影をなくした子

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影をなくした子


その町には、“影がときどきいなくなる”という、不思議な噂があった。


姿はあるのに、足元に何もない。

陽の光を浴びても、地面には影ひとつ落ちない。

気づくと、いつの間にか戻っているけれど、そのあいだ何が起きていたのかは、誰も知らない。


ミナという少女も、ある日、自分の影をなくした。

朝、通学路で気づいたとき、心臓がひゅっとするほど不安になった。

友達には言えなかった。きっと変だと思われるから。


けれどその日、教室の窓の外――校庭の隅っこに、何かがいるのが見えた。


黒い、やわらかなかたまり。

ふわふわしていて、だけど、どこか自分に似ている気がした。


ミナが放課後、ひとりで校庭へ行くと、その“影”は木の下でしゃがんでいた。

小さな影の子ども。顔はないけれど、悲しそうな気配をしていた。


「…あなた、わたしの影?」


影は小さくうなずいた。


ミナはそっと隣に座り、話しかけた。


「どうして、いなくなっちゃったの?」


影は、言葉を話せない。

けれど風が通り抜けるように、ミナの胸の奥に、影の思いが流れ込んできた。


――疲れちゃった。

いつも、ずっと後ろにいるだけで、誰にも気づかれない。

悲しいときも、楽しいときも、ただ黙ってついていくだけ。

たまには、ひとりになって、考えてみたかった。


ミナは驚いた。

影にも“気持ち”があったなんて、考えたこともなかったから。


「…そっか、ごめんね。ちゃんと見てあげてなかった」


影は、風のようにふるえた。

そのとき、ミナの足元に、ふわりと影が戻ってきた。


それからというもの、ミナは、夕陽が落ちるとき、必ず地面を見るようになった。

そこにいる、静かな友達のことを忘れないように。


いつも、そっと寄り添ってくれている影。

名前のない、小さなやさしさ。


そして噂は、今も町に残っている。


“影がいなくなった日は、自分の心の声を聞く日”


そういう日が、たまにあってもいい――

静かにそんなことを思わせてくれる、影のおばけの話。

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影をなくした子 sui @uni003

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