第2話「信頼」

 深い、深い悲しみのうちにあった。凍てつく風が自分の魂を逃さんとする。草原で横たわる他の二人を見ることはできないが、確かに自分たちのつながりを感じた。

 だから、あぁ、


 これで、これでよかったのだ。


◆◆◆◆◆◆


 自分と瀬奈、晴人の三人は幼稚園の頃からの親友であった。互いに夢を語り合い、悩みを打ち明けた。

「それでさ、私の班の人たち全然行き先聞き入れてくれなくてさ、地味なお寺とかになったわけ!本当悲しいよ〜」

「まあまあそう言うこともあるって、今度三人でゲーセンでも行って憂さ晴らししようぜ?」

 いいアイデアだね、なんて返してみんなで盛り上がる。これが日常で、幸せで、


 自分がなんとしても守らなければならない、繋がりであった。


「それにしても5月に修学旅行とか早すぎない?もっと卒業に近い方が思い出になりやすくない?」

「それは人それぞれだと思うけどなぁ」

 あんま卒業が近いと受験と重なって大変だからね、なんて返す。気づけば中学生もあと11ヶ月しかない。その期間が過ぎれば自分たちは高校生になり、瀬奈は家庭の都合で遠くに行ってしまう。それすなわち、自分たちの関係の危機であると思われた。しかし、その話を瀬奈がした時、焦る自分とは対照的に、二人は悲しみつつも前向きに、休みの日に会えるさなんて話していた。それを聞いた時二人にバレてしまいそうになるほどホッとした。この三人の関係は何にも変え難いものだ。この幸せを崩したくない。そんな思いは、やがて信仰へと移り変わって行った。自分たちの友情を神とした新興宗教は、確実に自分の中に溶け込んでいた。何かで瀬奈と晴人が仲違いしそうならば仲を持ち、わだかまりが残らないようにしていた。三人という絶妙な均衡は、こうして保たれていた。


 だから、その均衡が取り返しのつかないほど崩れたことをを知った時、言い知れぬ泥沼に、浸かりきってしまった。


******


「瀬奈に告白しようと思う」

 それまでの晴人は明らかに様子がおかしかった。だから、放課後に呼び出されてこの言葉を聞いた時、驚きと同時に納得した。これが彼の悩みだったのか、と。まだこの時は事態を楽観視していた。たとえ二人が付き合っても三人でいられるだろうと。

 これからも三人一緒だよね?と聞く。

「当たり前じゃん、仲間はずれにしたりしないよ」

 しかし、その声はどこか、いつもの声とは違っていた。その違和感をあえて無視して、次の日の放課後、二人を見守ることにした。


 晴人が、告白する。

 そして、それは、失敗に終わった。

 

 それと同時に自分の中で何かが砕けた。今まで保たれていた友情という名の均衡が、信仰が、壊れてしまった。取り返しがつかない、もう戻ることはできない。あの時止めていたら、もっと根回しをしていれば。どうしようもないことばかりが頭の中を巡り、そして、一つの答えに辿り着いた。


 まだ、間に合う。

 自ら、終わらせてしまえばいい。


 夜に裏山に集合ね、と瀬名に伝えて荷物を取りに教室に戻る。冬の廊下は寒く、これから起きること、そして自分の心を暗示しているかのようだった。ロッカーの中から、工作用の大ぶりのカッターをポケットに入れる。今夜、全てが終わる。けれど、今夜、全てが永遠になる。


◆◆◆◆◆◆


 冬の冷たい風が体を芯まで冷やす。しかし、そのことすら、今は意に留めない。星々の明かりが足元を照らす。終わりの足音が、一歩、また一歩と聞こえてくる。

「お待たせ、寒くなかった?」

その声はいつも通り、普段自分たちが耳にする瀬奈の声だった。それにひどく安心するとともに、終わらせなければいけない、という確固たる意志が自分の中で湧き上がった。

 全部崩れてしまった。

「え、どういうこと?」

 きっと、瀬奈ならわかってくれる。だから、晴人じゃなくて、瀬奈を選んだ。幸せのうちにこの友情を終わらせることを。そのためには、全てを終わらせなきゃいけないことを。これはいわば、目覚めることのないコールドスリープなのだ。


 突き刺したカッターが全てを終わらせてくれる。暖かい液体が手に纏わりつく。これが、自分たちの友情が存在した証だ。そう思って、カッターとは反対のポケットに入れていた薬を、その液体で飲み込む。すぐさま訪れた強烈な眠気に体を預け、倒れ込む。このまま眠りにつけば、もう2度と起きることはないだろう。

 そこから数秒もしないうちに、誰かが駆け寄ってくる音が聞こえた。

「おい!大丈夫か!おい!」

 あえてずれた時間で呼んで良かった。晴人はわかってくれないかもしれない。けれど、いつしかわかる日が、きっと来るだろう。


 もし、もし、違う選択肢が取れたなら。


 もし、もし、違う幸せがあったなら。


 でも、瀬名はわかってくれた。最後に見せたあの幸せそうな表情は、全てを理解した顔だった。自分の信頼に、瀬名は答えたのだ。


 悠久の悲しみの中にも、一掴みの幸せがあるのだ。


紺青と白星に彩られながら、最後の意識を、手放した。

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