皇太子殿下に婚約破棄されましたが、そのお陰で初恋の人と結婚する事になりました。

第1話



「ルシル・メイトランド。そなたとの婚約を、今この場を以て解消する」


 ……しん、と静まり返った、室内。

 煌びやかに輝く応接間はシャンデリアが頭上を彩り、先ほどメイドが恭しく淹れてくれた紅茶の芳醇な香りが漂うその華やかさとは裏腹な言葉に、今しがた名指しをされ突然の台詞を吐かれたルシルは、目の前に居る婚約者を見つめた。


「……エドリック殿下、大変恐縮ですが、突然何を仰っているのでしょうか」


 婚約を破棄すると言われたにも関わらず、一切取り乱しもせぬどころか穏やかな笑みを浮かべたまま、ルシルが凛とした声で問いかけてくる。

 その普段と変わらぬ姿に、ルシルが事の重大さを理解していないと思ったのか婚約破棄を一方的に言い渡したエドリックは、……これだから貴様は【影の薄い皇太子妃】等という名称が付くのだ。と苦虫を噛み潰したような顔をした。



 ──雄大な自然に囲まれ、様々な貿易の中心として他国からも一目置かれている、ここハルウェルド皇国。


 その皇太子であるエドリック・グラウプナーと、たった今理不尽に婚約破棄を言い渡されたルシル・メイトランドの婚約は、ルシルが産まれた十九年前から決まっていた事であった。


 偉大なる皇国のメイトランド公爵家の次男として産まれた、ルシル。

 次男であればもちろん次期公爵という立場もなく、そして何故かあまり女性が産まれないハルウェルド皇国は希少だが魔道士が存在する為、男性でも子を成す事が出来るのだ。

 それなので家柄の良い次男以降はまた別の家柄の良い家門へと嫁ぐ事も珍しくなく、ルシルもまたその例に漏れず皇太子との結婚を目前に控えていた。


 ──というのに、突然呼び出され、何を言われるかと思いきや告げられた先ほどの台詞に、本当に何を言っているのだろうか。とルシルは心から思いながら、長年の努力でしっかりと身に付いた優雅さを纏いティーカップを手に取った。


「エドリック殿下、私達の婚約は皇帝陛下と私の父であるメイトランド公爵との間で結ばれた正式な取り決めでございます。それを急に解消と言われましても……。それとも、もう皇帝陛下の承認を得ての発言だったのでしょうか」

「貴様私を愚弄しているのか。無論、父上からの承諾は得ている。そしてもう間もなくメイトランド公爵家には正式な婚約解消の通達が届くであろう」

「……理由をお聞かせ願えますでしょうか」

「ハッ。この後に及んでしらばっくれるとは」

「……?」


 突然軽蔑に満ちた眼差しを向けられ、何ひとつ身に覚えのないルシルが首を傾げる。

 その動きでルシルの薄茶色の髪の毛がさらりと揺れ、透き通った宝石のような美しい琥珀色の瞳にじっと見つめられたエドリックは、一瞬だけ息を飲んだあと、それから気を持ち直すよう、ギッとルシルを睨んだ。


「ユリアラに随分と嫌がらせをしているくせに、何をとぼけているのだ」

「……私が、聖女様に、ですか……?」

「ッ、しらばっくれるな!! ユリアラの側近が皆一様に口を揃えてそなたがユリアラに嫌がらせをしている所を見たと言っている!」


 皇国に永らく誕生していなかった、聖女。

 聖女とは、治癒能力や保護能力に長け、そして強大な結界を張れる程の凄まじい魔力と善良な魂を持つと言われており、神の遣いとも呼ばれるほど凄い人物である。

 そんな聖女の力をつい一年ほど前に平民の少女、ユリアラが覚醒させたと騒ぎになり、国を挙げての祝福が行われた。

 だからこそ聖女を他の人々と同様に崇めこそすれ、聖女に何かをした事も、言葉を交わす事すらもあまりなかったルシルは、どういう事だろうかと少しだけ目を見開いた。


「聖女様の側近が、そう言ったのですか……?」

「あぁ。聞くに堪えない言葉を陰でユリアラにぶつけていた。と皆が私に相談してきたのだ。大方、ユリアラと私の仲に嫉妬し自分が捨てられると危惧していたのだろうが、ユリアラに暴言を吐くなど、何とも馬鹿な事をしでかしてくれたものだな」


 そう吐き捨てるように言葉を放つエドリックに、そんな馬鹿な。と目を丸くするばかりのルシルだったが、しかし冷静に自分を落ち着かせ、口を開いた。


「お言葉ですがエドリック皇太子殿下、私はそのような事をした覚えは一切ございません。聖女様にもご確認を取っていただければ、私の言葉が嘘ではないと分かる筈です」

「……ふっ。浅はかな言い訳を……。ユリアラにも無論問いただした。だがしかし聖女として選ばれるほど心が清らかなユリアラだからな。そなたを庇っているのだろう。どんなに聞いてもそんな事実はないとそなたの潔白を主張するばかりだ。それも見越してユリアラに怒りをぶつけていたのだろうが、周りはしっかりと見ていたようだな」


 顔を歪め、卑劣な奴め。という態度を露にし、エドリックが告げてくる。

 それにルシルはまたしても反論しようとしたが、しかしふと、……ここ最近聖女様とエドリック殿下の距離が近いような気がしていたのはやはり間違いではなかったか。と一人納得し、ならば反論しても無駄だろう。と口をつぐんだ。


 皇太子であるエドリックのパートナーとして、重要な式典などは必ず参加せざるを得ないルシルは、しかしパートナーの自分を差し置いて聖女と仲睦まじく話をしているエドリックの姿を、幾度となく見てきた。

 そんな二人を、少々節度が無いような……。と思いながら眺めていたものの、ルシルは特にこれといってどちらかに苦言を呈した事も無く。

 それだというのにこんな謂われのない言葉を投げつけられたルシルは、手にしていたティーカップを静かにソーサーの上へ戻した。


「……聖女様が私の身の潔白を主張してくださるように、私も心ない言葉を聖女様に発した事など身に覚えがありませんので、周りの方々の勘違いかと存じます。しかしそれでも周りの方々にそのような思いを抱かせてしまっていたのなら、全ては私の不徳の致すところ。大変申し訳ございません」


 そう深々と畏まって頭を下げるルシル。

 その言葉にエドリックは顔を真っ赤にし、嘘をつくなと怒鳴りかけたが、流石にそれを飲み込んでは咳払いをひとつした。


「……ゴホンッ、まぁいい。そなたの言葉が嘘かどうかは、いずれ白日の下に晒されるであろう」


 ルシルの言葉など何一つ信用していない、蔑んだ目に冷たい台詞。


 エドリックに対し恋愛感情などというものはもちろん一切ないが、産まれた時からの婚約者であり、旧知の仲である。

 そして国を良くしようと共に努力する戦友だと信じて疑わなかったエドリックにここまで酷い扱いを受けるとは思ってもいなかったルシルは、悲しさが少しだけ込み上げつつも、表情には一切出さなかった。


「そなたとの婚約を直ちに解消し、これからは聖女ユリアラが私の支えとなる事になった」


 そう告げてくるエドリックは、どこか得意げそうで。

 しかしそれもその筈。綺麗ではあるものの取り立てて騒がれるほど美しくもなく、かといって特段器量が良い訳でもないルシルなど、メイトランド公爵家の次男という所以外で妃にする利点など何一つなく。


 ……新しいお相手が聖女様ならば、確かに自分との婚約を破棄しても国にとっては何の問題もないだろう。むしろその方が良い。だから周りはそんな嘘をでっち上げてでも、聖女様とエドリック皇太子殿下の婚約を結ばせたかったのだろう。


 だなんてルシルは一瞬にして今まで皇妃になるためにしてきた努力全てが無駄になった事を悟りつつ、それでも仲睦まじく寄り添っていた二人を思い出し、望む相手と結婚出来る事などそうそう無いのだから。と二人を心から祝福するよう、静かに口を開いた。


「畏まりました。この婚約破棄、謹んでお受け致します。そしてエドリック皇太子殿下、聖女様との新しいご婚約、誠におめでとうございます。皇太子殿下と聖女様に、数多の幸福が訪れますように」

「ッ、」

「……要件はそれだけでしょうか?」

「……本来ならば聖女に対する冒涜として刑罰を科せられるほどの所業だが、ユリアラがそなたを庇っていること、そして長年のよしみの情けとして、この私が特別にこの場での婚約破棄、並びに厳重注意だけで留めておいてやっているという事を、忘れるな」

「……はい。聖女様と皇太子殿下の寛大なお心に感謝致します」


 何とも理不尽な話ではあるが、一国の皇太子であるエドリックに反論など出来る訳もなく。

 粛々とルシルが頭を下げ、それから、もう話は終わりだろうか。というようにエドリックを見つめる。

 そんなルシルの無関心な様子にエドリックは言葉を詰まらせルシルを見たが、しかしその後、皇族にあるまじき下卑た笑みを浮かべた。


「……いや、それともう一つ」

「はい」

「私は新たに聖女と婚約をするが、お前はもう新たな婚約者を自力で探すのは難しいだろう? なにせ、【皇太子が選ばなかった男】になるのだからな。誰もそんな奴との結婚は望まない。しかしそれではあまりにも可哀想だと思ってな。お前にも新たな伴侶をと、この私が直々に指名し選んでやった」

「……はい?」


 突然のエドリックの言葉に、普段穏やかな笑みを絶やさないルシルが珍しくすっとんきょうな声をあげる。

 そんなルシルの反応がようやくお気に召したのか、エドリックはニヤリと笑いながら、だだっ広い応接間に響くよう、声高らかに宣言した。


「──ルシル・メイトランドに命ずる。そなたは今から、ジーク・ワイアットと婚約を結ぶのだ!!」





 

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