は明らかに異質だった。
衝撃的な描写や展開がある話ではない。
むしろ「母/Memories」は「何も起こらない話」だ。
だから僕も含めた読者は、その話の何が自分たちを怯えさせるのか、どうしてもわからなかった。
落ち着かない気持ちを鎮めるために、僕は手の中でコーヒーカップをいじり続ける。
Yが言った。
「いつ頃、譲ってもらえそうかな。なるべく早く確認したいんだ」
「確認?」
僕は顔を上げる。
「確認? 何を?」
「何、って……」
Yは困惑したように呟いてから、コーヒーをひと口飲んだ。
「君は、三つ子さんがどうなったか知らないよね?」
僕が怪訝な顔をすると、Yは「やっぱりな」と呟いた。
「行方がわからないんだ」
「理由があってアカ消ししたんじゃないか? ネットで誰かを見かけなくなるなんてよくある話だろ」
現実で姿を消したならばともかく、ネットからいなくなっただけで行方不明にされてはたまらない。
僕の言葉を認めるようにYは「そうだな」と呟いた。
「三つ子さんはいなくなる前に、SNSに何枚か写真をあげているんだ。それが気になってさ」
「写真?」
「どこかで見たことがある、って思ったんだよね」
Yはテーブルの上にあったスマートフォンを手に取って、画面を僕のほうへ向けた。
「見てくれないか」
Yの言葉につられて、僕は画面をのぞきこむ。
「実物を見せられれば良かったんだけど。三つ子さんのアカウントはもう消されちゃっているからさ」
描かれているのは、ボールペンで描かれた白黒の写実的な絵だった。
人物を描いているのではなく、映画のワンシーンを模写したように見える。
三つ子さんがあげた写真を、記憶を頼りに再現したものらしい。
知り合ったころから、Yは絵が上手かった。
一枚目は、昔の和室のようだ。部屋の真ん中にちゃぶ台が置かれ、女性が座っている。向かい側に座っている人物に、何か熱心に話しているように見える。
二枚目は、正座して座っている人間を見下ろす構図だ。顔は見えないが、先程と同じ女性に見える。
三枚目は、暗がりの中、庭らしき場所で女性がシャベルで地面を掘っている。その様子をそばで見ている人間がいる。そばにいる人物は、地面を掘るのを手伝おうとはせず、ただその場に立っている。
四枚目は、古い家の和室にある梁にロープが結ばれ下に垂れ下がっている。ロープは畳まで届き、その先は部屋の奥の暗がりに吸い込まれている。
「三つ子さんがいなくなる前にSNSにあげた写真を、思い出して描いてみたんだ」
「これだけ見せられても……」
わからないよ。
そう言いかけた瞬間、不意に言葉に詰まった。
僕はもう一度、差し出された絵を見る。
頭の内側を何か冷たいものが撫でるような感覚が走り、ゾッとした。
僕はこの四枚の絵を見たことがある。
どこで?
Yの手からスマホを引ったくるようにして受け取ると、僕は画面を見つめた。
画面を食い入るように見つめているうちに、一人でに言葉が漏れた。
「『Memories』だ」
見間違うはずがない。
当時は、一コマ一コマなめるように見ていたのだ。
僕は絵に掛かれた若い女性を見て呟いた。
「『ママ』だ」
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