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「お待たせいたしました」


 推し心と恋心の狭間で揺れ動く感情にどうにか答えを見つけたくて思い悩んでいると、頼んだパスタが店員によって運ばれてくる。


「いただきまぁす」


 茜はトマト系のパスタをスプーンとフォークを使って器用に巻き付けると、大きく開けた口の中へと運ぶ。一見クールな性格に見える彼女も、美味しいものを食べているときは無邪気で可愛げがあるものだ。


「ぅんまっ! 美央も冷めないうちに食べな」

「うん、そうだね」


 一旦悩むのを辞めにして、熱々のパスタを火傷しないよう冷ましてからいただく。


「美味しい!」

「だよね。そのうち杉浦でも連れてきて奢ってやるかぁ」


 そう呟く茜の言葉を聞いて『私も今度、社長と一緒に来れたらいいな』とぼんやりと考える。


「……ねぇ、茜。『推し』と『好きな人』の違いってなんなのかな?」


 私は自分だけで答えを導くのは困難だと感じ、茜の意見を聞いてみることにした。


「そうねぇ。その人を自分以外の人にも共有したいか、それとも自分だけが独占したいか……の違いじゃないかな。共有したいと思えるなら『推し』で、もし独占したいという気持ちがあるなら、それは推しの域を超えた『好きな人』なんだと思う」


 茜はパスタを食べる手を止めて、真っ直ぐに私を見つめて言う。


「私は美央が、社長に推し以上の感情があるように見えるけど」


 社長を推しに感じた初期の頃から見てきた茜の言うことだから、一理あるのかもしれない。

 でもだからといって、長年の推し活に幕を閉じて『私は社長を推しではなく、一人の異性として好きです!』と断言するにはかなりの勇気がいる。

 それに、認めてしまったらこの気持ちに歯止めが利かなくなってもう社長秘書の自分でいられなくなりそうで怖いのだ。


「あくまでも私は、社長秘書として社長を慕ってるだけだよ」


 茜の突き刺さすような視線から逃れるように、手元のパスタを見つめて答える。


「……そっか。まぁ、美央がどんな答えを出しても私は応援するからさ」

「うん、ありがとう」


 茜に話せば悶々とした気持ちがスッキリするのかと思っていたのに、余計にモヤモヤとした感情が残ってしまった。


 茜の言う『その人を自分以外の人にも共有したいか、それとも自分だけが独占したいか』という問いに対して、私はどちらの感情も抱いている。だけどそれは、私が社長秘書として社長の隣を独占しているという余裕があるからこそ他の誰かにも共有したいという気持ちが芽生えるのかもしれない。

 確かに社長秘書になる前は遠くから見ているだけで満足していた。そこにはきっと独占欲なんて無かっただろう。

 もしも今、社長秘書のポジションを失ったとしてその頃に戻れるのだろうか。社長の隣に私以外の人が立つことになったら……想像しただけで耐えられそうにない。


 いつの間に私は社長のことをこんなにも好きになっていたのかと認めざるを得なかった。


 ◇


 食事を終えて支払いを済ませると、茜と一緒にオフィスビルに戻る。エレベーターホールへ向かうと杉浦君に遭遇した。


「お疲れ様です。二人で仲良くランチですか?」

「杉浦君、お疲れ様。茜と最近できたすぐそこのイタリアン風カフェに行ってきたんだ」

「あっ、前に川村さんに薦めたところですね。……くそぅ、俺が湯浅先輩誘って行きたかったのに先越された!」


 杉浦君は悔しそうな顔をして言う。


「上司に向かって『先越された』とか舐めてんの?」

「はい、出た! 川村ハラスメント! 部下に向かって『舐めてんの?』はアウトですよ」

「何でもハラスメントにしようとするな若造」

「『若造』って、俺と二つしか変わんないですよね?」


 二人のやり取りに、思わず「ふふっ」と笑みが零れる。なんだかんだ言いながら、仲の良さが伝わってくる。


「そういえば、丁度、先輩に連絡しようと思ってたんですよ。今週の金曜夜って空いてますか?」

「ちょっと待ってね……」


 私は携帯のスケジュール管理アプリを開いて予定を確認する。金曜日の夜は何も予定が入っていない。


「うん、空いてるよ」

「良かった! じゃあこの前約束したとおり飲み行きません?」


 キラキラとした顔を向ける杉浦君に「いいよ」と答える。


「よっしゃぁ!」

「美央、いつの間にそんな約束したの? 私その話聞いてないけど」

「部下に親友を取られて嫉妬ですか?」

「そうだけど、悪い?」


 膨れる茜に、「この前偶然廊下で会ったとき、飲みに行く約束をして」と伝える。


「ねぇ杉浦、美央とデートの約束こぎつけて調子に乗ってるようだけどこの子社長といい感じなのよ」

「……ちょっと、茜!?」


 私は、可愛い後輩に余計なことを吹き込もうとする茜の腕をバシバシと叩く。


「杉浦君、違うよ? 社長と私はただの」

「知ってますよ」


 私は『ただの上司と部下だよ』と反論しようとするけれど、杉浦君の言葉によってかき消されてしまう。


「有名だもんね」


 なぜか茜も同意する。有名って何が……?


「社長と先輩の恋仲説は社内で有名な噂ですよ。もしかして、先輩知らなかったんですか?」


 えぇぇぇえ! 知るも何も初耳だよ!?

 一体いつからそんな噂が流れていたのだろうか……。


「どうして教えてくれなかったの?」


 到着したエレベーターに乗り込みながら茜に問いかける。


「だって内緒にしてたほうが面白いじゃん」

「全っ然、面白くないから!」


 杉浦君がいるのを忘れて思わず突っ込む。

 やはり、彼の言うとおりハラスメントで訴えたほうがいいかもしれない。


「社長と先輩がいい感じだから遠慮してる社員も多いんですよ。まぁ、俺は噂とか気にしないし、本当だとしても奪いにいきますけどね!」


 そう自信を持って言い放つ杉浦君は、お得意の『わんこスマイル』を私に向ける。

 その姿を見て、思わず顔がほころんでしまう。


「そんな噂、デタラメだから安心して! ……いや、安心してって言うのも変だけど」

「まじですか、良かったです! 正直、社長が相手じゃ敵わないですからね」


 茜がニヤニヤとしながら私のことを見ている。絶対にあとで何か言ってくる顔だ。


「またお店決めて連絡します!」

「美央、ランチごちそうさまー」


 エレベーターが目的の階へ到着して降りると、杉浦君と茜は廊下の分かれ道で人事部のある右側へと進む。私は二人の姿を見送り、社長室がある左側へと歩き出した。


 社長と私が社内で恋仲説を噂されているのは聞き捨てならないけれど、杉浦君の登場によりモヤモヤとした感情がいくらか癒された。

 この前の会食があった日にも似たようなことがあったなと思い出し、彼は人のネガティブな感情をプラスにさせる才能があるのかもしれないと思った。

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