超克のヘラクレス〜青年はいずれ英雄へと至る〜

とくのつき

第1話 出会い

世界樹せかいじゅ

世界を見渡すように遥か神代よりそれは在る。

その全容は天を衝き、この大地に悠々とそびえたつ。


世界樹を中心に広がる森林地帯は『果ての大森林』と呼ばれ、この世界の西部を覆い尽くしている。


「はぁッ……、はぁッ……!」


そんな雄大な自然の中を一陣の風が切る。

目深に被ったフードを左手で押さえながら、は森の奥へと疾走する。


(もう少しのはず…!)


風の如く走る体は少し小柄で、未だ成長途上といった様子。フードで顔はうかがい知れず、大きめのレザーマントで身を覆っているため性別すらも判然としない。腰には一本のくたびれた短剣を携えており、背に小さなバックパックを背負っている。


どれもありふれた装備ばかりだ。

その中で、翡翠ひすい色の宝石を装飾された靴だけがどことなく浮いている。


突然、走っていた旅人が急に歩みを緩めた。


「風が!かけ直さないと!」


そう言って旅人は、焦った様子で右手を足元の靴へと伸ばす。手がその靴に軽く触れると、宝石が淡く光り輝いた。瞬間、魔力の風が旅人を取り巻くように生じた。


(これで最後、もう魔力が…!)


風纏エア・ヴェール

その身に風をまとう移動補助の魔術。


宝石があしらわれた靴は魔道具であった。

あらかじめ術式を刻み、魔力を貯蔵することの出来る機構を内蔵することで、詠唱を伴わずとも少量の魔力を込めるだけで特定の魔術を発動できる優れもの。


原理だけで言えば、たとえ魔力の優れた魔術師でなくとも、高度な魔術を容易に発動できる非常に便利な代物である。実際にはそう簡単な話ではないのだが…。


(もうそろそろ最後の風が尽きる…。お願い、間に合って!)


最後の風に想いを託し、巨大な木々の合間をぬって森の奥へと進んでいく。やがて纏っていた風が止むと同時に、森で一際開けた場所に出た。


「…着いた」


思わず安堵の声が漏れる。

どうにか森の中で魔力切れになる前に目的地に到着したらしい。大樹に覆われた暗き森を抜けた先には、陽光差し込む巨大な空間があった。

世界樹のふもとである。正確には『根元ねもと』。


「近くで見るとデカ過ぎてよくわかんないや」


一帯すべての栄養を世界樹が吸ったのだろうか。そこはわずかな雑草が生えるのみの広場となっており、無数の世界樹の根が絡まり合うようにして大地に突き刺さっている。巨大建築を思わせる幹は天高く伸び、見上げると思わず首を痛めてしまいそうになる。


「本当にあるのかなぁ、…とやらは。まぁ見てみなきゃ分かんないか」


世界樹の麓はその根の複雑さにより、樹木で形成された1つの洞窟を有していた。旅人は麓周辺の探索を終えると、休息もそこそこに探し物を求め恐る恐る洞窟内部へと入っていった。


(ある『魔法』を求めてここまで色々な場所を探索してきた。有力な情報はここが最後。…『』、それは本当に探し求めてる『魔法』なの?)


己の目的に一抹の不安を抱きながらも、一歩また一歩と歩みを進める。


洞窟の内部構造はシンプルで、人が通れるような脇道も多くない。道中格式ある紋章の入った土まみれの洋服を発見したり、謎の人骨などに驚かされながらも、割とすぐに最深部らしき場所へと到達した。


そして旅人はそれらの驚きすら忘れてしまうほどの、今日一番の驚きを目にした。


(うそッ…、あれって人⁈)


男がいた。

あぐらをかいて座っている、四肢を鎖に繋がれた若き黒髪の青年が。身につけているものといえば獣の皮でできているであろう腰巻きだけ。ようはほとんど裸である。


洗練された彼の肉体は、筋肉質であるが決して太過ぎないを体現した、まさに男の理想と言えるものだ。しかしよく見ると全身には痛々しい傷がそこかしこに刻まれており、戦闘か修練かはたまた拷問の類いか、いずれにせよその者の人生の鮮烈さを語っていた。


四肢を繋ぎ止める鎖からそれぞれ分岐する小さな鎖が、青年の胸元で輝く、大きな深紅の宝石を固定するように集まっている。その様はまるでこの青年自体を厳重に封じているかのようにもみえる。


「いったいなんでこんなところに人が⁈」


『果ての大森林』内における世界樹の麓は。この世界における常識である。そもそもこの旅人が侵入していること自体がイレギュラーであり、本来人など居てはならないのだ。


「まさかが希望?いやいやありえないでしょ」


そうおどけてみせながら旅人はそっと近づく。

耳をそばだててみたものの青年に呼吸音は確認できず、脈も触知できない。


「お、おーい!」


ペシペシッ。

顔を引っ叩いても反応なし。


「生きては…いないか」


洞窟の最奥で独り、鎖に繋がれた青年の死体を見つめる。


「はぁー、これだけ探し回っても結局見つからない…か。薄々分かってはいたけど、やっぱり求めてる『魔法』なんて存在しないのかなぁ」


もう次の探索の当ても資金も底をついた。やっとの思いで見つけたのは謎の青年の死体だけ。最後の手がかりに縋り、この世界樹まで来てみたものの期待した成果は得られなかった。


なんて、どこにもないじゃんか」


思わず口からこぼれた。

希望と呼ばれた『最後の魔法』。それを記す魔導書も、発動させる魔道具も存在しなかった。情報はやはり嘘だったのだろうか。

求めた希望はなく、今まさに旅人は絶望の只中にあった。


そうこうして今後の方針に途方に暮れていると、ふと再び鎖の青年が目に入った。胸元の真紅の輝きが旅人の瞳に映る。


「せっかくだし…、頂いていきますか」


冒険には報酬が伴うものだ。富や名声、名誉。人々が求める報酬は様々あれど皆それを得るため冒険する。目当ての報酬がなかった以上費やした労力に見合う別の報酬を得ようとするのは、悔しくも当然の判断といえよう。


「どれどれぇ〜?」


件の宝石はみたところ、売れば少なくとも数ヶ月は遊んで暮らせる額が手に入るだろう代物である。この探索の報酬としては申し分ない。絡む鎖を掻き分けながら旅人は宝石に手をかける。


「うーん、なかなか取れない。墓荒らしみたいでホントはやだけど、もうお金も無いしどうにかこれを売っ…てェッ!?」


——ドクン‼︎


世界が揺れた。

まるで自身の足元にだけ地震が起きたかのように。

胎動。目覚め。あるいは警告であろうか。

触れてはいけない何かに触れてしまった、そんな感覚が旅人を襲う。


「な、何?今の…」


明らかな異変を感じ取ったにも関わらず、旅人はなおも宝石を取り外そうと奮闘する。いずれにせよ手ぶらで帰れば路頭に迷うこと確実なのだ。何が何でも成果を持ち帰ろうと必死である。そして…。


「取れた‼︎ さっさとこんな場所とはおさらば…」


——ドクンッ!!


先ほどよりもさらに強い振動。いやもはや脈動に近い。


(あ、これヤバいかも)


突如として迷宮を構成する世界樹の根の一部が急速に朽ちてゆき、崩壊を始めた。


「まずいまずいまずいッ!!」


宝石を持ち出す不届き者を逃さないためあらかじめ仕掛けられていたトラップに引っ掛かってしまったのだろうか。このままでは生き埋めになってしまう。


「早く脱出しなきゃ!風纏エア・ヴェールを…ってあれ?起動しない⁈」


(そうだ貯蔵魔力がもう…!代替しようにもこっちの魔力だって切れかけてるし!)


魔道具、自身共に魔力切れ。己の足だけで走り去るしか選択肢は無かった。


「はぁッ、はぁッ、はぁッ!」


喘ぐように呼吸を奏でる。風を纏っている間はあんなにも軽かった体が今では酷く鈍重に感じる。


走る。走る。走る。


世界樹に到達した時点でとっくに体力は限界を迎えており、もはや走れる状態ではなかった。それでも生命の危機を感じた本能が、体を無理やりにでも突き動かす。


肺が痛い。足が千切れそうだ。


出口の明かりがもうそこまで見えている。

しかし世界は常に残酷だ。出口に到達するよりも、崩落する木の根に巻き込まれる方がやや早い。


こんなとこで死ぬのか。こうもあっさりと。誰に看取られるでもなく。何を成し遂げるでもなく。


(あぁ、最期にもう一度会いたかった…)


「お母様…」


悲痛に満ちた一言をこぼす。


直後、衝撃が体を吹き飛ばした。

視界が黒く染まってゆく。

薄れゆく意識の中で、確かに聞こえた気がした。


鎖を引きずるような、鈍い金属の残響が——












(あれ、意識ある?なんで?生きてる?)


どれくらい経ったのか。倒れていた体を起こし、周りを見ればそこは世界樹の麓。いつの間にか洞窟の外にいた。崩落の衝撃で外まで吹き飛んだのだろうか。


「お—、——!——か!」


(?…誰?)


誰かの声が聞こえてくる。こんなところに人など居るはずもないのに。どこか頭を強く打ってしまったのかだろうか。


「おい、オマエ!大丈夫か!」


男がいる。

四肢に鎖をつけた、筋肉質な黒髪の青年が。


「おい!おいってば!」

「え?あ、うん。大丈夫…ってえええぇェ⁈!!!」


そう、男がいるのだ。

呼吸音も脈拍もなく、間違いなく死んでいたはずの傷だらけの青年が。


「あんた…し、死んでたんじゃ」

「おいおい、縁起でもないこというなよな。こうしてピンピンしてるぞ!」

「う、嘘。だって心臓止まって…」


ありえない。確かに確認したはずだ。

夢でもみているのだろうか。それとも洞窟に入ったのが夢?助かった現状や目の前の光景を受け入れられず酷く困惑する。


「何寝ぼけたこと言ってんだ?ほれ、フード。オマエんだろ?落ちてたぞ」


ハッ——と。

そんな困惑が全て吹き飛ぶように。


「勢いあまって脱げちまったん——」

?」


瞬間、飛び退くように青年と距離を取り、鋭い眼光で青年を睨みつける。底冷えする様な、それでいてどこか怯えたような声音で問う。


「見たって?何を?」


青年は意図が分からずすぐに問い返した。


「それはッ!…あ、の…この姿よ!」


自身の耳を手で隠し、震えた指先で確かめるようにそっと耳に触れながらそう答える。


「あー、《妖精族エルフ》ってことか?」


探索の最中常に被っていたフードがなくなり、頭の後ろで結わえられた美しい銀の髪と、長く尖った耳が露わになったその姿は、可憐なであった。


「—ッ!やっぱりッ!あたしは屈しないわ!どんなことをされても絶対!!」


彼女は即座に右手で腰の短剣を抜き、体の前方に構えた。体力、魔力ともに尽きかけてすでに死に体しにたい。言葉とは裏腹に、構えた短剣が震えている。それでも無抵抗でやられる訳にはいかないと。己の尊厳と誇りにかけてなんとしても不条理に抗おうと。しかし…。


「《妖精族エルフ》だから何なんだ?」

「え——?」


返ってきたのは予想だにしない言葉。


「それ、今なんか関係あんのか?」


青年は問う。心底不思議そうな顔をして。


「だ、だって《妖精族エルフ》は…」


妖精族エルフ》。

長く尖った耳が特徴的な、眉目秀麗で魔術の扱いに長けた長命種族。その美しさや力を目当てに悪しき人間たちは『妖精狩ようせいがり』を行い、彼らは言い表せようもない仕打ちを受けてきた。そのような歴史を背景に現代では既に絶滅したとまで噂される希少種である。


故に、彼女もまた自身を守るため、目の前の青年に対し強い敵対感情を向けているわけなのだが。


「まー確かに珍しいけどな。それともあれか?『どう?私エルフなの、美しいでしょ?ウフフ』てことか?…自慢か?」

「ち、違うわよ!?」


青年はあまつさえおちょくる様な口調で小馬鹿にしてきた。


知らない反応。知らない態度。

少女が今まで見聞きしてきたものとは何か違う。この青年からはイヤなものを感じない。


「そ、外の人間はみんな敵だって。襲ってくるって。…あと男は獣だって」


弱々しい語気で確かめるように。少女は自身の知りうる人間像を語る。


「誰だぁ?そんなデタラメ吹き込んだやつ」

「お、お母様の教えを馬鹿にするな!」

「お、おう。なんか悪かったな。そんな怖い顔すんなよ」


認識を改めようと軽くつっこんだつもりが、何がいけなかったのか思わぬ怒りを買い、青年は思わず怯んでしまった。


「ただなぁ、みんながみんな《妖精族エルフ》を襲ったりはしねぇよ。少なくともおれは。そんな反応されると軽く傷ついちゃうぜ俺?」


ムスっとした表情で見つめる少女に対し青年は終始おどけた態度を見せる。

少しの間があって。未だこちらに睨みをきかせる少女に対し青年は問う。


「オマエ名前は?名前はなんつーんだ?」


普段なら名前を問われても決して答えなどしない少女だが。


「あたし?あたしはステラ。…ただのステラよ」


この青年の態度に毒されたのか、自身でも驚くほど素直に自身の名を告げてしまった。


「ステラか!いい名前だな!うん、いい響きだ!俺は好きだぜ!」


青年は恥ずかしげもなくそう告げる。


「なッ!しょ、初対面のあんたなんかに褒められても嬉しくないわよ!」


やはり調子が狂わされる。何なのだろうこの青年は。剥き出しにした感情がすぐさま解きほぐされていくような。

ステラには何もかもが分からなかった。


「てか、あんたこそ何者よ!なんで生きて…というか、あそこでいったい何してたのよ!」


負けてられないわ、とでも言うようにステラは慌てて青年を問いただした。


「俺は——」


刹那。激しい頭痛が青年を襲う。

情景のフラッシュバック。

記憶の濁流の中。世界樹の根の洞窟の奥。

老齢な男が、鎖に繋がれた青年に告げる。


『アル——、こ—が最—試練だ——目覚めた時おま—は——』


「——ッ!」


痛みに耐えかね思わず頭を押さえる。


「——ねぇ、大丈夫?辛そうだけど」

「あ、あぁ。何でもない」


しかし数秒後には先ほどの激しい痛みがうそのようになくなり、頭の中がクリアになった。


(俺は…、そうか、そうだった。…


何かを思い出すように。決意するように。ここにはいない誰かに誓うように。青年は高らかにその名を口にした。


「——アル。俺の名はアル!人々の希望となり、いずれ全ての英雄を越える男だ!」


ステラとアル。

互いに何かを追い求める謎多き二人の出会いが、世界に大きな変革をもたらすことを今はまだ誰も知らない。

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