第7話 山中での遭遇

「どこなんだここ……」


 俺は眠りについてから何時間たったかは分からなかったが、スマホの時間を確認する限り昼頃らしい時間に起き上がると、辺りを見回して呟いた。辿り着いた時点ではもう意識も朦朧としていてフラフラの状態だったのでよく確認もしていなかったのだが、思えばかなり危険なことをしている。


 そんなこんなでどこなのかもよくわかっていなかったその場所を確認しようと、俺は少し辺りを見て回ったりしながら、結局よくわからないという答えを出して終わった。


 こんなことをしようがしまいが、ここがどこかなど今に始まったことではないのだし、今の俺にとっては新しく目に入る光景全てが新しいという状態なのだ、そんな確認作業は地図を片手にするのであればまだしも、何もない状態ですることの意味はなかった。


 背後にはもうあの王城さえ見ることは叶わない──それだけの距離を走ったのだ。休憩を一切挟むことなく、無我夢中に、我武者羅に。


 だがひと眠りしたからだろう、その疲れもだいぶマシにはなっていて、こうして歩いている分には問題もなかった。


 俺はノートを取り出し、通った道をスケッチしながら、絵にできそうであればそこに色々描き込んでいき、それが無理そうであれば番号を振ってから、スマホのカメラで周囲の光景を記録していった。番号と写真を照らし合わせれば、場所の把握もできる──スマホの充電はかなり心許ないが、まだモバイルバッテリーが生きていると信じたい。


「これからどうしよう……」


 見切り発車で飛び出て来たのは良いものの、実際ここからどうしたものかは決まっていない。決まっていないというよりは、何ができるのかが分からないといったところだ。職業と同じく、何ができるのかが分からない。


 あの場では、こんな場所だからこそできることもあるだろう、などと言ったが、しかし、そんなものを俺は知らない。この世界についてほとんど何も知らないのだから、それも当然だろう。


 本当に、自分の愚かさ加減やいい加減さが嫌になる。


 あんなこと言って飛び出して来て、その次の瞬間にはもうこれだ。


 決めたんじゃなかったのか。


 しかし、そんなことを考えたところで、前には進まなければならないのだから、取り敢えず人里が見えるまでは何も考えずに歩いていくことにした。山登りやハイキングなど普段することが無い事を思うと、一応スニーカーに代わる靴を貰っているとはいえ、その歩き辛さが身に染みる。


 草木をかき分け、転ばないように足元を注視し、かなりのスローペースで進んでいくと、体力という意味でもそうなのだが、どちらかと言えば精神の方をゴリゴリと削られていくのを感じる──独りだからというのが、大きな理由なのかもしれないが。


 だがどうにも、全くもって森から出られる感じがしない。結構広めの森なのだろうか──熊なんかが出てこないことを願うばかりというか、もしそんなのがいた時の対処法も、今のうちに思い出しておかなければ。


 確か、死んだふりなんかは意外と効果が無くて、それから背中を見せて逃げるのもNGで──できるだけ身体を大きく見せて大声で威嚇するのがいいんだったか。熊も熊で相手は怖いのだから、狙われないように、そう、例えるのなら街で見かける頭のおかしな連中を相手にするときのように、自分をできるだけ強く見せるのがいいのだったか。


 だが子連れの熊は否応なしに目の前の脅威を排除しにかかるとも聞いたことがある──気がする。向こうだって生きるのに必死なのだろうし、そのことに関して文句を言うつもりもないというか、言ったところでどうしようもないのだろうが、流石に気が早すぎないだろうかとは思う。


 思ったところで、生物としての常識が違うのだから、それもまた致し方ないのだろう。


 そんな事を思いながら、あれこれと考えながら、出会わないようにと祈りながら、俺はかなり高い場所にまで登って来ていたらしい──周囲は木々に囲まれていたものの、その隙間からの光景を見るに、南東の方角へと進んで行けば街があるようだった──一度登った山を降りなければならないが。


「はぁ……」


 俺はそれに思わず溜息を吐いた。


 登山家はそこに山があるから登るらしいが、だとすれば、そこから降りる時には何を言うのだろうか。


 山でも何でもいいのだが、「登ってから降りる」と言うとなんだか、わざわざ一という数字を用意して、その一から一を引いて零という解を導き出す──というような、「それはわざわざやる意味があるのか」と言いたくなってしまうものではあるのだが、世の登山家はどういう言い訳をして、折角登った山から降りているのだろうか。


 彼らは一応その達成感を求めて山を登っているのだろうが、降りることにも達成感を感じているのだろうか。


 俺にはこの山に登ったことも、山から降りることの達成感というものも無いのだから、もしそんなものがあるのだとすれば是非とも教えてもらいたい。


 俺は山頂を見渡し、辺りにあった切り株に腰を落とすと、しばらく休憩することにした。


「喉乾いた……」


 来る途中にでも水場が何かがあればよかったのだが、歩いてくる道中、特にそんな音はしていなかった。せせらぎの音とでも言うのだろうか、そんな音はしていなかった。動物の鳴き声のようなものも解くには聞こえていなかったし、俺がこんな山の頂上でゆったりしていられるのはそれが原因でもあるのだが、そんな中でさえ聞こえなかったのだから、この辺りに水場は無いのだろう。


 あったところで、川の水をそのまま飲む度胸というのは無いのだが。


 火を使うことが出来れば違ったのだろうが、そんなものも持ってはいないし、これなら校舎裏で煙草を吸う前時代的な不漁にでもなっていればよかったと思う。それならライターも持っているはずだし、枯れ木をいくつか集めれば焚き火っぽいものは出来ただろう。


 鍋が無いから水を煮沸することは、やはりできないのだが。


 俺は頭を抱えた。


 何を考えても後ろ向きになってしまう。いや、普通に考えればただの現状確認でしかないのだが、確認すればするほど、認識すればするほど、俺はこんな場所で独りで生きて行くだけの力や知識を持ってはいない。


 何もないのに逃げ出してきたのだ。


 一体、何をしているんだ。


 ここから降りて、街に向かったって、俺には生活できる基盤が無い──住所もないし、仕事もないし、金もない。何故か言葉は話せるし文字は読めるけど、それだけだ。力を与えてくれる職業とやらも未だ訳が分からぬまま。


 何なんだ『ガム』って、ふざけてるのか。ふざけてるんだろうな、こんな状況だし、コレがふざけていなければ何なのか。


 俺は頭が熱くなっていくのを感じて、切り株から立ち上がった。


 ダメだと思った──こうして動かずにいると、考えなくていいような余計なことに思考を巡らせて、行ったり来たりするその思考の中で、ただ苛立ちを募らせるだけだ。無駄に無駄なものを積み重ねていくだけなのだ。


 なら──と、俺は南東がどちらかを改めて確認すると、来る時とは打って変わって、メモを取ることも無く駆けだした。足場のいいとは言えない山の中を全速力で駆け降りるなど、一人でいるこの状況下での行動としては凡そ常軌を逸していたが、とにかく頭を冷やしたかった。


 これ以上益体の無い事ばかりつらつらつらつらネチネチネチネチ考えてしまえば、そのストレスに焼き焦がされて死んでしまう──そう考えた俺は、転んで怪我をするかもしれないという思考さえ吹き飛ばす勢いで、坂を下り降りる勢いに身を任せて、駆けて駆けて駆けて行って──


 ──そして案の定、転んだ。


 足元の不注意で。


 盛大に転んだ。


 俺の人生史上類を見ないほど盛大に、そしてこれ以上はないと自信を持って言えるほどに──いや、こんなこと誇っても仕方が無いのだけれど、とにかく思いっきり転んでしまったのだ。


 まぁ、そうは言っても、そこで俺がどうなったのかということは、俺が転んだということを認識していることから察することができるのだろうが、一先ず顔面から地面に飛び込むような真似はせずに済んだ。


 しかし、全くの無事というわけでは勿論なくて、それは転んだときに脚を打ってしまって立ち上がれなくなってしまったことだ──ということでもやはりなくて、それだけならまだ問題としてはただの怪我で済んでいたのかもしれない──いや、こんな木々の生い茂る中で怪我をして立ち上がれなくなった時点でもう十分大問題ではあったのだが、それ以上があったのだ。そうでなければこんな言い方はしないだろう。


 その問題とは。


 俺が駆け抜けて行った先で出会った大問題とは。


 熊──ではないのだろうが、それ以上におっかないというか悍ましいというか、まさに化物と呼ぶに相応しい見た目をした何かしらの生き物の巣に飛び込んでしまい、それだけならまだ言い訳も出来たのだろうが、あろうことか俺はそこにあった卵という卵をクッションにして──つまりはその生物が命に代えて守っていたはずの我が子という我が子を押し潰してしまった事だ。


 そのお陰もあって、俺はその卵の範囲外にあった脚を打つくらいの怪我で済んでいるわけだから、この世と言うのは誰かの犠牲によって誰かが生きているのだなということをつくづく感じさせられたりするわけなのだが、身体を痛めてまで産んだ我が子を、その子と対面する前にすべて圧殺してしまったわけなのだから、親からすればたまったものではないだろう。


 何の生き物かもわからない卵であったのでこれくらいの感想で済んでいるのかもしれないが、実際これが人間の赤ちゃんだったらと思うと相当悲惨だ──人間は卵生ではないから色々と状況亜変わるのだろうけど。例えるのなら、保育園でのお昼寝の時間、並べられた布団に所狭しと眠る幼子目掛けて全身から思いっきりダイブしてプレスするというのに近いのだから──考えたくもない。


 しかし、言い換えればそんな、考えるだけで悍ましいような行為を俺はしてしまったので、当然その親からの非難を受けることになるのだが、この場合、その非難と言うのはどのような形で為されるのだろうか。


 非難というより、復讐は。


 どんな形で、俺はそれを清算させられるのだろう。


 獰猛なその瞳を見ながら、俺は考えるわけだ。

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