4話 転生

 目が覚めると、安物の布団が肌に貼りついていた。

 染みだらけの天井。

 遠くのテレビの音。

 ……なのに、不思議と、心は静かだった。


 どれもが“生”を突きつけるほどに、リアルだった。


(ここは……どこだ?俺は、死んだはずだ)


 首に巻かれた縄の感触が、まだ鮮明に残っている。

 目の前には死神がいた記憶。

 それが現実だったのか、幻だったのか、判断がつかなかった。


 小さな手が、自分の目の前に広がる。

 鏡に映るのは見知らぬ少年の顔。

 喉から出た声は甲高く、子供のものだった。

 手も足も小さい。だが、脳裏には、あの冷たい縄の感触が焼きついて離れない。


 ただ確かなのは、今、自分が子供の姿で、生きているということだった。


 状況を把握しようと、部屋を静かに見回した。

 薄暗いアパートの一室。古びた壁紙に、雑に積まれた荷物。

 貧困の匂いが染みついた空間だった。


 窓の外を見ても、変わらぬ世界がそこにあった。

 どうやら、時代そのものは自分が死んだ頃と大差ない。

 テレビから流れるニュースも、どこかで聞いたことのある政界の名前が飛び交っていた。

 

 視線を壁に向けるとカレンダーが目に入った。

 20xx年△△月○○日


 その日付を見た瞬間、まるで脳を直接叩かれたような衝撃が走った。

 痛みはない。ただ、確信だけがあった。

 この日付が今日か……。

 

(もしや、転生後の元からある記憶なのか)


 日付は俺が死刑を執行された翌日と、

 俺の元からの記憶と転生後の記憶が、一致した。


(じゃあ……この世界は“続き”ってことか。地獄でも天国でもない。ただの、続き)


 彼はゆっくりと立ち上がり、感覚を確かめるように歩いた。


 ふと死神の言葉が脳裏によぎる。

 『その代償として、あなたの魂はいずれ私のものとなる』


 死神の真意はわからないが、タイムリミットがあると考えるべきだ。


 (時間を無駄にできない。思考をおちつかせろ)


 俺の胸の奥には、冷たい炎のような復讐心が宿っていた。

 俺と猛を裏切った者たち。操った存在。その全てに、必ず報いを与える。


 そのためにも、今は焦らず状況を整理する必要がある。


 考えるべきことは山ほどある。

 まず、この家――この新しい家族が何者かを探る。

 そして、かつて俺を裏切った“誰か”に近づく術を、ゼロから組み上げる必要がある。


 子供として、情報も金も力もないこの状態から。


 でも、問題ない。


 成り上がる手段を、俺は知っている。

 血を流さずとも、人を動かす方法を知っている。


 次の一手を思い描こうとした、その時だった。

 バタバタとした足音。ドアがガチャリと開く音がした。


「アキラー! ごはんできてるよー」


 女の声。若い。


(来たか……)


 恐らく、この声の主が新しい家族のようだ。

 俺は表情を柔らかく整えた。子供らしい笑顔を浮かべながら、

 その奥に不敵な色を宿す。演技は、すでに始まっている。

 そして、子供として演技をしつつ、俺は扉の方へ向かった。


 俺は、静かに扉を開けた。

 明るいキッチン。湯気の立つ朝食。

 その中心で女がこちらを振り返る。


「おはよう、アキラ。ちゃんと起きたのね。えらいわ、ほんと」


 声は柔らかく、澄んでいる……だからこそ、不自然だった。

 底知れぬ違和感……。

 続けて母親らしき人物は口を開ける。


「ほら、今日から学校なんだから、しっかり食べなきゃダメよ?」


 テーブルには、俺の分だけ完璧に整った食器。

 他の二人分よりも、なぜか新品感がある。

 箸。茶碗。コップ。

 新品のランドセルも、玄関の壁にかけられていた。

 そのタグすら、まだぶら下がっている。

 味噌汁の湯気、きつね色に焼かれた鮭、ピカピカの白米。

 どれも完璧すぎて、現実感を失わせるほどだ。


「アキラ? 食べないの?」


「あ、ううん。いただきます」


 食事を終え、食器を流しへ運ぶ。

 母が何も言わずに座ったままでいるのを、横目で確認した。


 ランドセルを背負い、靴を履きながら、ちらりとリビングの様子をもう一度振り返る。

 やはり、あの空気は異常だ。


 俺は玄関のドアを開けると、外の冷たい空気がすっと流れ込んできた。

 まだ少し肌寒い朝だったが、彼の心はすでに温かさを感じることなく、

 さきほどまでの違和感は解け、思考が研ぎ澄まされるようだ。


 街に響く子供たちの笑い声が、俺には他人事のように響く。

 何も感じない……ただ、次の一手を考えているだけだった。


(情報をどう得る?)


 他の小学生たちは、ただの通学の一環として学校へ向かっている。

 しかし、アキラにとっては、この道が復讐への第一歩であり、情報を得るための道でもあった。

 今の自分にとって、何よりも重要なのは裏社会の動きを知ることだ。

 恐らくだが俺がいなくなった事による影響で、

 裏の世界では、何かが変わりつつある。

 それを把握しなければ、何も始まらない。


(情報といえば……あいつしかいないよな)


 澪の顔が浮かぶ。

 澪なら、きっと裏社会に関する情報を持っているだろう。

 しかし、今の自分にはその接触手段がない。

 いくら頭を使おうと、現状でできることには限界がある。


(まずは、澪に接触する。アイツなら裏の動きがわかる)


 小学生の姿で、どうやってあの澪に接触するのか。

 情報もない、金もない、信用もない。

 それらをどうにかする方法を思いつけるだろうか。


 過去に澪と連絡を取り合っていた方法を思い出す……。


 澪に連絡を取るには、特定の掲示板に暗号を書き込む。

 それが彼女との取り決めだ。

 それを使えば、再び澪と接触できるはずだ。

 しかし、それを今、使う手立てがない。


 ネット掲示板。今はそれを使える状況ではない。

 スマホも持っていないし、ネット接続環境も整っていない。


(どうにかして、インターネット環境を手に入れなければ――)


 俺は学校のことを思い出す。

 小学生の姿だからこそ、周囲が気付くことなく自然に手に入れられるものもあるはずだ。


(もしかしたら、誰かが持っているかもしれない。あるいは、手に入れる方法があるか)


 学校には、ネットに詳しい者や、

 スマホやパソコンに興味を持っている子供がいないだろうか。     

 そういった人物に接触し、そこから情報やツールを手に入れることができるかもしれない。


(まずは、そんな奴を探すことだ。意図的に接近して、手に入れる方法を考えないと)


 そして、俺はさらにその先の戦略を練る。

 情報を得るためには、まずは接触し、信頼を得る必要がある。

 それから、少しずつ手に入れる方向へと動いていこう。


(一歩ずつ、確実に)


 そう心の中で呟くと、俺は玄関の先へとその一歩を踏み出した。

 澪との接触を果たすための準備を、確実に進めていく。

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