幻想の支配者――天才と神の救世論

杜若狐雨

第二章:妹

【23】

「待ってユリシス!!!」

 自分の声で目が覚めた。

 見知らぬ部屋に寝かされていたらしい。

 雑音のない、ひどく静謐な森の中。

 ああ、そういうこと。

 置かれた状況が何となくわかる。

 そっちは正直、どうでもいい。

「何が……自由に生きろよ……」

 妹の言葉が、頭にこびりついて離れない。

 自由なんてのは、束縛あってのものだ。

 光もない、音もない、ただただ無限に広がる空間で、どこに行こうが自由だと言われることに一体何の意味がある?どこまで行こうが、どう進もうが、周囲が何一つ変わらぬならば、それは進んでないのと同じこと。どこにも行けないという束縛そのもの。そんな空間に閉じ込められたヤツは、こう言い出すに違いない。

 『ここから出してくれ』と。

 その空間の外に出ることだけが、そいつに与えられた自由ってやつだからだ。

 束縛なきところに自由は生まれようがない。何の束縛もない世界に放り出された人間は、そもそも自分が自由であることにすら気付けない。

「私の自由は……あんたあってのものだって……」

 知ってたクセに。

 私よりずっと幼くて、私よりずっと早熟で。

 私よりずっと頭がよくて、私よりずっと才能があって。

 私よりずっと可愛くて、私よりずっと愛されてて。

 愛さずにはいられなくて……。

 同じ土俵にすら立てる相手ではなかった。

 一生費やしても、この子の域には辿り着けないとわかっていた。

 私の世界のほとんどすべては、彼女で成り立っていた。

 唯一の欠点は、他者を傷つけられないこと。

 誰かを傷つけるくらいなら、自分が傷つく道を選んでしまう。

 そこに私の意義があった。

 あの子を護る剣となること。

 あの子を傷つけようとする者を、情け容赦なく叩き斬ること。

 それが生き甲斐を与えてくれた。

 私が私であることの証だった。

 なのに……なに勝手に……

 コンコン。

 扉がノックされたことで、我に返る。怒りにも似た虚無感に、辛うじて日常が侵蝕してきた瞬間だった。

「……シャルトーね?入っていいわよ」

 扉が開けられ、シャルトーとあの美人さんが顔を覗かせる。この森に部外者の彼女が迎えられていることが、少々意外か。まあ、それを言えば私も部外者だ。

「えっと……さ」

「悲鳴が聞こえたようですが……いかがなされましたか?」

 二人揃って顔面蒼白。どうやって切り出したらいいか、わからないのだろう。気の毒なので、不安はさっさと取り除いておく。

「あの子が死んだわ」

「「!!?」」

「知ってるんでしょ?」

「「…………」」

 いきなり核心から入った私に、二人は顔を見合わせた。

「気を遣ってくれてるのはありがたいけど、隠さなくていいから」

「……なんで眠っていたあんたが知ってるのよ?」

「今し方、あの子がお別れに来てくれたからよ」

「「…………」」

「あの子はそういう子だったの。あの子が魔法を使えること、シャルトーも知らなかったでしょ?」

「だって……あんたたち、そんな素振りなんて欠片も……」

「あの子に比べれば私なんてゴミ。ずっとそう言ってきたじゃない。十歳も下のあの子に、私は何ひとつ及ばなかった。本当の天才ってのは、ああいう子を言うのよ。もっとも、あの子が魔法を使うのは、私の前でだけだったけど」

「イルーシャ様が十歳下の妹君に……?ありえません!おいくつだと仰るのですっ!?」

「六歳になったばかりだったわね。魔法に年齢なんて関係ない。火蜥蜴サラマンダーは生まれた時から火に包まれている。風乙女シルフは舞うだけで風を起こす。蜘蛛は教えられなくても巣の張り方を知っている。あの子はそういう風に生まれついたってだけよ。噂では、カントベル正教の聖女様もその類なんでしょ?」

「!…………」

「あの子はそういうモノだった。正直、同じ人間って種なのが疑わしくなるくらい、人間離れしてたわね」

「「…………」」

「さ、本題よ。死因は?私に気ぃ遣わなくて大丈夫だから、ストレートにお願いね」

 私の性格はわかっているのだろう。シャルトーは大人しく白状してくれた。

「……焼死。あんたの実家から、ご両親と妹さんのご遺体が見つかったわ」

「そ。で……?」

「「!」」

太陽鳥ドゥルーヴァの襲撃で撒き散らされた火災の延焼?」

「……だとしたら、どうなさるというのですか?」

「さあ?ヤツを探しに行くかもしれないし、興味を失うかもしれない。聞いてみないとわからないわ」

「「…………」」

「私は真実に従って生きる。だから、まずは知ることがすべて。本当のことを教えて」

「……あんたらしくないわね。いつものあんたなら、自分の目で確認しに行くんじゃない?」

「そうかもね。けど、予想通りだったら、私その場で村を灼き尽くしちゃうもの。善人だろうが悪人だろうが、赤ん坊だろうが老人だろうが、やつらに連なる者はすべて消す。血筋だけじゃない。やつらの思い出っていうの?そこに村があったという痕跡自体を、この世からすべて消してみせる。抑える自信なんて、これっぽっちもないわよ」

「「!…………」」

「けど、あの子はそれを望まなかったの。だったら、現場に行かない方が安全でしょ?」

「「…………」」

 二人は引き攣った顔で互いを見つめ合っている。慎重に、探りをいれるようにして口を開いたのは、美人さんの方だった。

「そもそも、ご実家は集落から離れた一軒家。山火事や延焼の有無などすぐわかることですし、嘘など通じるはずもございませんわね……。そういうことです」

「ありがと」


 ――――お姉ちゃんは自由に生きてね――――


 再び妹の声が脳裏を掠めた。

 いいわ、ユリシス。あなたの望み通り、自由に生きてあげる。あなたのいないこの世界に、新たな束縛ルールを自分で作る。それでいいんでしょ?

「ちょっと!?」

「イルーシャ様、何をなさるおつもりですっ!?」

 無視。今の私を止められるルールは、もういない。

 手近にあった木製のペンが、いい感じに尖っていたので、思いっきり胸に突き立ててやった。自己嫌悪と憎悪と喪失感と、それとは比べものにならない程度の、ごくごく些細な胸の激痛。二度、三度、ペンを振るうたびに血が飛び散って、ベッドと壁を汚していく。両手が真っ赤に塗れていく。これでいい。


 術式形成:呪術回路=記憶消失阻止ロストブロック・触媒=痛覚再生ペインレイズ


 この血を対価に。

 この痛みを代償に。

 記憶と感情の欠落を拒絶する。

 私がこの痛みを忘れてのうのうと生きようとするたびに、この痛みが否応なく甦る。そういう呪術回路を埋め込んだ。これが私の、新しい束縛ルール

「いってぇわ……すっげぇいてぇ……」

 自分の呟きが、ひどく遠くから聞こえた気がした。




****(筆者より)****

本作は筆者が小説を本格的に書き始めた頃の作品で、今読み返すと粗が目立ちます。そのため、読みたい方にだけ読んで下さればと思って投稿しているものです。この点をご理解頂き、以下の注意事項をお守り頂ける方だけお読み下さい。


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