第10話

32


3日経った。

杏奈ちゃんからの連絡は無い。

ラインに既読もつかないままだ。


5日経った。

(いくら何でもおかしいな。)


俺は病院に行ってみた。

「古川杏奈さんは、がんセンターに転院されました。」


え?


杏奈ちゃんの病室から、荷物を引き取りに来たのだろう、母親が大きなバッグを下げて出て来た。

「おばさん、杏奈ちゃんどうしたんですか?

もうすぐ退院するって言っていたのに。」


「えっ?」

俺を見てとても驚いたようだった。


「あの子が、そんなこと言ったんですか?」

(もう起きているのもやっとだったのに...)


「えっ、何ですって?」


おばさんは、視線を床に落として、ちょっと躊躇った。


「きっと、また元気になりますから、

また仲良くしてあげてくださいね。」

そう言うと、話を遮るように足早にタクシーに乗り込んでしまった。


頭が真っ白になった。

ロビーで立ち尽くしているところに、あの中年の医者が通り掛かった。

俺は思わず掴み掛かった。


「なあ、杏奈どうしたんだよ!

どこ行ったんだよ!

教えろよ!」


「分かった、

ちょっと待て、俺整形外科だからー」


人気のないロビーでひとり待たされているうちに、だんだん冷静になってきた。


医者が戻って来た時、俺の方から尋ねた。

「...再発したんですか。」


「向こうの病院の方が、うちよりその、色々と最新だからー」


「退院するって言ったんだぜ、

ニコニコ笑いながら、もうすぐ退院するって!


何で本当の事を言ってくれなかったんだ⁉︎

結局その程度だったのか?

俺、そんなに頼りないのかよ。」


「最後はきみに笑って欲しかったんだろう。」


“最後”と言う言葉に、俺はプツンと切れた。

「会いに行ってくる!」

と言い捨てると、自転車に飛び乗った。



33


ここから、東海道線沿いに、東戸塚の駅まで出て、そこから川上町の方に向かってまっすぐ進めば着くはずだ。


住宅街を通り過ぎると、鬱蒼としてきて、“タヌキ出没注意”の看板が立っているほど、林間のアップダウンの激しい道になった。

(クソ、本当にここ横浜かよ。)


最後の緩い坂道を登り切って、ようやく病院にたどり着いた時は、もう夜遅かった。


「面会時間はとっくに過ぎてますよ。」

そう言って俺を見上げた受け付けは、

恐ろしい物に出会ったような顔をした。


「あなた、鎌倉から自転車で来たの⁉︎


可哀想だけど面会はできないのよ、

会えるようになったら、家族の方と一緒に電車でいらっしゃい。


それより早く帰った方がいいわよ、

もうすぐ雪になりそうだから。」


やっぱり、俺は馬鹿だ、会えないのは分かっていたのに。

杏奈が嘘をつくからいけないんだ、

嘘つき、嘘つき。


病院を出るとすぐに

細かい雪が舞い始めた。


俺は鬱陶しく空を見上げた。


あはははは

街路灯に照らされ白く光る雪を見上げて、

急に可笑しさが込み上げてきた。


本当の事なんて言える訳が無いだろう、


彼女は気付いていたんだ、

俺が最初から嘘をついていた事に。


だけど、それを咎める訳でもなく、

何も言わなかったのは、

ただ、彼女の思いやりに過ぎなかった。


くだらない嘘に躓いていたのは俺の方だ、

結局自分の気持ちも伝えられなかった。


そんな情けない男には、

嘘をつき通すしか無いだろう、


彼女は大人だ、

こんな自分勝手な俺を気遣って

それでも最後まで黙って笑ってくれていたんだ。



雪は降りしきる。


坂道を下り切ったところの、点滅信号の交差点に差し掛かった時、   

右側で何かがピカッと光った。



34


翌年 春


「退院おめでとう」

大勢のスタッフに見送られて、小さなチューリップの花束を抱えた杏奈は、嬉しそうに何度も彼らに向かってお辞儀をした。


両親と一緒にタクシーに乗り込むと、スマホを取り出して、

「やっぱり、もう嫌われたのかなあ。」

と、小さく呟いた。











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