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「何か言ったか?」
ボソリと呟いた俺の声に反応して前を歩く清原が振り向く。
「いや、何も」
「ふーん、そうか。……それにしても、いい眺めだなぁ」
彼はリビングに隣接しているベランダから景色を見渡す。
この部屋は十四階建てマンションの最上階だ。少しでも天国にいる三玖に近づければ……という短絡的な考えで購入を決めた。早くも七年目となる。
しかし住み始めてから気が付いたのだが、俺は高いところが苦手だ。そのため、普段の生活ではできるだけベランダの方には近づかずに過ごしている。せっかく最上階を選んで購入したのに、家主が高所恐怖症では本末転倒だ。
「そういえばさ、前に話してたと思うけどここって部屋余ってるんだよね。俺も一緒に住んでいい?」
このマンションは空き部屋が出たとしてもすぐに買い手が殺到して埋まってしまう。だから清原の言う『部屋余ってるんだよね』という問いは、俺が住んでいる部屋のどこかという意味だろう。確かに、物置部屋と化した八畳くらいの部屋が余っているが……。
「洒落にならんから辞めてくれ。何が良くてアラフィフのおじさん二人が同棲するんだよ……」
「冷たいこと言うなよぉ、すぅ君」
「お前いつからそんなキャラになった」
清原は俺が三玖に『すぅ君』と呼ばれていたことを知っていて、たまにふざけてそのあだ名で呼んでくる。
猫なで声を出す彼を言い退けると、「だって俺が家にいると『男は邪魔だ』みたいな目で家族に見られるんだぜ!? そのくせ自分の部屋だってないしさ……。俺はどこにいればいいんだ! ベランダもしくは庭か? 愛犬でさえ家の中で飼ってるのに!」と反論される。確かにそれは可哀想かもしれない。
「はぁ……、仕方ない。俺とじゃ不満なら、いっそ湯浅ちゃんに住んでもらえば?」
落ち込む清原に慰めの言葉をかけようとすると、彼はとんでもない発言をする。一体どこからその発想になったんだ。
「おい、何でそうなるんだよ。冗談でもキツいわ」
「冗談ってわけじゃ……。終電無くなるまで残業してる日もあるんだろ? 会社に泊まり込むよりはいいだろ」
うーん、それは一理あるのかもしれない。
……いやいや、ないだろう。
「だからと言って部下と同棲はまずいだろ。ハラスメントにうるさいこのご時世、そんなの提案しただけでも問題になるからな」
「確かに相手が嫌がってるとしたらハラスメントになるわな」
清原が意味深に呟く。自分で言うのも何だが、秘書である彼女からは信頼されているほうだと感じている。
それはそうと、プライベートの時間まで介入して良い理由にはならない。昨日のことだって出過ぎた真似をしたと反省しているのだから……。
「まぁ飲みながら聞くよ」
黙り込んでしまった俺の様子を見て、彼はまるでここの住人であるかのようにダイニングテーブルの方へと誘導する。一人暮らしに見合わない無駄に大きいサイズだ。滅多に来客があるわけではないものの、お陰で広々としたリビングを埋める役割を立派に果たしてくれている。今まで考えたことすら無かったが、誰かと住むというのも悪くないかもしれない。
「ほい」
椅子に腰を下ろすと清原が買ってきた缶ビールを渡され、ひんやりとした感触が手から伝わる。恐らくすぐそこにあるスーパーで買ってきたのだろう。
「まさか二日連続で杯を交わすとはな……俺らってどういう関係?」
「含みのある言い方辞めろ。同性愛を否定するつもりはないが、男に興味はない」
清原は「俺もー」と言いながら缶ビールに口をつける。その様子を見ながら同じようにアルコールを体内へ流し込んだ。気を遣わなくて良い相手と飲む酒は美味い。
「じゃあ、湯浅ちゃんのことは興味ある?」
先ほどとは打って変わって真剣な声色で問われる。電話で誘った時点で彼には俺の気持ちがお見通しのようだ。
「ただの部下だよ。でも……」
俺は今日、自分の感情に蹴りをつけるために清原を呼んだ。だから包み隠さず本心を打ち明けようと決心する。
「今まで関わってきた部下とは違う特別な感情が確かに俺の中にあって、その感情が何なのか自分でも分からない。正直、かなり戸惑ってる」
初めて己の素直な感情を口にした。言葉にするまではモヤモヤとした不明瞭な感情が胸の奥に居座っていたが、それを打ち明けるだけでわずかではあるもののスッキリとした気持ちへ変化していくのを感じる。
「俺らだって人間なんだから部下を全員平等に見るのなんて普通は難しいよ。一人くらいお気に入りの部下がいたっておかしくはない」
清原は俺が調理した枝豆に手を伸ばしながら続ける。
「まぁでも、お前のそれは『ただのお気に入り』じゃ済まないって話だろ?」
核心を突く言葉にドキリとする。確かに今まで沢山の部下を受け持つ中で多少好意的に思う社員はいた。頑張っている部下に対しては応援したくなるし、その部下の成長に必要であれば力になりたいとも思う。例えば、今の俺にとって川村さんがそういう存在である。
しかし、彼が指摘したとおり湯浅さんに抱く感情は『ただのお気に入り』だけではない。
「この前下の娘が言ってたんだけどさ」
「……うん?」
俺の悩み相談に乗ってくれているのかと思いきや、唐突に娘の話を始めた。意図が掴めず疑問に思ったがとりあえず大人しく話を聞くことにする。
「アイツさ、最近韓国のアイドルにハマってるみたいなんだよ。『なんとかかんとか』っていうグループの」
「韓国ブームってやつか……、何次目になるかまでは詳しくないけど定期的にブーム訪れてるイメージあるわ。まぁ『なんとかかんとか』じゃ全くグループ名想像できないけど」
清原は「グループ名は何でもいいんだよ」と反論する。それ多分、娘に聞かれたら怒られるやつだぞ。
「とにかく凄いんだよ、そのアイドルに対しての行動全てが! 定期的に韓国まで飛んでライブや握手会みたいなのに行ったり、大量のグッズを集めたり韓国語の勉強をしてみたり……口を開けばそのアイドルの話で『ソジュンに人生捧げてます』っていう感じ。尋常じゃないだろ?」
恐らく『ソジュン』とは、清原の娘が一番好きであるだろうアイドルの名前だと予測する。
グループ名は覚えていないくせに、アイドルの名前は覚えているらしい。話が長くなりそうなのであえて突っ込まないでおくが。
「それだけ好きになれるものがあるのは悪いことじゃないと思うけど、親としてはちょっと心配か」
——カチッ
二本目の缶ビールを空けながら話の続きを聞く。
「学生のうちはもう少し程々にしてもらいたいところなんだけど、嫁も一緒にハマってるから強く言えないんだよな……」
「すっかり尻に敷かれてるな」
「そうだよ。悪いか!」
清原はグビっと酒を飲み干すと、まだ空けていない缶ビールに手を伸ばす。
「前振りが長くなったけど、そういう好きが溢れて好きだけじゃ表現できなくなる対象のことを『推し』って言うんだと」
「なるほど……」
「それで、俺が思うにはお前は湯浅ちゃんに対して少なくとも『推し』の感情を持ってるんだと思う」
「おおぉ……」
まさかそこに繋げてくるとは思いもよらず、自然と感嘆の声が漏れる。
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