第5話 出会いの物語②

「場所を変えようか。マーガレット、お茶とお菓子を。」

「かしこまりました。」


 ステップフィールド魔導士長がイアンを中庭に連れ出すと、夫人がすでにピクニックシートを広げて待っていた。

ティーテーブルもあるにはあるのだが、一度も使ったことがない。今ではすっかり落ち葉に覆われ、リスや小鳥が好きに駆け回る運動場と化している。

ピクニックシートの上でステップフィールド夫妻がイアンを挟んで抱きしめる。彼らを囲むように執事長のギャレット、家政婦長のマーガレット、護衛騎士のミルドレッドが腰を下ろす。

夫人がマーガレット特製のバラのジャムをひとスプーン、お茶に溶かし入れると華やかな香りがあたりを包む。籐で編んだ平たいバスケットの中には、様々な花をかたどった小ぶりのクッキーと焼きたてのビスケットが並んでいる。


「ほら、ミルドレッドのお気に入りだよ。」

そう言ってイアンがクッキーを一つミルドレッドの口に放り込む。

階級制度が根付く貴族社会では主人と使用人が一緒にテーブルに付くことはあり得ない。ましてや地面に腰を下ろしお菓子を分け合うなんてとんでもない光景だ。

このステップフィールド家独特の一風変わったしきたりを、ほかの貴族たちは魔導士ならではの大層な理由があるのだろうと勘繰るが、何のことはない。単に大好きな人と楽しい時間を過ごしているだけなのだが。


「さぁ、どこから話そうか。まずはアレキサンダー様の今の状態を説明したほうがいいかな。イアンが心配しているだろうから。」

「アレキサンダー様は大丈夫ですか。無事お目覚めになるのですか。」

「心配はいらないよ。ただとても辛いことをご経験されたようだね。心の奥深くに固い殻をお作りになられ、ご自身を閉じ込めてしまわれた。」

「その殻を開けるのはプライバシーの侵害ですか?」

「んんん?イアンは難しい言葉をよく覚えているね。」

ステップフィールド魔導士長の目じりが下がりイアンをぎゅっと抱きしめる。

「そうだね、でもイアンはどう思うかな?もし自分がアレキサンダー様と同じように殻に閉じこもっているとしたら、放っておいてほしい?」


「こじ開けられるのは少し怖いから放っておいてほしいかも。でも放っておいて欲しくないとも思います。自分では壊せないから誰かに壊してもらいたいとも思います。とても怖いけど。」


考えて考えて、一生懸命自分の言葉を紡ぐわずか7歳のわが子をなんとも誇らしいと魔導士夫妻は目を合わせ、ゆっくりとイアンに語り掛ける。


「やってみるかい?」

「僕がですか?」

驚いて背筋がピンっと張る。

「僕では力不足です。それに魔力のコントロールを失敗してしまったらアレキサンダー様を危険にさらしてしまいます。」


 魔導士エリートの卵とはいえ、イアンには重すぎる役目に思われる。

だが、ステップフィールド魔導士長には確信があった。

無自覚に膨大な魔力のコントロールを、イアンは簡単にやってのけていることを魔導士長は気づいていた。彼の魔力は実に素直だ。所有者であるイアンの気質そのままに、まっすぐに折れることがなく分け隔てなく愛を注ぐことを本質としている。


 ステップフィールド魔導士長が眠るアレキサンダー第3王子を観察した時、王子の深淵に少しだけ足を踏み入れたのだった。透明の丸い殻の中で雨に濡れたまま膝を抱える小さな少年。彼は涙でぬれた青い瞳をきょろきょろと彷徨わせると、やがて躊躇しながらも何かを掴もうとするかのように手を伸ばしていく。魔導士長はその先に、イアンが持つ温かな橙色の光の玉を見つけると、「もう大丈夫だ。」と優しくつぶやき王子の深淵から抜け出した。


「王子がなぜ幼いドラゴンを抱えていたのか、少し話しておかなければいけないね。」

魔導士長の言葉に、ステップフィールド夫人が悲しそうに瞳を揺らした。


 カルデロイ王国の国王陛下であるウィリアムには皇后にくわえ皇妃が2人いる。ごくごく一般的ではあるものの、跡目争いにいっちょかみして甘い汁をと目論む貴族が存在するのもまたありふれた王国の姿といえよう。

悲しいことに巻き込まれるのはいつも幼い子供たちだ。


 皇后のミレイユには今年17歳になる第一王子のへンドリック、そして第一皇妃のメイディアには13歳になるムスタビオ第2王子がいる。そして第2皇妃サニアの息子が7歳になったばかりのアレキサンダーだ。順番通りなら次期国王は当然ヘンドリック第一王子である。

アレキサンダーはあくまでも第2皇妃の息子であり、まだ幼く、第3王子という立場から王位継承争いとは縁がないように思われた。 アレキサンダー自身も王位に興味はなく、母であるサニア皇妃も平穏な暮らしを望んだため、生物学者になりたいという息子の夢を応援しながらひっそりと離宮暮らしを楽しんでいた。

そんな平和な日々の均衡が崩れたのは、第2王子のムスタビオが病に倒れ昏睡状態に陥り、まことしやかに毒を盛られたとのうわさが立ち始めた時だった。

王宮医師団長のヘンゲルがある植物毒の可能性を口にし、その翌日には行方不明となり、三日後に離宮の池で溺死した状態で見つかったのだ。


 離宮には皇妃が趣味で育てている温室の植物園とハーブ園があり、小動物や鳥が多く集まることから、アレキサンダーのお気に入りの遊び場だった。めったに人間の前に姿を見せない臆病な妖精たちやドラゴンでさえ幼いアレキサンダーが大好きで、ほかの人に見られないようにこっそりとやってきてはくっついて回っていた。


 争いとは無縁に思われた温かな庭は宮廷騎士団に踏み荒らされ、アレキサンダーの平和な日々は突如として奪われてしまった。

それからすぐに第2皇妃が毒を盛ったのではといううわさが流れ、アレキサンダーも自室から出ることを禁じられてしまった。

幸いステップフィールド率いる王宮魔導士団によって毒の出所が離宮ではなく隣国から密輸入されたものであること、その隣国との取引で利益を得ていた第1王子支持派の貴族が、ケンドリックの18歳の成人を前に、不穏分子を一気に潰してしまおうと画策し実行された事実が暴かれた。


 ただその過程で無残に踏み荒らされた離宮の庭園はすぐの元通りになるわけもなく、平和を脅かされた小動物や妖精たちは怯えて寄り付かなくなってしまった。

ステップフィールド魔導士長は、自分の息子と同じ年のアレキサンダーが悲しむのを見ていられなかったため、魔法で庭を再建しましょうかと声をかけたこともあった。

ステップフィールド魔導士長はその時のアレキサンダーの反応を今でもはっきりと覚えている。

「アレキサンダー殿下、あなたがお望みなら今すぐにでも庭を元通りにして差し上げますよ。」

アレキサンダーは少し考えた後、ゆっくりと顔をあげ、真っ青な宝石のような澄んだ瞳でまっすぐにステップフィールド魔導士長に向き直ると、姿勢を正し慎重に言葉を選びながらこう言ったのだ。


「ありがとうございます。でもお気持ちだけいただきます。僕はまだ7歳ですし、頑張ったらこの先何十年とかけてこの庭を再生できると思うのです。自然の力を信じて見守ってもいいでしょうか。 どうしようもなく困ったときは、全部ではなくほんの少しだけ魔導士様のお力をお借りするかもしれません。」


 これを聞いたステップフィールド魔導士長は相手が第3王子であるにもかかわらず、「なんて健気で愛おしい!」と叫んでは思わずぎゅっと抱きしめてしまい、慌てた護衛騎士に引っぺがされて離宮から追い出されたのだった。


 その後もステップフィールド魔導士長は離宮をこっそり訪れては、土を耕し、種や苗を植え水をやる穏やかな笑顔の少年を見守っていたのだった。抱きしめたい衝動を必死に抑えながら。

少しずつだが動物たちも戻ってきて、妖精もまた時々顔を出すようになっていった。

平穏な日々を取り戻しつつあるな、と安心した魔導士長は、ようやくストーカまがいの離宮通いをストップしたのだった。


 それなのになぜ。

イアンが連れ帰ったという眠る少年を前に、ステップフィールド魔導士長は自分の目を疑った。一体何があったというのだ。どうして?あの穏やかな青い瞳はなぜ閉ざされてしまっているのか。そして足元で眠る傷ついた幼いドラゴンを見ると、すぐに魔導士局に伝令を送った。離宮でここ最近異変がなかったかを直ちに調査せよ、と。


 事態は深刻で王族とはいえまだ幼い少年には残酷なものだった。

調査を名目に庭を踏み荒らした騎士団の中に、第一王子支持派の不穏分子が残っていたのだ。病んだ思考は直接アレキサンダーを手にかけるのではなく、彼の大切なものをつぶすことで少年の心を壊そうと矛先を変えていたのだった。


 穏やかな日差しの中で大きな図鑑を膝に置き、熱心に読みふけるアレキサンダーの周りを妖精たちが時折アレキサンダーのほっぺを突っつきながら楽し気に飛び回っていた。聞きなれないキュルキュルといった鳴き声にふと足元を見ると、真っ白なうろこに覆われルビーのような赤い目の小さなドラゴンがアレキサンダーを見上げていた。

「おチビさん、君はどこから来たの?」怖がらせないようにそっと優しくささやきかけると、目を細めてキュルキュルと嬉しそうに声を上げる。うろこと同じく真っ白な翼をパタパタと動かすとほんの少しだけ体が浮いた。

「うふふ、飛行訓練中のおチビさんか。かわいいね。」そう言って背を撫でてやると、また目を細めながらキュルキュルと愛らしい声を聴かせるのだった。


 その様子を木の陰から男がじっと見つめていた。

護衛騎士に混ざってアレキサンダーの様子を毎日うかがってはよからぬ計画を練り上げていったその男は、まだ飛ぶことを知らない小さなドラゴンがアレキサンダーのお気に入りになるのを辛抱強く待った。数週間が経ち、図鑑と同じくらいの大きさになったドラゴンは相変わらずアレキサンダーの足元に体を丸めるとキュルキュルと可愛らしい声をあげながら時折翼をパタつかせたり、頭をぎゅっと押し付けたりと全身でアレキサンダーに愛を伝えていた。飛行訓練中の小さなドラゴンはようやく庭を一周できるくらいにはなっていた。アレキサンダーもまたドラゴンがかわいくて仕方がないといった様子で背中をゆっくりと丁寧に撫でてやったり膝にのせてはぎゅっと抱きしめたりしていた。


「今だ。」

男は小さくつぶやくと、笑顔を張り付けてアレキサンダーの前に立った。


「ごきげんよう。いつもありがとう。」

目の前の護衛騎士に何の疑いもなく挨拶をするアレキサンダーに、男の心は更に闇に沈んでいく。


ーーあぁこの澄んだ青い瞳を真っ黒に塗りつぶしてやりたい、と。

瞬間、男の手が足元のドラゴンの首を掴んだ。

ケーンと高く鳴き声をあげるドラゴンをアレキサンダーの顔の前に吊るし笑顔のまま剣を抜くとドラゴンの首から翼にかけて一気に切りつけた。


 アレキサンダーは目前で起きている状況にまだ思考が追い付いていない。直前までキュルキュルと可愛い声をあげていた小さな友達が、今目の前で苦しみの断末魔をあげている。ドラゴン特有の青緑の血がどくどくと流れ落ち、アレキサンダーのシャツの胸元を染め上げていく。

護衛騎士はアレキサンダーに笑顔を向けたまま「ごきげんよう。」といってドラゴンの首を掴んでいた手をゆっくりと離す。

血を流しぐったりとしたドラゴンがアレキサンダーの膝にどさっと落ちる。男はアレキサンダーの青い瞳が絶望に染まるのを満足げに眺めると自身の喉を一気に掻っ切った。


 全てが一瞬の出来事だった。アレキサンダーの瞳から涙があふれだす。呼吸の仕方を忘れたかのように口を結んだまま、瞬きもせずドラゴンを胸に抱え立ち上がる。助けを呼ぼうにもショックで体が動かない。異変に気付き駆けつけた護衛騎士の目の前で、アレキサンダーの体は真っ白な光に包まれその場から消えた。

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